妄想長編

□後編
2ページ/4ページ







なんだか酷く疲れてしまって、日頃飲まない酒を勢いに任せて煽ったお陰で酔いも回る。今日はずっと振り回されて次から次に理解し難い事を聞かされた。頭がぐるぐると回るし痛いし気持ち悪い。露西亜寿司を出てから公園に座り込んで、しばらく酔い覚ましをしようとふらついていたら、何故か静雄までついて来る。
帰れよ、と思いながらもそんな気力すら湧いてこないし、いつの間にか買ってきた水を手渡されて文句一つ言う隙さえない。
結構な酒を対等に飲んだというのに、あまり酔ってない様子でやはり煙が届かないように離れて煙草を吸っている。その余裕ある雰囲気なんて初めてで、肝臓の耐久力も含めて何だか負けた気分になる。釈然としない。

「帰れるか?」

「……子供じゃないし、平気だよ。送っていくとか言うなよ」

「そりゃお前次第だ。酔っ払いを放置して世間様に迷惑かけたらどうすんだ」

「なんだかなー…もう俺は誰と話しているのかわかんなくなってきた…」

声や姿はよく知るあの静雄なのに、言葉や雰囲気は全く知らない人だ。大人びて余裕あって、端々に文句やからかいの言葉を投げかけても、あっさりかわされてしまう。日頃なら全部、しかも割増して受け止めて自販機でも投げ返してくれるというのに。調子を狂わされるのは好きじゃない、早く離れたいと思う傍ら、ちょっとだけ話したいとか思っているが。

「……ああもう、今日ほど俺は思い出したくない日だよ…昼頃からずーっとシズちゃんと居てわけわからんこと聞かされて、連れまわされて…結婚式場なんて二度と行かないよ」

「ちょうど一ヶ月後に本番なんだ。今日は打ち合わせだったはず。いつも俺が打ち合わせ忘れてしまって、キれられるんだが」

「……もー、ほんと、どんだけ妄想は広がってんの…俺はついていかないし、聞きやしないよ?」

「妄想なら妄想だと割り切ってくれ。多分明日からはいつも通りの俺かもしれん」

そう言って昨日珍しく蹴りを入れた頭の後ろを軽く撫でながら、手元の煙草を空き缶にねじこむ。そう言えば頭を強く打ち付けたからこうなったんだった。

「あー…そういや頭にガッツリ食らわせていたよなぁ。妄想癖以外は大丈夫?アレだったら格安で名医を紹介するけど」

「明日もおかしかったら頼もうか。……妄想は無くならないだろうけどよ」

「……妄想にしては痛すぎるし、生々しいけどさ。本当に映画みたいな事ってあるのか…?」

「映画?別次元のなんとかって話か?」

「うん、かなりサービスして百歩一億歩譲ってその話が事実で、今のシズちゃんに起こっていると仮定しよう。彼女ができて結婚まで考えているシズちゃんなら、今日一日のなんか余裕ありありな雰囲気とかやたら涙脆いとかまぁ、考えられん事じゃない」

体内の酒を薄める為に、飲み下す水がやけに冷たく感じる。呂律が怪しくなりながらも、臨也はペットボトルを教鞭の如く振り回す。

「涙脆いは余計だ、お前は絶対言いふらすだろうが勘弁してやれよ。……まぁ無理な話か」

静雄の言葉に軽く頷き、明日から誰に静雄の涙脆さを語ろうかと考えてみたら何か楽しくなってきた。ペットボトルの教鞭を真っ直ぐ静雄に向けて言葉を続ける。

「そこで俺は考えた。じゃあ俺が知っているいつものシズちゃんはどこに?……今ここにいるシズちゃんから考えればーーー」

「まあ、間違いなく俺がいたとこにいるんだろう。今頃は女のイザヤとこうして話しているかもな」

「………自分で考えていながら辟易してくる……こっちと向こうじゃ出来事もリンクしているのかな……」

そう言いながら静雄の掌があてられている頭の後ろをじっと見上げる。昨日と同じ箇所だ。

「昨夜は、お前仕事に行こうとして喧嘩になったか?で、俺が投げた標識を蹴り下ろして頭にぶつけたか?」

「ああ、そうだよ。約束の時間だってのに執拗に追い駆けてさぁ。ギリギリで行動するとか信頼に関わるというのに。……あー、ムカついてきた」

思い出して忘れてた苛立ちが蘇ってきて、舌打ちした臨也とは裏腹に、驚いて固まってしまう静雄。

「なに、どしたの」

間抜け面で臨也を見ているものだから余計落ち着かない。段々と酔いが覚めてはきた。

「……ああ、やっぱり出来事とかは同じなんだな。俺らもお前の仕事が絡むといつも喧嘩してきた。昨日は、いつお前が仕事を辞めるのかとヤケに問い詰めて喧嘩になった。いつもは適当に切り上げるんだが…」

「……ふーん、俺の仕事ねぇ。そんなシズちゃんがいくら辞めろと言ってもじゃあ辞める、なんてできないよ?裏稼業だし、繋がりもある。飽きた疲れた結婚しますって穏便に辞めれるなら苦労しないよ」

「……そうなんだが」

随分と前に、似たような言葉を聞いたな、と静雄は思い出していたが目の前の男の言葉は彼女の言葉よりすっと頭に染み入ると感じた。

「まだシズちゃんは堅気に戻ろうと思えばいけるかもしれないけど、俺はどっぷり浸かっているし、辞めるというなら明日にはバラバラになった俺がコンクリートから出てくるよ。タイミングとか時間とか、待たないと無理に決まってる」

淡々と話すわりにはその顔はやけに真剣なものだった。思い詰めているような表情。火をつけてない煙草を掴んで、その顔から何かを気取った静雄が、その顔を見据えて口を開く。

「……お前は堅気に戻りたいと思った事あるか?」

静かな、穏やかな声だった。今まで誰も臨也に聞いたことはないだろう。闇社会の水こそ最適だと言わしめる程に街の裏に馴染んでしまっていたからこそ。
それに、臨也も考えたこともなかった。どんどん闇に沈んでいく身を寧ろ喜んでいたぐらいだ。真っ当に生きている人々を退屈そうだなと哀れみこそすれーーー

「……ないよ?退屈じゃないか。戻るつもりで中途半端に足を突っ込むぐらいなら最初から近寄らない。金にはなるし退屈しない、あれこれ見れるからね。自分から辞めるなんて土台無理」

さっくりと答えてみたら、静雄は何だか悲しそうな顔をして、そうか、と納得していない呟きを出す。スリルを味わいながら人間模様の観察ができるなんて最良の生業だ。長年と続けていて飽きることもなく、潮時もない。何故だか思い詰めたような様子の静雄から視線を泳がせ、辺りを見たならカップルたちが並んで歩き、臨也にしてみればくだらない話題に夢中なのだろう。彼らはどこのヤクザが誰を殺して、どんな薬物を扱い、どこの警視庁長官と繋がっているのかなんて知らないーーー

「……だけどさ」

ぽつりと、本当に何となく思い付いただけの言葉だった。日頃思ったこともないはずなのに、何故か口から漏れていく。酒で何かが緩んだのか。

「堅気のままの生活ってどんな感じだったんだろうな」

常に命の心配をしないでいい生活なんて、想像もできないほどまで堕ちてしまった。その言葉に静雄の目が臨也に向けられ、僅かに緩むと煙草に火を灯す。言葉を返すこともなく、ぼうっと噴水の水音だけを聞いて、何かを考え出した臨也を遠目で見ていた。

「…そろそろ俺、帰る。酒も抜けたし」

何だか急に変な事を考え出してしまった、どうしたら穏便に辞めれるかなんて。ああして、こうしてなんて何で俺が考えないといけないのだろうか。一晩眠れば忘れるだろう、半ば慌てて立ち上がると、静雄がじっと何かを言いたそうに見えた。

「それじゃ」

そう言って顔をまともに見ないで帰ろうとすると、おい、と短く呼び止められる。

「お前さ、俺を警察に突き出してからちょっとして池袋に来ただろ?半年か、それぐらいして」

「……ああ、あの時か。何、思い出してムカついてきた?」

「や、確かにムカつくけどよ。あの時お前はどうして俺を探していたんだ?」

「………え?」

「しらばっくれんな。偶然会ったフリして実は池袋中捜し回っていたんだろ?なんでだ?そこまでして一言、無実なんて残念、なんて言いたかったか?」

そうに決まっている。あっさりと無罪になって出てきた後、変わらず池袋で堂々としているなんて聞いて。やっと新宿の拠点がうまくいきだすまで待ってから顔を見に行った、それだけだ。それからまた喧嘩するようになってしまったけれど。

「なぁ、臨也。もしそこで俺がお前を無視して喧嘩なんて始めなければ、それはそれでいいと考えたか?俺を放っといていたか?」

「……何が、言いたいのか…」

「相変わらず名前を読んでくれるかどうか不安だった、謝ろうかと…考えていたんじゃないか?」

息を飲んでしまった。図星だとまさに言わんばかりに。さっと顔が熱くなる、どうしてそんな事を、と言葉がでてこない。喉で声は止まってしまう。

「素直になることは一番難しい、俺は本当に鈍いぞ。そのまま意固地になっていたら本当に呆れてお前を無視するかもな。少ない友人は大事にするもんだ」

「……馬鹿じゃない?」

静雄が?いや、違う。臨也自身もか。

「まぁ時間はかかるだろうががんばれよ。お前が変わったと分かれば、俺も変われるはずだ。二度と今の俺とは会わないだろうから言っておきたかった」

そう言って背を向けてしまった静雄の背中が霞む。そうだ、こんな風に諭してくれる奴なんて今までいなかった。欲しいとも思わなかったけれど、静雄だったら馬鹿に危険な橋を渡る自分をどこかで止めてくれるのではないか、なんて期待していたんだ。

それが遠くに憧れた友人っていうものだと。

離れていく背中に、思わずいつも通り罵倒したくなったけれども、名前が言えずにおい、とだけ叫んで呼び止めた。

「……仕事を、同業者に跡継ぎさせたならうまく堅気になれるんじゃないかって俺は、考えた。あとはその女に任せて待ってやれよ」

肩越しに振り向いたその顔は笑っていた。そして臨也の言葉に目を細め、ありがとよ、と口を動かされる。別れの意味で手を振る静雄を見送る事なく、新宿までほとんど走って帰っていた。

まだ残っていた酒が、走った為にまた頭の中をぐるぐると掻き乱して、言われた事や口に出した事を落ち着いて考えれたわけがない。汗を流すだけのシャワーを浴び、倒れ込むようにベッドに入ると、顔を枕に押し付けて何かを押さえ込むように眠り込んで行く。

だが、不思議と、胸の中はやけにすっきりして心地良い疲れを感じていた





次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ