企画物議

□拾損物
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ーーーやがて、遠くから怒号が聞こえる。遅かれ着いたスーツの仲間らだろう。

臨也の両腕を自分の首に回し、顔を肩に乗せ、力無い体と向かい合うように抱き抱える。背負うと背後から狙撃されたらお終いだ。意識がないなら抱き抱える格好こそ好都合だ。
しかし、傷付いた左腕は力が入らないのかだらりとさがり、白く細い指先から地面に赤い水滴を落としてしまう。あまり猶予はないが、このまま真っ直ぐ新羅の家に行けば、確実に追っ手をお客さんとして迎えさせてしまう。

怒号や足音がそこの角まで迫り、臨也を抱えたまま力強く地面を蹴り、駆け出す。バーテン男の力も知らない余所者に、池袋の路地裏はそう優しくない。
苦し気な呼吸が静雄の肩に当たり、じっとりと湿らせていく。気が付いたらなら、きっと振り切って自力で逃げようとするだろうから起きる前に、どうにか撒く。
複雑な路地裏を駆け抜けては雑然とするゴミ箱らを飛び越え、背後からの気配が無くなるまで撒き続けた。
だが、いくら地の利があろうと怪我人を抱えて走っていれば体力や俊敏さに影を落とす。しかも昼間っから銃を撃つ連中だ。警戒しながら走るのは容易じゃない。

撒いたと思えばまた方々から怒声が聞こえ、いい加減にしろよと臨也を抱え直しつつ走り抜けた。だがこのままでは埒があかないと、何かを思いつき、一つの雑居ビルに飛び込み、上へと駆け上がった。

「いたぞ!」「あそこだ!!」

わざと目に付く外階段で数階上がった後、全員が必死で追い掛けるのを確認し、急ぎ屋上に向う。階段を駆け上がる揺れで傷口が開いていそうだが、精一杯肩を自分の胸に押し付けて出血を少しでも止めようとする。

ーーー何で俺、こんな必死なんだろうな。

長い事走り回って足はガクガク震えるし、ヤクザに目をつけられて平気な身分でもない。差し出せと言われて差し出しても何ら支障はないし、寧ろ自分の手を汚さずノミ蟲退治ができて万々歳なはず。
トラウマを思い出し、過去の贖罪に充てたかったのか、それとも助けて貰ったと思えたからか。

ーーー変なもん拾っちまったなあ。

よくわからないまま必死で抱えた臨也を庇って逃げて。本当に下手に拾い物をするもんじゃない、警察にでも持っていけばよかった。だが、乗りかかった船みたいなもの、ましてや自分の顔を覚えられても困る。

長い階段を経て、屋上に足がかかる。地上よりも強い風が浮いた汗をすぐに乾かしてしまった。陽の光に目を細め、ゆっくりと階下を確認し、目的の物を目先に確認するとその方角に歩み寄る。

呼吸を整え、騒がしくなる階段付近に警戒しつつ、力無く静雄に身を委ねている臨也を強く抱き抱え、囁く。

「捕まってろーーー落ちても知らねぇからな」

意識があるかどうか確認せずに呟いたが、背中に垂れていた右腕が、静雄のベストをぎゅっと握り締めてきた。

もう逃げられないーーーそんな声が色んな言葉で複数重なる。


ーーーおいおい、ここは何処だと思っているんだ?

階段を背にして立ち群がる男らを、そんな言葉を込めて皮肉に笑う。追い込まれているのに余裕の笑みを浮かべた静雄に物怖じしてか、男らは誰も手にした凶器を向けなかった。だが、一人が近寄ろうと足を動かした瞬間、静雄はくるりと足を変えて、勢いよく走り出し、その長い足を鉄柵にかけ、大きく跳ね飛んでしまう。


ーーーここは池袋という俺の街、なんだぜ?



何も無い空中に、いきなり身を投げたなどまさかの事に怒肝を抜かれた面々の情けない悲鳴が背中を押す。すぐに動けなかったが慌てて鉄柵に駆け寄った一同が目にしたのは、目下にある別のビルの屋上に難なく降り立ち、走り去るバーテンダーだった。
狐につままれたような顔をした一同を、現世に意識を戻したのは、重装備をした警官らの笑顔だった。



ようやく追い駆けてくる連中がいなくなり、それでも人通りがない通りを進む静雄は、抱えているお荷物を誰にも見られたくないと思うからで。このまま行けば新羅のマンションの裏手に出られる道筋だった。
走り抜けた疲労感にお荷物を放り投げたいが、今しばしの辛抱だ。片手で臨也の体を抱き抱え、ポケットを探るが手に当たるものがなくため息を漏らす。

「……煙草落としちまった…まだ開けたばっかだったのによ…てめぇの所為だ、新しく買え」

身動きしないお荷物に忌々しく言うと、重っ苦しい溜め息が聞こえ、掠れた声が肩に響く。

「………普通さ、怪我人運びながらタバコ吸おうとしないだろ…誰の所為で怪我したと……」

「あいつらだろ?それもお前がヘマしてっから追いかけられたんだろうが。俺は偶々お前を拾っただけだ」

「クソ重い自販機投げつけたくせに…足も超痛い……絶対折れた、絶対折れてる。畜生シズちゃんなんか超キライ」

「そうかそれなら池袋にテメェが来る事なくなるな。俺としては結果オーライだ」

「ああもう……なんでシズちゃんをあの時突き飛ばしたんだろ、自分が嫌になる……」

「なんだお前、やっぱり俺を助けようとしたのか?………へぇ」

今にも声をあげて笑い出しそうな含んだ口調に、抱きかかえられているお荷物が焦ったように身を硬くしてたじろいでいた。その様がますます可笑しい。

「?!ち、ちがっ…!誰が!!どっかの馬鹿が自販機抱えて往生してるもんだから、突き飛ばせば自滅してくれそうで、うまく行けば弾がシズちゃんに当たりそうだったし!勘違うな!………」

ぎゃあぎゃあと騒がしくいつものように捲し立て、最後に締めくくりとしてせせら笑うはずが、くたりと力尽き項垂れてしまう。急所は外れているだろうが、日常じゃあまりできない傷だ。ダメージは小さいはずはない。そのまままた意識を無くせばいいのに、と呆れながらも途中で見つけた自販機で煙草を難なく購入する。

「……ちょっと……マジで怪我人なんだけど……」

「気にすんな、俺は道に落ちてた荷物を闇医者んちまで運んでいるだけだ。荷物は荷物らしくじっとしてろ」

臨也の頭の横でライターがかちりと鳴る。すうっと静雄の胸が精一杯膨らんで煙を吸い込むと、長い長い息が流れていく。
旨そうに煙を愉しむ静雄だが、担がれている臨也は傷口がじんじんと痺れて熱を持ち、今にも意識を落としそうなのだ。切羽詰った奴の隣でのんびりと煙草を燻らせられたらそれはそれは、キれる。

「……シズちゃんねぇ…いくらなんっでも、煙草は……っ!くっさいし、勘弁……」

力が全く入らないのに感情だけがぐるぐる目を回す。いや失血で目眩がするのだろうか?もうどうでもいいや。

「心配して欲しいってのならそう言え。ずっと吸いたくて我慢してたんだよ、十分な配慮だろ」

ぐるぐると、目を開けていられない。煙草の匂いが鼻につく、嗅ぎなれてしまった匂いだ。高校時代から変らない匂いだ本当に、この野郎、早く肺癌で死ねばいい。

「だれが………これぐらい」

「じゃあ黙ってろ。傷に触る」

「……うるさ……」

目を閉じて煙草の煙から顔を反らしていたなら、やはり意識が落とされてしまった。それなりに緊張感を持った逃走劇から解放された安堵から、気が緩んだのもあるだろう。ずるりと片腕から落ちそうになって、慌てて静雄は煙草を地面に落とし、重くなった臨也を支える。
ちょっとばかり無理した運動に、久し振りに筋肉が限界を訴えている。筋肉痛とか何年振りか。

そして、抱え直すついでに臨也の脚を見、それとなく触れ、折れてない事を確認するとほっと息をつく。肩口の傷はまた別だが、あの自販機で酷い怪我をさせてなくてよかったと安堵した。うまく逃げれた静雄の貸しと、狙撃から守った貸しに、自販機の借り。

「これでプラマイゼロにしろよ、クソ蟲」

そう呟いても、規則正しい寝息だけで何とも間抜けた返事。抱える荷物は温かいが、黙っている様が全く似合わない。なんだか調子が狂わされてしまう。ちょっとしたヒーロー気分と優越感、そして抱き心地も悪くないとか。


次から落し物はすぐさま警察に届け出ようと、心に誓う静かな午後。




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