企画物議

□壱
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人は生まれながらに残虐な面を少なからず持ち合わせている。それは決して背徳的ではなく、あくまでも好奇心の一角。まだ世の中の残虐など知らないからこそ許される範囲だ。

例えばーーひらひらと舞う蝶の羽根を毟ってしまえばどうなるのか、綺麗だ可愛いと眺めていた花を握り潰してみたなら、大事な玩具を叩きつけたらどうなるだろうーーーなんて。
そんな嗜虐心は成長と共に薄れたり、ある程度見聞きして満足し、忘れてしまう。中には鮮烈に覚えてしまい、歪んだ欲望に変えてしまう輩もいるが、道徳理論を飲み込み、理性で押さえ込めることもできる。それでも、欲というものは時折溢れ出て、成就させたいと時に人を乗っ取ってしまう。
自覚のないままに内なる欲を肥大させ、知らぬ間に乗っ取られ、疑うことなく欲ありきの自我を受け入れていたなら。
多感な思春期の最中、どんな未知にも適応できる柔軟さが歪んでいたなら。




傀儡






大きな事務所の窓から、赤すぎる夕日が差し込んでくる。ブラインドを下げたらどうかという秘書の言葉に、笑って遠慮した青年。彼はまだ若く、書類やパソコンを眺める顔はまだ少年っぽさが垣間見える面影に、整った目鼻立ち。しかしその瞳は物事のどんな面でも見抜こうとする鋭さがある。笑えば無邪気、という顔になるが、その笑顔を見せてる相手はどす黒い裏社会の連中ばかりだ。多額の金を使って様々な情報を売り買いし、時には法に触れる取引もやらかす。
そんな闇社会にどっぷり漬かり、依存する彼が無邪気だとかあどけないとか言えてしまうのは、彼はこの仕事があくまで趣味の一環だということ。
子供が図鑑を広げて目を輝かせるように、彼は人間やこの街のことを底無しに知りたくて、あらゆる事に精通したおまけのような仕事なのだ。
趣味に没頭してしまう子供っぽさが、彼を実年齢よりずっと若く見せてしまう。内面、というか精神的にも十分子供っぽいのだが。そんな男に辟易しながらも片腕を担い、青年の御託、戯れ言を聞き流して秘書は働いている。
駆け込んで雇われた身分だが、曖昧なラインで信用され、警戒されている。お互いに仕事上の損益が合致したからなり得た状況で、もしもどちらかが必要なくなれば、後腐れなく離れるだろう。そこに特別な感情も理由もない。

日が暮れる頃に、目ぼしい仕事が片付けば秘書は引き上げ、青年は街に繰り出していく。趣味か仕事か暇潰しか、そんなことすら秘書は聞こうともしない。
帰り支度を始めた秘書を気にもせず、手元の携帯を軽やかに操作していた時、ふと顔を上げて事務所入り口を見上げた。じっと凝視する彼に気付いて秘書も倣ってそちらに向くと、ドアを叩く音が響く。
来客など珍しい、知らず走った緊張だったが青年がゆっくり立ち上がり、入り口を解錠しにいった。
鍵を開け、いざという時のポケットにねじ込んでいるナイフに手をかけながらゆっくり扉を開いた。


「……あ、こんにちわ、臨也さん。すみません突然」

するとそこには、到底この場所には不釣り合いな学生服を着た少年がいた。
気弱そうな風体だが、真っ直ぐ青年の名を呼んで見上げ、にこにこと笑っていた。

「………帝人くん?……珍しいね」

同じ制服姿で訪れた、彼の友人を思い出させる。しかしその友人とは違ってこの帝人は屈託なく笑っている。

「す、すみません、もしも忙しいなら帰ります、ちょうどこのあたりをうろうろしていたので…」

慌てて驚いて動けないでいた波江と臨也の顔を見比べ、まだ都会に馴染んでいない幼顔を赤めらせた。
過去、その帝人に追い詰められた波江はその顔すら見れず、慌てて荷物を掴むと入り口に向う。

「……帰るわ」

「…あ、ああ、うん」

言い終える前には帝人を避けるように入れ違い、黒髪を揺らして彼女は去った。残された二人は、無言のまま向かい合い、やがて臨也が挑むような目で笑い、帝人を中に招いた。

「本当に珍しいね、君が池袋から出てくることが」

「え、あは、そう、ですよね…僕、池袋以外に出たことってあまりなくて、とりあえず隣の新宿を少しずつ回ってみたくなって」

照れて答える様子から、あまりにも年相応の平均を目の当たりにしているような少年だ。それに加えて田舎から出てきた人間の、時折見られる特徴。
都会の色に憧れて染まりたいくせに、飲み込まれる事を嫌い、あくまで個性を主張する。彼も大人しそうな顔をして、その内では非日常に関わりたい、起こしたいと願う今時の少年だ。

だが、その願望の底や全容を全く予知できなくなった最近、彼に対してある種の警戒が生じてきた。

「池袋と違って見るところは多いから観光になったんじゃないかな?俺は騒がしすぎると思うけれどね」

「はい、すっかり迷子になりました。慣れない道は本当にわからないものですよね…あ、そうだ、これ、差し入れです。そこにお店があったので」

そうして帝人が片手に下げていた紙袋を差し出す。コーヒーチェーン店の洒落た袋には、倒れないようにペーパートレーに立てられたカップ入りのコーヒーが2つ。

「何がお好きかわからなくて…僕、キャラメルマキアートしか頼んだことないのでどちらもそれなんですけど…」

「気を使わせてしまったかな?…わざわざありがとう、…君は、どっちを?」

そう言って先に帝人にカップを選ばせるのは一つの警戒だ。疎い帝人でも、警戒されていることは感づくかもしれない、だが、そんな様子もなく、帝人はどちらでもどうぞ、と笑顔で袋を差し出した。
そして、臨也が片方を取ると残りを躊躇いなく取り、袋をどうしたらいいかわからないようにその手に握り直す。

「僕、東京で初めて飲んだ高いコーヒーがこれだったんですよ」

そう言ってはにかみながらリッドを取り、口に運ぶ。飲み下すまで見守ろうとする臨也の警戒に気付いているのかどうかもわからない笑顔。
口につけ、ごくりと飲み下すとやっと訝しむ臨也に気が付いた。

「?どうか、しました?」

「……いや、蓋取らなくても飲めるけどなぁ、と思って」

「ええっ?!そうなんですか?!わ、知らなかった…!」

ほらこうやって、とリッドについた飲み口を引き上げ、飲み口に空いた空洞を見せると、顔を赤らめてリッドをはめた。おぼつかない手付きや様子を見て、何を警戒しているのかと自分がおかしく思えてくる。目の前にいるのは、年端もいかない学生であり、自分には及ばないがアンダーグラウンドな世界を垣間見ているだけの少年。
まだ温かいコーヒーを思い切って飲み下し、ほんのり甘い味にどことなく安堵してしまう。だが、警戒が完全に解けたわけじゃない。



「そういえば、帝人くん」


そもそも何故、彼はここを知っている?



「誰からこの事務所を聞いたんだい?」


お互いにコーヒーを飲み下していく。その口元を注視するよう真っ直ぐ見据えた臨也に、笑顔を崩さず帝人は見返してくる。 
柔らかな顔なのに、見ている臨也の肝を冷やすのは何故だろう。その顔の裏側に何かが潜んでいる、…まさか。だが、そんなそぶりは全くない、日頃から警戒しきりの性格だからだ、慎重になり過ぎてしまっている、だからか?
それだけじゃない気がして、そしてその警鐘は帝人の言葉で形を成していく。


「いいえ、僕が『自分で』調べたんです」





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