企画物議

□弍
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「最近、疲れてますね」

日が傾いてきた放課後、委員会のレジュメを整理していた二人、そのうちの一人の女子生徒が、向かい合うクラスメイトに声をかけた。言われた少年は、一瞬驚くと照れたようにはにかんで、罰が悪そうに頬を指で掻く。

「最近ちょっと寝不足なんだ。面白い『ゲーム』を始めてさ」

授業中も少年は気怠そうに肘を付き、手の中でボールペンをくるくると回しては欠伸を噛み締めている、そんな様子をここ最近見かけた。眼鏡をかけた大人しそうな少女は、ゲームと言われたならこの頃覚えたネット内でできる無料のゲームを連想する。内容は色々あって、きっとそのうちの一つに今、この少年は興じているんだと理解する。

「そうなんですか…でも、ほどほどが一番ですよ?」

同じクラスメイトでも、そんなゲームの一つが面白いと熱弁を奮っていたのを思い出しながら、明かに寝不足の顔をした少年に笑いかける。
そんな笑顔に、少年は年相応の笑顔で応える。

「大丈夫だよ、もうじき終わりそうだからさ」

そう、これは単なる『遊戯』。始めたならば終わらせないといけない



傀儡ー弍ー




新宿のとある事務所内。長い黒髪を背中に流し、資料が散らばる机に向かう女性。彼女は美人と謳われる顔を険しく顰め、電話の向こうの人間と話し込んでいた。

「………はい、ええ、その件に関しましては………はい」

この事務所の存在は、街の裏に蔓延るあらゆる情報を統べることで成り立つ裏稼業だ。一人の男が類い稀な洞察力と収集力で莫大な金を費やしてでも欲しいと思わせる情報がここに掻き集められている。

「……わかりました、その件につきましては後に折原から……」

だが、この商売は信頼ありきと常日頃その男が言いしめたように、このところ取引先のいくつかは懸念を持って依頼してくるようになった。

「はい、ご存知のように只今折原は喉を不調にしておりまして、電話口に立つことができません………メールにて、詳細を送付いたしますので……」

秘書として短くない彼女にすら不信感を露わにするのだ、情報源の男が一向に姿を見せないとなれば、疑うことも仕方ない。

何度となく繰り返した『折原は不調』という言葉に反吐を吐きつつも、何とか了承を得て電話を終えた。
机の紙に朝からある依頼の電話のリストに今し方終えた通話の内容を書き留める。そしてそのリストを渡すのは折原臨也ではない。

ーーー今、臨也さんが『こんな状態』だとわかればこの事務所はどうなるんでしょうね?

そう言って微笑む少年ーーー竜ヶ峰帝人。彼がこのリストを得て『情報屋折原』の仕事を担う。
そして本当の雇い主、折原臨也は隣の部屋にいる。先ほどからヘルパーや医者が出入りする部屋に。


あの日、もう一週間も前になる。

帝人が唐突にこの部屋に訪れて、顔を見ないように慌てて帰った自分は、あんな年下の学生…ましてや最愛の『男』と同い年の少年に不明瞭な恐怖を感じてしまった。情けないという思いより逃げたことに安堵した方が強く、滞在先のホテルに着いて幾許。
臨也からの着信、だが、その声の主は帝人だった。

明るい声色で医師を呼ぶ旨を告げられ、瞬時に状況が垣間見えた。まさか、あの臨也を油断させたのか、と。日頃から警戒を忘れない男に医師を必要とさせる事態に追い込み、かつ事務所先で笑顔で交わした挨拶のように軽やかな調子。ぞわりと怖気走り立ち尽くす間、寸時だったのに、酷く長くも感じた。
運良く口が硬く、昔から公にできない事を頼んできた医師を捕まえ、急ぎ事務所に戻った時ーーー

ーーーすみません、お仕事終わられたのに。

机に座り、携帯を弄んでいた少年は、にっこりと微笑みつつ波江と医者を迎えた。そしてその背後、机の影の床上に、臨也は倒れ、ーーー昏睡していた。
医師の処置が早かった為か何らかの薬物による急性中毒はたいした事はなかったはず。だが、臨也の目は開けられていてもその瞳に光はない。何も映さず、身動き一つ取らず、まるで生きた屍のような。
また、見目整った臨也の容姿から、人形のようだとも言い得れた。その虚ろな目の奥、引き篭もってしまった自我を隠す人形だと。

『適当に』飲ませた薬物はそんな身体にダメージを与えたものではなく、医師の見解では精神的に酷くダメージがあったのではないかと重苦しく呟いた。薬に何らかの精神作用が多少なりあったにして、その極限状態で酷い緊張感や精神的外傷が加わったのなら起こり得ると。
緊迫し、目の前の有様に驚愕する波江の後ろで平然とした帝人に、医師も波江も恐る恐る問うた。

『何をした』と。

すれば少年は顔色を変える事なく、一言。

ーーー別に、僕は臨也さんと『お話』していただけですよ。彼が見ないふりをしていた『矛盾』をこっそりと教えただけです

その笑顔はただ、無邪気に、楽しそうにも見えるのに、年配の医師も波江も、底知れない闇を彼に見ていた。


ーーーこんな状態だとわかったら、色んな方々が『色々と』企むかもしれませんね
ーーー矢霧さんも、都合がいいわけじゃないでしょう?まぁ、煩い上司が黙ってくれていることは都合がいいかもしれませんね
ーーー貴女は聡明な方だ、ここに駆け込んだのも何か思う事あってだったはずです。情報なり、人脈なり。
ーーー僕だって怒られたくありませんから、一つ協力しませんか?

ーーー貴女も弟さんに何かあったら、嫌でしょう?


言葉以上に意味を含む言い方に、憤慨していいはずがただ黙って言葉を受け入れてしまっていた。弟を引き合いに出され、激情に駆られはしたが、この少年の言い分が的を射ていると納得してしまっていたからで。下手に表沙汰にしてしまったなら、この事務所も波江もただでは済まなくなるかもしれない。医師が設備の整った病院や施設に移す事を強く推しても、波江も帝人も拒絶した。
そして少年はあっという間に臨也の端末を操り、仕事を把握し、代役に就く。まるで空蝉の如く彼は『折原臨也』の影を振舞った。その位置が欲しかったのかと問うと、彼はあっさり否定する。

ーーー色んな事を知れるのは楽しいですが、こんな事はあまり興味ないんですよ。余興には丁度いいですけど

余興ということは、もっと主たる目的があるという事、一体何をーーー

「こんにちは、矢霧さん、今日はどなたに連絡したらいいですか?」

明るい声に弾かれて思考を止めたなら、すぐ側にその帝人が学校帰りのまま、立っていた。返事も忘れ、メモを渡すと帝人は読みながら臨也のデスクに向かい、パソコンを立ち上げて慣れたように椅子に座る。カチカチとキーボードが鳴らされる中、急ぎ身支度を整え引き上げようと立ち上がる。手荷物の中に小さなメモ紙を押し込もうとした瞬間。

「お疲れさまでした、また明日」

こちらの動向など見てもないのに、波江を全て見抜いているかのようなタイミング。メモに記した事を気取られたのかと血の気が引いたが、偶然だと言い聞かせる。

無言のその笑顔が、知らないうちに波江を服従の約束を強いていたなど、波江自身も気付いていなかったーーー



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