捏造長編

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夜の街の喧騒すら映さない、静かな学舎はただそこに在った。部活動に勤しむ生徒らはもうおらず、少ない外灯だけが校庭や校舎に影を落とす。近年何かと物騒になり、人力や機械のセキュリティに守られ、学生や教師以外を拒絶するはずの建物にも死角があった。裏の勝手口然り、屋上しかり。最早誰も使わないだろうと屋上や各階を繋ぐ非常階段の施錠が今日に限って地面に落とされていた。
屋上は学校という施設にしては広く、憩いの場としてベンチが置かれ、人工芝が一面に敷かれている。貯水タンクの形からまだ新しい学校だと見てわかる。そのタンクの側は街の灯りを臨める場所でもあり、学業にあまり真面目でない生徒らがそこでしばし隠れるように休憩できる。その模範例として、この時間なのに影を潜めて座り込んでいる人がいた。かつて同じ場所で、もう何年と前に同じ様に授業時間を惰眠で潰していた生徒だった男。

物陰に隠れ息を潜めているが、その呼吸は動いてもないのに浅く早い。駆け足で階段を昇ったのもあるが、それ以上に体力を奪っている由がある。季節感を無視したコートの下、華奢な身体を黒の上下につつんでいるが、腰にタオルのような布をぐるぐると巻いてそれを抱え込むように座り込んでいる。ファッションの一環ではなく、今朝早くに不本意に頂いた凶弾のお陰で、じわじわと体内から液体が滲み出てくるのを止めようとしているのだ。そんなに深くはないと楽観視していたのだが、移動中、それも逃げている立場から手当てもろくにできず、やっと血が止まるかと思ったが、動く都度傷口は熱と痛みを伴って疼き、開いては血を流す。
街を走りながらの応急処置も、無い体力に身体がついてこれず止血の処置も侭ならないでいた。

そして池袋という街に戻らねばならないのに、ふと懐かしさに駆られてこんなところに来てしまった。だが、遠目でもわかる喧騒からこれが身を隠す最良の場所だと思える。


暗い周囲を見渡し、あまり変らない懐かしい風景に、記憶は当時の事を思い起こしていく。

思えばここから始まった。

あの日、入学式のこと。新入生の自分が不自然にこの屋上に立ち、次々と来る他の新入生らを眺めていた。前々から噂が耐えなかったある男がどんな奴なのか高見から見つけてみたかったのだ。いろんな顔を見比べ、その姿を探していれば、誰もが屋上の人を見て見ぬ振りしていくのに、たった一人、堂々と睨み返してきた男。ーーーそれが奴だった。

出会う前からどんな奴なのか、どう自分の益に動かせばいあか、どんな手を使えば手駒にできるだろうかと楽しみで仕方なかったのに、実際に顔を寄せ合う合わせ、睨まれた時に確信した。

ああ、こいつは絶対ムリだ、と。

仲良くすることも手駒にすることも、だからと言って諦めることも。
誰もが彼を避ける中、唯一対等に渡り合えることに優越感を得たが、それだけじゃ満足できたわけではない。遠回りででも彼の力を利用しようとしても、変に鋭くてさぐに見抜かれ、自分につっかかり、また自分からも喧嘩をよく仕掛けた。なのに単純な罠に引っかかってそこらの馬鹿共と喧嘩させようが、ナイフでどんなに切りつけようが、果ては車に轢かれさせても頑丈すぎて大した傷すらつけられない。どうやって殺すか、倒そうか、貶めてやろうかと考えることでこの学校生活の大半を費やした気がする。そんな自分に誰もが、多分新羅までもが関わらないほうがいいと諭していただろうに、飽きることなく何年も殺してやると追い駆けてくる変り者。

いや、実際は彼が離れてしまっていても、こちらから仕掛けていただろう。彼と命のやりとりを交えた日時が、あまりにも馴染みすぎて、それがなくなる日々なんて考えることができず、つまらないとさえ感じてしまった。そんな変化が怖くて、だけども奴をなんとか仕留めたくて知らず躍起になっていた。
興味から堕ちていった裏社会に居坐るうち、確実に消し去る計画も算段も人脈も、すべて揃えられるしいつだってGOサインを出せば実行だってできた。なのにその一押しをいつまでも躊躇ってもいた。仕留めるなら自分の手でーーーそんなこだわりが通用する相手ではない。なのにこだわろうとしてしまうし、向こうにだってそう考えているだろう。つくづくおかしなものだと考えることに飽きてもまだ考えてしまう。

服越しに巻き付けたタオルの下、脇腹から生暖かいものがじくじくと滲み出していて、傷の痛みをよりわからせてくれる。うまく的を外し、掠めただけだったが少しばかり肉を削がれてしまっているのが悔やまれる。
遠くで鳴るサイレンがいつこちらに来るかは時間の問題だ。裏口から入ったとはいえ、人通りは少なくない。誰かに見られたなら不審者通報だってあろう。寧ろここの警備員が見回りでもくれば見つかる。怪我を負いつつずっと動き回り、走り抜け、緊張し続けていれば体力気力なんてすでに燃やし尽きている。やっと落ち着けて座り込んだまま、身体は動かず目を閉じればうっかり寝てしまいそうだ。傷口は痛みも熱も引くことなく、出血も朝に比べれば落ち着いただろうが、尚続く。
ヒッチハイクしたトラックの運転手が、顔色の悪さにしきりに病院に行くよう勧めてくれたが、急いで会いたい奴がいるんだと演技混じりに呟けば、大事にしろよ、と返された。恋人にでも会いたいと思ってくれたのだろう、人のいい運転手には感謝したい。大通りを外れて新宿郊外に下ろしてくれたし、水やタオルも代わりに買ってくれた。だが、居座った座席やスペースに血が多少なりついただろうから、今頃は警察に相談しているかもしれない。
横浜のあの組も、きっと襲撃も自分の謀略かと訝しんでいることだろう。しかし、東京にはまだ奴らを敵と見る連中は多い。これを機に一悶着起こりはするだろう。

あとは、これからどうするか。

このまま気を失っただの動けなくなれば警察が見つけて保護はされる。だが逃げ場はないのだから釈放されたならその場で殺されるだろうし、ここにいると裏の連中に見つかれば明日の朝、ここに死体が見つかるだけ。そうなると学校はいくらなんでも休みになるよなぁ、なんて呑気に新聞の見出しまで考えてもいた。
街はどうなっているのだろう。あからさまに自分に全ての矛先が向けられていたはずだが、仲の悪い連中同士でごちゃごちゃしているだろうし、警察もあちこちと振り回されているだろう。全てを見れないのが残念でたまらない。

疲労と貧血に力を奪われ、寄りかかった壁に頭を擦り付け、静かに目を閉じる。
ここで授業をやり過ごした頃は本当に毎日が毎日、騒がしかった。名前も顔も一致しない奴らと適当に過ごし、教師らを言葉巧みにそそのかして優位に運んで、からかえば面白い程執拗に殺しにかかる馬鹿。そんな有様を眺めては呆れて、でも何故かいつも連んでいた腐れ縁たち。懐かしい時間。
あれ?これって走馬燈とか言うんじゃ、と考えながらも目は開かない。極度の疲労と衰弱に、感じるよりもずっと身体は参っていた。
今すぐに顔なじみどもに助けを請いてみようか。何人かは手を貸してやろうとするだろうが、殆どは真っ先に銃口を突きつけてくるだろう。どんなに取引や信頼があったにしても、裏切る時は一瞬でいいものだ。それだから街中に行けなかったのもある。覚悟は決めていたはずだが。

マークされているであろう腐れ縁らに縋るわけにもいかない、双子らもこれ以上巻き込むわけにもいかない。
大きく息を吸い、ゆっくり吐き出してやっと視界が暗闇の屋上に戻った。

虚ろに街の灯りを眺めて、そこに居るであろう多くの人々を思い出しても、誰も留まらない。一様に扱い、利用し、情をかけてきたけれど誰もこちらを振り向きやしなかった。
それが意味することに気付いて、ふっ、と力無く臨也は
笑った。

ーーー俺ってやっぱり独りだったか

初めて孤独感を目の当たりにし、カタカタと体が震え出す。失血のせいもあるかもしれないが、このまま独りで死んでしまうと考えたなら、意識もしないのに震えが襲う。らしくない、と強がるように笑い、痛む傷をタオルの上から押さえつけていく。最早止血するほどの力が入らない手を血がじわりと湿らせる。

北欧じゃあ、こんなときにデュラハンが現れるもんだよなーーー

少しずつ忍び寄る死の気配に、成す術なし、と諦めが広がる。だが、どうしても死ぬなら遣り残したことがある。
まだ静雄をぶん殴ってない。息の根もとめないといけない、決着つけるため、その為にここまで戻ってきたというのに。
悔しくて噛み締めた歯が軋む。吹き付ける風がより冷たく感じて震えも増してしまう。このままだと本当に死体が出来上がりそうだ。
ここまでか……案外、頑張れた方だよな。
想定していたよりもずっとうまく事を運べてきた。静雄を仕留め損なっているのが心残りだが、今頃は自分と並んで追われていてもおかしくない。鉛中毒になって死んで貰おう、その姿を見れないとは残念だけども。

傷の痛みに項垂れ、寒気で身体を丸めながら再度長く瞬きをして目を瞑る。走馬燈でも灯すか、と考え出した刹那、どこかで馬の嘶きが反響した。





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