妄想長編

□7(完)
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目が覚めると確かに自分の部屋の朝だった。
寝起きにも関わらず急き立てられるように飛び起き、身の回りを漁った。
あんなにきつかった指輪は無くなっていて、クリーニングの伝票もある。電源が落ちたままの携帯も、充電を済ませてみればもちろんイザヤのメールも電話も、データもない。

ああ、戻った…いや、夢から覚めたようだ。

しかし日付もちゃんと一日経っているし、タバコも昨日吸った分減っている。夢ではないと、証明するただの日常の朝。…不思議な体験をしたもんだ。しかしどうしてだったのだろう?

考えても考えてもわからない事は考えないに尽きる、とシャワーを浴びていつものように身支度を始めた。

着慣れたバーテン服には以前ナイフで裂かれた箇所を、クリーニング屋のおばちゃんが縫った痕がある。
出してた服を引き取りに行って、出勤しようと伝票を掴み、今日は携帯を忘れないよう、確認してから家を出た。

天気はまた今日もよく晴れて気持ち良い。本当に昨日の事は夢だったんじゃないかというほど、スッキリしている。
クリーニング屋にいけば、いつも通り笑顔のおばちゃんが待ち構えているし、別に普通に会話をされた。
もちろん、聞きなれない事は何も言われない。

そのまま事務所に向かい、何事もなく仕事の段取りを決めて、少々雑談に勤しみ事務所を出た。
昨日もここを通ったな、と辺りを見渡すと、とんでもないものを見つけた。
いつもと違って物陰からこちらを窺う見なれた男。いつもなら堂々と目の前に現れるくせに、これはおかしい。
そこで静雄の中での疑問や不安が全て合致し、ため息を一つついてまず落ち着いた。それから、こちらを見ているソレに向かって手招きをしてみる。

招かれたソレは、慌てて辺りを見渡したが、自分が招かれていると再三確認する。無言のジェスチャーでソレを指差し、間違いなくお前だと教えてやっと物陰から出てきた。訝しげに見上げ、警戒しきりの姿はむしろ滑稽にも見えた。
気付いていなかったトムは、人ごみからいきなり小さく警戒する臨也が現れて、慌てて静雄の顔を見上げていた。

「……げ、臨也?!おい、しず」

「……おす、今日は戻ってるぜ?」

「……本当に?また変な事言ってあちこち振り回さない?」

ああ、やはり向こうの俺がこいつと会っていたのか。
びくつきながらこちらを見上げる顔が、ふと一瞬だけ女のイザヤの面影になる。だが、その面影を求めようとしても、目の前にいるのは可愛げなど全くない臨也だ。
じっと顔を見られるのが嫌なのか、慌てて顔を背けられてしまった。

「どーやら、本当に入れ替わってたみたいだな。…夢じゃないのか」

「じゃあシズちゃんは本当にもう一人の俺と会っていたってこと??うわぁなにそれ超痛い」

「…詳しく話を聞きたいようなないような」

「俺は昨日のシズちゃんがどんなだったか言いふらしたいけど、思い出したくもあまり無い。昨日は夢だったと信じたい、最早信じ込む。よし、たった今俺の記憶は消し飛んだ、うん、そうだ」

ぶつぶつと繰り返す独り言を冷静に見下ろしながら、多分女としてのイザヤもこうして現実逃避しているのかもなんて考えていた。
目の前の男の些細な身振りを、昨日会っていた女と重ねて見てしまうのは何でだろうかと疑問すら持てない静雄。いつもと違う空気の2人に、凍りつくのはトムだ。いつもなら睨み合ってすぐに戦場とこの往来が変わるのに、今日の今は目も合わそうとしない。

「……時間があるなら話を聞いてやる」

「……時間があろうとシズちゃんとお話はないよ。うん、いや、ごめん、また次に」

そう言いながらふらふらと考え込むように俯いたまま、臨也は静雄から離れていった。静かなまま別れた二人を異常そうにトムと通行人の一部が見つめてしまった。

それを対して驚きもせずにやり過ごし、臨也とは逆に歩き出していく静雄。その背中を見てやっとトムが動き出した。

下手な事をいえば追い駆けて喧嘩してしまうかもと恐れ、かける言葉を飲み込みながら静雄について行く。
次に会った時にまたどんな顔をすればいいのか、と明かに感じなくなっている殺意を思い出そうと静雄は、悩んでいた。

それから4週間、臨也は静雄から逃げるように姿を見せる事はなかった。





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