妄想長編
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ビールに寿司が進んで、さっきまでのあんな暗い気分はどこかに飛んでしまったようだ。それでも微妙な距離を保ちつつ、酔い覚ましに西口公園に寄り、噴水の近くを二人で歩いていた。
「今日はまた疲れたねー、来週打ち合わせで、詰めちゃうからね。…あと少し、なんだね」
晴れていても星なんか見えない夜空を仰ぐイザヤは、花壇の淵に軽々と飛び乗ると、平均台のように渡り出す。
その横でタバコを吸う静雄を、若干見おろす格好になる。
「シズちゃん、本当に頭の怪我大丈夫?痛くない?頑丈だけど場所が場所だから気になるよ」
遠回しに今日の事を何か言いたそうだとわかる。それは静雄も同じ。
随分とこのイザヤといる事にも慣れてはきたが、ふと見せる笑顔に胸が締め付けられるのは辛い。
自分らのようにカップルで歩く影がちらほら見られる中、どことない緊張をしているのは静雄とイザヤだけだ。
あと少しで花壇が途切れるところで足を止めたイザヤは、じっと難しい顔をしている静雄の顔を覗き込む。
「それで、何かあったのシズちゃん」
笑ってはいるけれど、静雄が何を話すのか恐れている事を隠そうとする笑顔。緊張して震えてきそうなのをぐっと堪えて、静雄と向き合う。
「…まぁ、お前が逆立ちしても信じない話しなんだがな…ちょっと聞いてくれないか?」
そしてやっと、今朝から起こっているこの事態について詰まりながら話し出す。
始め、今はお前の知っている静雄ではないと言われて混乱したイザヤだが、静雄が真剣に映画みたいな話をしだすのをぽかんと見ていた。
いやでも、シズちゃんはこーいう例え話や空想を話すような奴じゃないし、でも昨夜頭打ったからやっぱりおかしくなったんじゃないか?
そんな心配をよそに、なんだそうだったのか?なんて安心してしまうイザヤも在った。
そうだとしたら、朝から感じていた静雄への違和感や不安感が説明できる。
でも全く信じられない。イザヤは神様も絵空事もSFめいたことも信じない、現実主義者だ。
それを静雄もわかっている。
「……うん?つまり、頭の怪我でシズちゃんがパラレルワールドに突っ込んで、同じ時間空間の中の、違う可能性の先にある現実に迷い込んで今こうしているっていう事だよね?まさか、そんな、どこでそんなの覚えてきたの」
「小難しいことはわからんが、まぁ、そうなんだろう。俺だって信じられない。昨日のその喧嘩まで、本当に折原臨也は男だったんだ、今の俺にはな」
「そんで、私が知っている平和島静雄は…どこ?」
「……俺がいたとこなんじゃねぇか?恐らくは、今頃男のお前と向き合ってんじゃねぇかな…」
こちらの行動と向こうでは恐らく同時期に起こっているはず。すれば今頃はこの公園で似たように話しているだろう。
…穏やかに、とは思えないが。
「えええ…それってなんかやだなぁ…私が男だったら確実にシズちゃんに殺されるよ…」
「…誰か止めてくれてるといいな。俺は俺でショックだが、お前の知る俺はよりショックだろうな…」
恋人があんな嫌な男に変わっていたんだ、並み大抵のショックではあるまい。そんな自分を見てまた向こうの臨也がどう思っているのか計り知れない。
それでも信じて貰えないならどうしようかとあせったが、しばらく難しい顔をしていたイザヤは踏ん切りをつけたように、よし、と言い出した。
「もう百歩どころか千歩一億歩譲ってその話、信じてあげる。超サービスだよ。すれば、納得できることばかりだしね」
「意外だな…お前は絶対頭から信じないと思っていたが」
まあね、と笑うイザヤはやがて安堵したような溜め息を吐いて見せた。
「今日、ずっとだね、シズちゃんと居るのがなんか苦しかったんだ。怪我も喧嘩もだけど、その雰囲気が」
「そりゃ、ある意味別人だからな」
「というか、付き合い出す手前ぐらいのシズちゃんに戻ったんじゃないかってビクビクした。あの頃が私、一番辛かったんだ」
「どういう経緯で付き合ったんだ?」
「うん、まぁ、私が一方的にアプローチして、シズちゃんが折れた形だったんだけど、長かった。その一番最初に告白して付き合い出したしばらくは、シズちゃんは私をどう扱っていいかわからなくて、戸惑ってた。キライな相手に、好きって言われても疑うしかないよねぇ、普通は」
静雄の脳裏にこれまでのイザヤとの因縁が蘇る。そして可能な限り、過去の出来事を目の前にいる女のイザヤに置き換えて想像するも、恋人関係に発展するまでが思いつかない。
「普通考えきれないな…」
「シズちゃんに言われても…。まぁ、やっぱりやめる、なんて言えなくてこちらも散々悩まされたけど何とかシズちゃんも変わってきてくれた。それで、その、指輪」
そう言って静雄の左手薬指の指輪を指す。嵌めていることすら忘れるぐらい指に馴染んだもの。
「シズちゃんから初めてお揃いのものを貰ったのがその指輪。しょっちゅう私の家の物、壊してごめんって笑って照れて、くれたんだ。怒ってないのに物を壊すって、何?照れた時も力入っちゃうの?」
「まあ、たまにあるような……そうなのか」
自分の話を聞いているはずだが全く実感が湧かない。聞いていて無性に照れくさくなるほどむず痒い。
「結婚したら大変だね私たちって笑ったら、それでもいいなら結婚するか、って言ってくれたんだ。それで、今になると」
静雄の顔が熱くなる、いくら別次元であれ、そんな言葉を言ってのけたなんて。イザヤもその時の事が嬉しかったのか顔を思いっきり緩ませて指輪を見ている。
知らない表情だけ見たら、あのイザヤのまた違う姿とは思えない。
「……何か変な話だな。他人の話なのに、違う俺の事なんだよな…そんな事を言えるのが不思議だ」
「高校から比べたらすっごくシズちゃん変わったよ。喧嘩、というか力加減をわかってからかな?人当たりとか…私とも変わった。うん」
「お前も変わったな。高校の時のイザヤはそれはそれは最悪だった。男でも女でも、大体同じ事やらかしたはずだろ」
「うん?例えば?」
「他校生を焚き付けて俺と喧嘩させること数回、わざわざ教室まで来ておちょくって授業中に追いかけること数回…補習と生徒指導を何度受けただろうか」
「あはは、やだなぁおんなじだ、…本当にこんな事あるんだね」
そう笑うイザヤの顔がすぐに真剣な顔になる。すっと引いた空気の温度に、静雄も緊張していく。
「……シズちゃんは、この先もずっと今のシズちゃんになっちゃうの?」
それは静雄も案じていた不安。
男のイザヤよりも軟化し、そこまで腹立たしくないこのイザヤだが、明日からもずっと向き合うなんて無理そうだ。どうしてこうなったのかわからないし、どうなるかもわからない。
それでも、直感に近い確証があった。
「明日目がさめたらまたお前がいるのか、それとも俺がいつも会うあいつが居るのかわからない。
……でも二度と会えない気がする」
今は、多分、長い長い白昼夢なのだろう。自分にも、このイザヤにも。
そして頭の痛みが弱くなるにつれて、戻れそうだと思えている。
「そうなのか。……何かほっとしたような、残念なような」
そう呟くイザヤは淋しげに笑う。花壇の淵を器用に渡り、軽々と着地を決めて静雄に振り向いた。
「でも、初心に戻れた気分だよ。これからもちゃんとシズちゃんを見て、捕まえていなくちゃ、って」
「……そうか、まぁ、何とも言えないが…」
本当の事を言えば、男のイザヤよりも穏やかで可愛らしい顔をしたこのイザヤと向き合うだけで落ち着かない。そのイザヤから、どんなに鈍感な静雄でもわかる慕情を、真っ直ぐ向けられている。見つめてくる信用しきった目に、柔らかく微笑む顔。恋人、というのはこんなに落ち着かないものかと心臓が慌ててしまう。
そんな空気にうまく言葉を出せず、申し訳ないような。
「…まあ、俺はそう器用な奴じゃねえから、よろしく、と言っていいものか?」
「それならきっと、男の私もそうだよ。超天邪鬼で頑固だから、困らせるけれど……構ってやって?」
照れ隠しなんだよ、と付け加えられたがそれにしては少々手荒すぎる。彼女が望むように仲良くはできなくとも、この出来事を肴に話そうとは、思えた。
「そろそろ帰るか。新宿まで送ってーー」
「ああいいよいいよ。酔い覚ましに歩いて帰るし、…離れたくなくなるし」
こんなにしおらしい女性がイザヤなんて。
朝から何度も思った言葉を頭から振り払い、思わず衝動的に触れたいなんて考えていた。
だが、力加減もわからないし、もう一人の静雄に悪いと思える。
足をそれぞれの自宅方面に向けて、まだ顔はお互いを見ている。まだ話したい事や離れたくない空気があるが、それぞれ寂しげな笑みを浮かべて、誤魔化す。
「それじゃ、また…かどうかわからないけれど、元気でがんばって」
「そうする。……変に聞こえるかもしれないが、一つ言わせてくれ」
違う世界の目の敵、その存在は排除したい憎いものじゃなくて護りたい存在。別人だけどそいつであって、隣に居るもう一人の自分が少し羨ましいけれど。
「幸せにな」
「………ありがと。シズちゃんもね」
そうして別れの言葉なく背を向け合う。振り返りたくなるのを数度我慢したが、公園を出る時にやっぱり振り返ってしまった。すれば遠目でもわかる笑顔で、こちらに手を振ってくれた。ぎこちなく手を振り返し、止まった足が、また彼女に近付こうとするのを堪える。
靴底が蹴る地面の感覚すらわからなくなるような夢見心地、混乱と彼女の事を考えていたら、見なれた自宅アパートに辿り着けた。
朝から何も変わっていない部屋に戻り、投げ出したままの携帯を取り上げる。すれば、そこに確かにイザヤの名前と番号で着信とメールが。そのままメールを眺めていれば、女の子らしい文面ではないが、何気ない話題や謝罪、素っ気ない返事に甘い言葉と静雄の顔を赤くする。
同じ携帯で、着信もメールも少ないはずの携帯に、そのままイザヤが入り込んでいる。
これも明日になればきっと、消える。
そう思うととても胸が締め付けられるような寂しさにかられ、携帯の待受をじっと眺めた。
液晶のデジタル時計が少しずつ進んで、結構な時間が経った後、いきなりメールが届く。
思わず手から落としそうになりつつ操作して開封すると、無事に家に着いたことを知らせる、イザヤからだった。
絵文字も少なく照れているような文面で、就寝の挨拶のあと、少し改行があり
『ドレス、誉めてくれてありがとう』
他に言いたい事があったろうけど、この一言に全て込めたのだろう。
返すかどうか迷ったけれど、同じ様に就寝の挨拶と、色々とがんばれ、なんて情けない言葉を送信して後悔する。
本当に言いたかった言葉はもう一人の自分に言ってもらおうと、まだ燻る嫉妬心めいた胸にしまう。
丁度携帯のバッテリーが無くなったらしくその機能が停止する。充電しないと、と体を動かそうとしたが急に強い眠気が襲う。
ああ、もう戻るのか、と残念に思いながら霞む意識の向こうで彼女の笑顔を垣間見た。
言いたい事は山程あった、届かないだろうけれど。
一緒に居られる時間がとても嬉しかった、この先も居たいと願う程にーーー
そして静雄の意識は闇に溶けた。