妄想長編

□後編
1ページ/4ページ





夕方、散々各地で殴りかかり、投げ飛ばし、跳ね回っていたが、そこに出前の帰りというサイモンが二人を捕まえて鬼ごっこは終了した。
走り回ったことで疲れ切った二人も、サイモンを振り払ってまで暴れる気にもならず、引き摺られるまま露西亜寿司ののれんをくぐった。

おしぼりで顔や手を拭きながらも、隣どうしというのにもう一人、その間に座れるぐらいに空間を空けてカウンターにいた。
そういえばお互いに道や背中、顔しか見てなかったが、時刻はとっくに夕飯どきに近い。どれだけ走り回っていたのだろう。こんなに長い事走り回ったのは高校時代以来だ。

その頃を思い出しつつ、差し出されたビールで口の中を潤して一息つく。空きっ腹と運動の後だ、ぐらぐらとアルコールが全身に巡って行く。
臨也も静雄も、注文を聞かれなくても勝手に出てくる寿司盛りが、長年のこの店との付き合いを思わせる。
腹が減るから戦をする、というサイモンの自論から喧嘩を止められるとすぐにここに引きずりこまれていた。年数はなくても頻度は多かったために、常連になるし、味も覚える。
臨也は好みのトロ尽くしな寿司に、静雄は彩り鮮やかな寿司盛りだ。お互いに無言で食べ進め、時折サイモンの厳しい目線に肩を竦めるだけ。むかつくのと疲れたのでビールも進むが、何だか味がしない。

やがて、大トロをもそもそと食べる様子にサイモンが大袈裟な手振りを交えて嘆きだす。

「イザヤ、今日ノトロはベラボーニ高いネー、マズく食べラレたらマグロ輸入ストップシチャウネー」

「……もう条例否決されたじゃん…どう食べようと人の勝手だし」

好物だというのに何だか味が遠い。空気が重いからかな、と隣にいる男を見やると、意外にも静雄は笑うのを堪えて肩を震わせていた。

「……………何さ?」

「…いや、何でもない。トロしか食べないとか他の寿司にも失礼じゃねぇかと思ってな」

「いいんだよ、食べる量より質。少しで腹が膨れるなら高くて美味くて贅沢したいもんだし。マグロも感謝してるさ」

「減らず口を聞くとやっぱりイザヤなんだがなぁ…」

「……次そういう事また言ったら殺すよ?」

「酔っ払いの言葉と思って聞き流せ」

そうして男二人、ちまちまと箸を進めてビールも空けてと、満腹感とアルコールに気が緩んできた。だんだんと良い気分になった臨也が、意外と酒に強い静雄に向く。

「……でさぁ、シズちゃん、シズちゃんの中では俺が女で、お付き合いしてるんでしょ?きっかけとか、なんかあんの?」

臨也には、静雄は痛い妄想を抱えて生きている、という認識なのだ。実例が二人も、ごく身近で妄想に取り付かれて生きているのだから仕方ない。目が赤く充血してるが、酔いが見た目にでていない静雄は、つっかかるような臨也の言い草にムカつきながらも、グラス片手に喋り出す。

「きっかけなんて…どうかな。信じられないかもしれんが、この前まで本気で殺してやりたいぐらい憎んでいたはずなんだがな」

「……まさかそれで恋愛になると思えないんですけど」

「知らねえよ、最初に告ってきたのはイザヤだからお前に聞きたいぐらいだ」

ガタンと派手に音を立てて、カウンターの椅子から滑り落ちてしまう。背中と尻を強打しても、その言葉によるショックの比じゃない。
打ちつけた箇所をさすりながら、よろめきつつも椅子に座り直してみる。だが頭はぐるぐるとショックで掻き回されていた。

「お、俺…や、そのシズちゃんが知っている俺が??シズちゃんに???…どんだけブッとんだ妄想なのそれ」

「……妄想だと思うならそれでいい。ムカつくけどな。まぁテメェは徹底した現実主義者だから絶対信じないとわかってる。テメェが知ってる俺の苦労が目に見えてきた…」

「確かに今日のシズちゃんの雰囲気から別人だと思うけどさぁ、どうもその妄想は頂けない…日頃からそう考えていたとかも思えないけど」

「……実際に俺には現実なんだよ」

「だからどーいう…そんなまさかSFみたいに、同じ時間軸で違う可能性の結果で、俺が女であるその世界では俺が、シズちゃんを好きで、付き合って、結婚なんてさぁ…本気でどう転がっても考えようと思い付けない。だってずーっと俺はシズちゃんを憎んで嫌がらせしてどう抹消してやろうか考えてんだよ?」

「俺こそイザ…あいつが告白してきた時は何の冗談か、またよからぬ企みでもあるのか、と思った。散々振り回されたからな。だから拒絶してそんな事言わなくなるまでとことん無視しようとした」

「うん、まぁ、利用できるならしたいもんだよ。シズちゃんのその力とか」

「無視して追い払って、それでもあの馬鹿は信じてくれって縋り付いてきた。でもどうしてもあの馬鹿の顔を見ていたら色々と悪い過去ばかり思い出してしまう。それが嫌だとハッキリ言ってな」

「褒められた事はしてないからな、俺は…その女もそうなるのか」

「……でもな、それからあいつも諦めたのかしばらく何の音沙汰もなくなって、これで精々したと思ったんだが、顔を見なくなってもやっぱり苛々するし、ムカつく。何でだろうと考えたら、時間かかったけどわかってきた」

いつの間にか客は静雄と臨也以外にいなくなっていた。いつもと違う雰囲気で、いつもよりもずっと和やかな2人を気遣ってだろう。そんな外人の板前らの配慮に気付かず二人は黙ってビールを飲み続ける。

「俺は、あいつに色々仕掛けられたから暴力に走ってしまったと思い違いして罪を全部あいつに被せて、見ないふりして逃げようとしていた。確かにあいつも悪い、必要以上に暴力や喧嘩をさせようとしてきたからな。だが、そこを我慢せずに力で押し切った俺も悪い。俺が憎いのは俺自身だけで、それに比べたらあいつなんてまだマシじゃないかって」

静かな強い言葉は、酒に浮つく意識にすっと切り込んでくる。こんな事を言えるなんて、と臨也は硬い顔をした静雄の顔を凝視してしまう。

「どれだけ冷たくしても、どんなに無視して力を振り回しても、あいつだけはまっすぐ俺に向かい合ってくれていた。怖がりもしないで。この力があって俺なんだと受け入れてくれた。女に手を挙げる事はなくても、下手したら大怪我させてしまう事ばかりしてきたのに。それに…あいつがからかってこないとどうも淋しくてな」

酒だけじゃない顔の赤らみを見せてビールを煽る静雄の横顔が、今まで見た事ないほど落ち着いて見える。隣に居るのは確かに静雄なのだが、話だけだと別人すぎて落ち着かない。だが、時折向けられる言葉が温かくて、惚気話というやつがこれか、と納得してしまう。どことなく大人びた印象があるのは、その惚気られる理由かなと思ってしまう。

「………ご馳走様なお話なんだけど、本当にその彼女は変り者だねぇ。シズちゃんみたいな怖くてムカつく男を何年も好きとか。一途なんて俺なら有り得ないけどね」

何となく自分の事を言われているような感覚があるが、やはり妄想の産物よろしくやはり別人を創り上げてしまってるんだと哀れんでしまう。自分が女だったらと考えても、一途にそんな何年も一人を追い掛けるなんて事は…

「それならとっくの昔にお前は俺を社会的にも消して池袋でも新宿でも自由に動けるだろう?いくら俺が強かろうとしぶとくても、本気出してやればなんて事ない。もしも俺が、お前のいう事ややる事を無視して受け入れてたらどうする?」

「は?」

「お前のその、無意識に俺に構ってもらいたいって気持ちを受け入れてやったらお前はどうするといっているんだ。まだ殺意丸出しで街中で恥ずかしく喧嘩するか?それとも素直に歩み寄るか?」

何を馬鹿な、と睨み付けたその顔は優しく笑っていた。静雄が臨也に、いや他の人にもそんなに穏やかに笑う事がなかった。落ち着いて臨也の目を見つめるその瞳は心の奥底まで見透かしてしまっているようで、どんな言葉も言えなくなってしまう。
たじろいで必死に考えて考えて、結局黙る格好のまま、俺はシズちゃんにいつも何を求めていたのかと言葉が過る。

「……二人の在り方なんていくらでも変えられる。過去何があったかなんて変えられないが、一つ見方を変えたらあっという間に変わる」

低い静雄の声が胸に響く。これはシズちゃんじゃない人だと思える程に穏やかだ。臨也に諭すなんてあり得たことではない。だが、この隣で静かに酒を飲み進める男は全てを見越してしまっている。

「……何年もいがみあってんだよ。そんな今更ーーー」

「お前だけじゃなく俺も変らないといけない。あいつも何年と時間がかかったんだ。お前ほどの天邪鬼は不器用なりに気付いて変わればいい。……俺もな」

うまく反論できずにたじろぐ臨也を、その胸中すら見透かしているような笑みを向けられる。面白くなくて舌打ちしつつそっぽを向くことで逃げた。

「ほんとうに、シズちゃんはムカつく」

「はは、言い方はそのまま同じだな。……ああ、ていうか、俺、明日には戻れるのかな…」

力無い笑みのあと、すっと暗い顔をして昨日打ちつけた頭をさする。まだ痛むらしい。

「このまま男のお前と付き合う事になるのは少し頂けない…ましてやまだ素直じゃない頃のイザヤとか…」

「……おい、冗談でもそんなこ」

思わず反射的に殴ろうとしてしまって体が止まった。目頭を押さえて項垂れた静雄の様は、まるで。

「……何?泣いてんの?もしかして」

「馬鹿か、眠いだけだ。……あいつを思い出したら眠くなってしょうがねぇ」

「……珍しいもん見せてもらったよ。女一人に泣いているとか」

「………悪いか。特別すぎんだよ、あの馬鹿は」

そして静雄がしばらく目を押さえる間、臨也は落ち着かなく酒を煽る。だが頭のどこかで、そんなに深く想われているその女は大層幸せ者だと思ってしまった。
誰かを慕って、慕われるなんて仕事でも嫌気がさすというのに、一番厄介だからとあえて恋愛事は避けて避けて避け続けた。もしもそう、特別だと言い切れるほど大事に思える相手ができたなら自分は良くも悪くも変わるだろう。

「………あのさ、俺は男だし、付き合うとかそんなのは本気でお断りなんだけど」

目から手を離した静雄は、項垂れたまま顔を上げない。目元を見られたくないような素振りで酒に手を付ける。

「まぁ、時々、ごく稀、気が向いた時、奢ってくれるなら酒の一杯だけは付き合ってもいい」

「「ただし何も喋らないなら」」

臨也の声と静雄の声が有り得ない程ピッタリと重なる。驚いた臨也がその手にしたコップを落としかけてしまう。それを眺め、目元を赤くした静雄がニヤニヤと笑った。

「……あいつが俺と付き合う前、言った言葉だ」




次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ