戯言短編

□桜のこゝろ
1ページ/2ページ

桜が舞ふ。

このうららかな日和にはらはらと、桜の雨が舞ひ落ちる。儚くもうつくしい雨が降る。

そして来年もその次も桜は咲いては散り行くのでさう。
それは悲しき事ではなく待ち遠しい別れ。
なのに私は、散れば二度と桜を愛でることはない。
貴方のその手に触れる事はない。 

それが悲しいと言えば貴方は笑つてくれるだらうか




櫻のこゝろ




時は昭和、世界を敵に孤立する一国。
日々激しくなる戦火に、疲弊しきった国民はその先にある勝利に夢見、すがりついて苦境を耐え忍んでいた。
国力や資源力を考えれば、あからさまな劣勢だと言うのに、統制力と誤魔化しの言葉で人々を鼓舞し続けて闘い続ける。
若者が次々と軍服を纏い、散って行く。
そしてその若者の一人、平和島静雄はいよいよ迎えた出兵を前に、与えられた自由な時間をどう潰そうかと思いあぐねいていた。

「やぁ静雄、こんなところで何をしているんだい?」

「……見ての通りだ、何もしてねぇ」

見事な桜の巨木がある病院で、紙巻き煙草をふかす静雄に声をかけたのは、軍医でもある学友の新羅だ。戦地に赴く前に隣町が空襲に遭い、怪我人が多く運ばれてきたことを受け、出兵を逃れたのだ。多くの人間ならばこの時下、不名誉だのと言われ口にするだろう。しかし、静雄も新羅も、どこかでこの戦争は無意味だと考えており、声を大きくできないがお国のため、なんて露にも思えていない。国の威厳だ尊厳だと大義名分を振りかざし、殺人や破壊を繰り返すーーー愚かしい事だ。
死にたくは確かにないが、この時代に生まれついたからには鉛玉や爆撃で死ぬことも仕方ないと半ば諦めている。新羅こそ病院という狙われやすいとこにいるため、いつ敵機が爆撃するかわからない。ましてや。

「最近さあ、薬や包帯の支給より手榴弾や毒薬の支給が多いんだけど、これってどうよ?敵機より入院患者の方が僕は怖いよ」

「いつ本土に敵が上陸するかわからない…だろ?向こうは空からいくらでも攻撃できてるんだ。味方が自害する前に爆弾落してくれるだろ」

桜の木の向こうでは、子供らが枯れ枝を手にしてチャンバラごっこを繰り広げている。無邪気な笑顔で愛国心を叫び、敵国を呪うなんてあまり好ましくない。

「敵だ味方だ…悲しいね。この前まで仲良くしていたんだかなぁ」

「…お前は特にな。彼女はどうしているんだ?」

「セルティかい?…事情を知っている住職さんが匿ってくれている。袈裟着て、怪我したって言って顔を隠しているから大丈夫とは思う」

新羅は幼い頃から海外に幾度か渡り、父親について医学を学んできた。その中でセルティという留学生と出会い、新羅の家に居候しながら医学を共に学んでいた。だが、この戦が始まる前からセルティを刺客だ敵だと周りが言い出し、何とか彼女を母国に戻したかったが、離れ難い関係になっていた新羅とセルティは、拒絶した。
母国よりも長く過ごしたこの国なら、死んでも悔いはない。そう笑ったセルティを、昔から縁のある寺の住職が匿うと言いだしてくれている。

「もしも今空襲されたなら、僕は患者を差し置いて彼女のもとに走るよ、悪いけど」

「こっから寺まで遠いもんだがな。そうしてやれ」

「で、静雄は?彼女とか嫁さんとかまだいないの?」

「お見合いだとか適当に言われたが、気乗りしなくてな。死ぬ前の思い出とか未練残っちまうだろ」

「あはは、それなら淋しく独りで散るんだねー何て嘘です冗談ごめんなさい」

静雄が睨みつけた瞬間、俊敏に後ずさりし、白衣姿が地面に土下座して小さくなる。静雄は昔から短気なところがあり、拳が早いことでも有名だった。喧嘩もチカラも強く、戦地では素手でも戦えるんではないか、と新羅は思っている。

「だがよ、考えたら死ぬ時は誰でも独りだよな。せーのって死ねたらそれはそれはすごいが」

「自害していった人達も、独りだったのかな。やだねぇ、寂しいもんだ」

眼鏡についた土埃を払いながら、ふと新羅が病院の奥にひっそりと建つ別棟を見やった。
そして静雄に指してみせると、困った顔を無理に笑みに変える。

「生きていても独りな馬鹿もいるけどね。静雄、学生の頃によく喧嘩していたあいつ、覚えている?」

「……学生…」

静雄の性格から喧嘩をいちいち相手を覚えて買ってはない。よく因縁をふっかけられて売られたり、腕っ節の強みで喧嘩を仕掛けてこられたりと忙しかった。だが、圧倒的に強くともあまり暴力を好まなかった。それなのにやたら毎日のようにつっかかり、からかう馬鹿がいた。

「……確か、折原…」

「そうそう、覚えてたんだね、よかった。実はあいつ、ここにいるんだ。空襲の怪我とかじゃなくて…病気なんだけど」

ほんの前の話だった学生時代も、今は遠い平和の日々。多くの学生が自分のように出兵したが、その生死を気にかける程縁深い奴は思い当たらない。静雄は喧嘩っ早くその力があったからにどこか孤立していたし、唯一風変わりなこの軍医と、その折原ぐらいが常に周りにいた。

「このご時世に病気か。肩身狭いだろうよ。羨ましがる奴もいるかもだがな」

子供らの元気のいい軍歌が聞こえる。意気陽々と歌う姿を目を細めて見る。

「本人はいたってあの頃のまま、飄々としているけどね。だけど…あんまり芳しくないんだ。結核、みたいでさ」

暗い顔をするのは医者としての見解からだろうか。碌に物資もない今、満足な治療ができないことにも憤りを感じるのだろう。

「そうか……俺がどうのと言えたもんはないが」

「僕もあまり何かできるわけじゃない。そうだ、静雄、よかったら顔、見せてやってよ。簡単に結核移るもんじゃないし、君は人より頑丈だ。あいつの家族も遠くに疎開してしまったし、退屈してると思う。減らず口を叩くだろうけど…」

「何で俺が?あの野郎の顔を見たら殴り飛ばすかもしれねぇぞ」

少しずつ、折原にしてやられた事を思い出して行く。子供の悪戯みたいな事から命の危険に晒されたような悪巧みまで少しずつ。
すれば病人だろうとなんだろうと、顔を殴りたくなっていくのが摂理だろう、静雄には。

「まぁまぁ、それならそれでいいや。向こうも君の顔を見て病気でも吹っ飛ばして戦地で散ってくれたらいいんだけどね。どうせ暇だろ?後で闇市で手に入れた日本酒あげるから」

「……気は進まねぇが、殴ってもいいなら、少しはいいぞ」

そう言ってもあまり足取りは軽くない静雄を引き摺るように、新羅は別棟に歩いて行く。ざわざわと桜の枝が揺れても、花びらはまだその枝に留まる。散るにはまだ早い咲き盛り、花の香りよりも物々しい雰囲気が漂う時代。




次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ