煙草のお題

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あんな悪夢の後ーーー暗くなって気がついた臨也は、衣服を正してくれた静雄が居ない事にどこか安堵し、あちこちが痛む身体を引き摺って帰った。やっと家について妹らにおかえりと言われる前には風呂場に逃げ込み、シャワーに打たれながらこみ上げて来る涙を誤魔化していた。怖かったのと、取り返しのつかない現実に押しつぶされそうな苦しさから、ショックで褪せた感情とは別に涙が溢れ出しては止まらなくて。

携帯はひたすら沈黙を保ち、こちらから破るつもりもなく、視界から遠ざけていた。忘れようとしても土台無理なこと、だからと言って大事に覚えているつもりもない。
あちこちの怪我を心配してくれる妹らの前ではいつもの通りに接して、夕飯どころじゃないまま部屋に逃げ込んだ。身体は痛み、気怠さに襲われているのに、緊張で意識は興奮し、先程の事を思い出しては震えていた。
吐き気も催し、まだ身体の奥に澱む感覚に慄いて。

嫌でも脳裏に蘇るのは間近に見た静雄の顔、手、その指まで鮮明に覚えている。そして触れた温もり、まだ唇に残る感触、恐怖。
捻じ曲げて伝えた感情を受け入れてくれるかもしれない、なんて淡い期待は瞬時に崩されたし、受け入れられてもその事実が臨也には受け入れきれなかっただろう。そんな形で寄り添うなんてことは、望んではなかった。だけども、どんどん捻れて歪んで、切り捨ててしまった方がいい関係上の静雄を、諦めたくなかった。
覆い被されて、押さえつけられ、蹂躙されて触れた人の感覚。密着した肌と肌で通わせた温もりは確かに暖かかった。圧しかかる重みは怖くても、抱きしめられているようで少しだけ嬉しかった。それなのに、こんなに怖い。

失ってしまった、壊してしまった。

これまでが、これからの可能性も、静雄にとって臨也の存在意義を、臨也にあった隠れた静雄への慕情も。

暗い部屋で、ベッドの上で眠れないまま夜を徹した臨也はそのまま学校に行く気になれず休み、昇華しきれない想いに苛まれて門田の見舞いを受けた。そして、あんな。

何故門田に口付けたのか、咄嗟の行動を取ってしまったのかーーーこれこそが勢いになってしまった。

落ち着いて考えたら、もしかしたら、静雄が突き放して激昂してくれたならという状況を、あの時をリテイクしたくて門田を利用したかっただけだったのか。だけれど、門田は優しい奴だとわかっていた。怒りはしても手酷くあしらうなんてするわけないと。静雄とは違って驚いた門田の温もりだとか唇の感触は、何だか意識とは遠くのところで覚えている。それは門田のことを静雄とは違う情を抱いて見て居るからだし、温度差もかけ離れている。
だからこそ門田の優しさに縋りつこうとしてしまった。
そんな弱々しい自分を戒めるように、願っていた想いを頭から振り投げる。

誰でもいい、触れていたい、受け入れられたいなんて。




ベッドの上でどれだけ考え込んでいたのかわからない。痛む体は熱っぽいし、寝不足から頭は霞んで考え込むにも途中で諦めてしまう。もしかしたら考えながら少し寝ていたかもしれない、と時間を確認するために携帯を手にすると、玄関のチャイムが鳴り響いていた。
時間から、少し早いが双子の妹らが帰宅してきたのかと重い体を無理言わせて立ち上がり、若干ふらつきながらも玄関に向う。リビングを抜けて玄関までが遠く感じ、見なれた扉がいつもより暗く大きく見えてくる。
チャイムがもう一度鳴るまま静かな扉の向こう、その気配は双子ら、じゃない。セールスだろうか、だとしたら面倒だーーーだが、覗き穴を見る事もなく取っ手を縋るように握り、ゆっくりとチェーンとサムターンを外す。

本当に風が強い日だと扉を押し開けーーー

「………あ」

暗い顔をして、無言のまま立ち尽くす静雄を見上げていた。

あれだけ長い時間考えて、言いたい事はある程度固まっていた。なのに、その顔を見てしまった瞬間、言葉や感情よりもまず、恐怖。

咄嗟に顔が引き攣り、思わず手を離してしまい、大きな音を立てて扉は閉められる。轟音の余韻は廊下や玄関に響き渡り、反響して壁に吸い込まれていく。目鼻の先で閉ざされた扉を前に、どうしていいのかわからないまま臨也は震えて立ち竦んでしまう。

「……その、悪い、いきなり来て」

鉄の扉を挟んで向き合う静雄の声が遠い。風の音が、脳裏に焼き付いている恐怖が、混乱する感情が耳と意識を遠ざけてしまっている。
それなのに、聞き取れる声から言葉を拾おうとしてしまう。聞きたい、なのに、その声が怖い。

「何であんなことをしちまったのか……今更何を言おうと言い訳になるけどよ、本当に俺はどうかしていた」

覚えている、間近で見た顔も、触れたぬくもりも押し付けて来た熱さも、苦し気な声だって。
全てが扉の向こうに立つ男のものだと覚えている。

「許せなんて言わない、どんなに謝っても……やらかした事は消えるわけがねぇ。だからといってお前を責めたり責任をなすりつけようとも考えてない」

血流が喉を、頭を不規則に脈打つ。目眩がする。

目の前が暗くなっていくのは、この先に言われる言葉をわかってしまったからか。安心?それとも


「……俺は、二度とお前に関わらない。学校で会っても無視するし、なるべくなら会わないようにもする。金輪際、俺はお前とは話さないし、喧嘩もやめる。だからお前もそうして……俺の存在を忘れてくれ」


絶望。


「……虫がいい話しだよな。許せないなら忘れろなんて。できない相談とは思う。憎んでもいい、存分に嫌うなりしてくれ。だが、これ以上関わるな。そうじゃないとまた変にお前を傷つけるかもしれないんだ」

言葉が意識を、心を割いていく。違う、と叫びそうになってしまって、口を掌で覆って塞ぐ。
傷付けてしまったのは、自分なのに。


「……本当に悪かった。……じゃあな」


鉄の扉の向こう、立ち尽くしていた静雄はコンクリートを踏み鳴らし去っていく。その気配を追おうとすぐに扉を開けなきゃならないとわかっていた。追い駆けて謝って、そして、ーーーーどうする?

口元を覆う掌は動かない。足は震えてその場に崩れてしまう。
これ以上歪ませてどうなろうと望むのか。

離れていく、離れる、そして、これで縁を途絶えさせてしまう。これ以上どうしようもないほど壊してしまった関係、だから、こうするしかない。


そうでなければ静雄も臨也も、壊れてしまう。


玄関に座り込み、頭を抱えて震える臨也は、こみ上げる涙がどうしても零れない瞳を硬く閉ざす。
情けないほど泣けたなら、いっそ惨めになれるのに、と。

いつまでも側にいてくれると過信していた。無茶をしても、からかってでも、謀略に貶めようと。
その果てに安穏が来ると、それでも笑い合えるなんて焦がれて信じていた。
だが、いつの間にか慕情が少しずつ軋み、歪んでしまっていた。
自業自得、それだけのこと。


頭は言葉や思考に埋め尽くされ、ぐちゃぐちゃになろうと、胸や腹の奥はただ、ごっそりと抉られたように空っぽになってしまった。

そして答えはきっと永劫返ってこないだろう問いかけを、誰もいない扉の向こうに投げかける。

ーーー俺たちは、どうしたらよかったんだろう。ねぇ、シズちゃん。戻れるなら、もう一度、あの日からやり直せないかなーーー

桜が舞い散る入学式の、あの時に。



それでもやはり、涙は零れず慟哭は薄っぺらい身体に澱んで空っぽな胸を苦しめる。








*セブンスター→ショートホープに続きます。



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