10万打リクエスト企画

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 津軽の新曲がプレスされ、爆発的にリリースを成功させて数日。サイケも新曲を発表すると多忙な津軽の耳に届いた。
興味があれどなかれど、まともにその曲について聞くことができたのは、既に発売されてからのことだった。それまでラジオにテレビ、雑誌とあっちこっちに引っ張り込まれ、同じようなことを何度も聞かれ、うんざりした毎日が続く。それでも、あの歌を歌える時だけは頭が空っぽになり、まるで何もかも吹き飛ばされたようにすっきりとした気持ちで歌うことができた。

 あのサイケが・・・という決まり文句が躍り出ていた出始めだったが、いつしか、これが津軽の持ち味だという概念になり、現代に珍しい演歌歌手というイメージは去ったようだ。歌の真髄を歌える存在、孤高にして徹底したプロ、というただのカバー歌手なんかじゃないことが世間に広まったようだった。これまで歌っていた歌よりも、その繊細かつしたたかなメロディーや素直な言葉が誰もがの心を揺り動かした。
 移動時間を僅かな睡眠時間に充てていた津軽も、やっとサイケの新曲をまともに聴くことができたのは、渋滞に巻き込まれた移動中の車内だった。新羅がまたipodに入れていてくれたお陰で、渋々と再生を促せば過去に聞いた彼の歌とはまた違う印象を受ける。

 前まではもっと、張り詰めているような、脆いガラスに覆われているイメージがあった。そして彼の声がまた、泣き叫んでいるんじゃないかというほど、悲痛な声にも感じられた。その脆さや儚さがサイケの持ち味で、ただ弱いだけという印象じゃなく孤独だからこその強みが滲み出ていた。一人だからいいんだ、という諦めているような。
 それが、津軽に曲を提供してから初めて出したこの歌は、それまでとは違う。ふわりと暖かさが漂うメロディアスな旋律。泣き叫ぶように強く、透き通った歌声は、囁くような、暖かい音に乗るような声で囀る。そう、囀っている、そういう表現がいい。

 歌詞は相変わらず意味を持たずに、音の響きだけを選んでいるかの語句だが、それでもその奥底にあるサイケの心が少し見える気がする。前面に押し出されているのは、感謝の気持ちだ。彼は心から感謝している。聞いている人間だけじゃなく、それは、きっと。

「・・・サイケ、余程嬉しかったんだろうね、君が歌うのが」

 津軽がサイケの歌に聞き入り、その硬い表情が僅かに変わったのを見て、落ち着いた笑みの新羅が呟いた。いつも持ち歩くカバンから、ファイルを取り出すと様々なレジュメや資料を捲り分厚い資料の中から1Pだけを開いて見入る。
 それとなく横目で見やれば、恐らくこの歌のジャケットに使われるであろうサイケの写真が数点見えた。相変わらず真っ白い空間に彼はじっとたたずんでいるだけで、やはり写真というよりは絵に近いように見えてくる。
 人が映っているとはあまり思えない、切り取られた瞬間。その無表情な顔の下、どんな思いでカメラを見ていたのだろうかと少し考えてしまう。津軽もジャケットやポスターの撮影は苦手の方だ。ステージで歌う時とは違い、誰が見ているかわからない相手に、どういう表情を出せばいいのか戸惑うし、そう愛想よく笑う方でもない。これも歌の一環だと言い聞かせても、やはり表情はぎこちなく硬くなってしまう。しかしその仏頂面すら津軽の持ち味だと言われ、複雑なまま繰り返してきた。テレビでも歌う姿を見せるのは全く構わない、しかしトークを挟むことになれば抵抗は未だに感じてしまう。しかも、サイケが創った歌ということで、やたら話をしてくれという依頼が多く、歌う前に機嫌を損ねてしまうことがこのところ多い。

 それを危惧して新羅がテレビ側にトークは無しで、というお触れを最近出してくれた。この先もずっとそうでいいと思う反面、まだサイケと仕事をする機会があるのだろうかとうんざりもした。だが、彼が創る歌の素晴らしさに気付いてしまってからは露骨に嫌だと言うのも気が引けてしまう。自分が望む歌を生むサイケ、しかし天才のままに自分とは対極する位置で歌い続けているアーティスト。やはりその歌に臨む姿勢は、理解できない。
 サイケはそれなりにこちらを慕うようだが、津軽は同じような感情を彼に抱くことはこの先難しいと思えている。

「・・・相変わらずわけわかんねえ奴だよな」

「ま、君ならそういうだろうね。サイケの新曲、リリースが先週末だったかな。前々から予約殺到っていうからありがたい話だよ。CDがここまで売れるなんて、まだまだ捨てた世の中じゃないよ」

 そして新羅は先日行われた営業戦略の会議のレジュメに目を通し、その目を僅かに潜ませてしまう。はあ、と大きく溜息をつくと、うんざりしたようにファイルを閉ざしてしまう。

「だけど上の考えがあまりにも古臭くて嫌になるね。一つ大きな企画が成功したなら、それに食い下がろうと必死だ。選ぶのは君であり、サイケであるんだけど」

「・・・何をさせようってんだ?」

 ファイルを鞄にしまい込む新羅の疲れきった様子に、ただならぬ雰囲気を感じて津軽は聞いてしまう。あまり気が進まない質問だが、何だか精神面によろしくない答えがあるようだ。

 訝しむ津軽の目線を振り払うように、何も無い空間を手で仰ぎ、かけていたスーツのジャケットを羽織る。そろそろ次の仕事へと向わねばならない。過密スケジュールに文句を最低限しか言わない津軽に、そこだけは感謝している。

「・・・サイケと君の、コラボレーションアルバムを作ろうというんだよ。二人で一枚、何かしらの映像付きでとかね。君が嫌がっていたPVでも作ろうっていう魂胆だ。・・・ざっくりとした企画だけども、上だけで話が進んでいる。僕や君の意見はあまり重要じゃないようだ」

「アルバム?この前一曲だけ出しただけじゃねえか、幾らなんでも早すぎねえか」

「今からサイケにお願いすれば、再来月ぐらいにはアルバムにする曲が用意できると見ているんだ。サイケが君に対して執着しているなら、たやすいだろうってね」

 確かに、サイケが津軽に曲を書いたのはほんの数日だという話を聞いて彼の作曲スピードは速い。しかし、10曲前後収録するに当たって全てをそんな短い時間で編み出せるなんて、それはそれで過酷だろう。そんな短期間で多くの歌を歌わねばならないことは未だかつてないし、じっくりと練習を重ねてから歌いたい津軽には酷く無謀な話だ。

「俺はアイツじゃねえんだ。そんな無茶振りお断りだ」

「・・・サイケ側が条件を飲めば、多分本当に実行されると思うよ。だけど、君が時間をかけたいとゴリ押してくれたらもっと時間ができると思う。きっとサイケは、二つ返事で承諾するだろうけれど」

「アイツみてえに簡単に歌い上げるなんてことしたくねえ、・・・何考えてやがるんだ上の連中なんて」

 やはり徐に機嫌を損ね、苛々と煙管から煙を上げていく津軽。彼も時計を確認し、仕事へと向かう時間だと気付いて立ち上がる。羽織を纏い、短い休憩に別れを告げて身支度を整えていく。

「上が考えることなんて、金のことしかないさ。・・・君も、サイケも、天才であることは認めている。だけれど、所詮金儲けの手駒としかみなしてないのさ」

 声を落とした新羅が、その言葉の裏に僅かな怒りを滲ませている。あの新羅が、珍しい感情を表に出してるなと津軽の苛立ちが僅かに削がれていく。口元は笑っている、けれど目は、静かな怒りに震えているようだった。

「僕は君とサイケは同じ不幸な境遇にいる、似たもの同志としか思えないんだ」

 津軽とサイケが臨むまま歌うことを利用し、津軽やサイケの人格など最早重要視してはいない。明日歌うことを辞めると言えばそれこそ死に物狂いで頭を下げてくるだろうが、どんどん他のアーティストとは別で孤立していく津軽やサイケに同情なんかしない。最近流行りの人口音声プログラムが、そっと奏でる歌すらヒットする時代。人間臭い歌い方よりも、人の声すら楽器として捕えられていく世代なのだろうかと少し、感慨を得る。また、彼らも上の腐れた連中からしてみれば、ヒット曲を生むただの道具にしかすぎないと捉えられているのが悔しい。サイケも津軽も、持って生まれた天賦の才を土足で踏みにじられている気がして腹立たしいのだ。

「津軽、君が歌う事を辞めるのはどんなときだい」

 地下の駐車場へと急ぐ中、新羅が突然尋ねてくる。歌うことが今の全ての津軽が、そんな考えたこともない事を聞かれて少し戸惑い、すぐには答えきれなかった。だが、車に乗り込み、フルスモークの車が静かに会社を出るときに、神妙な顔で運転する新羅に津軽は答えた。

「死ぬ時じゃねえのか」

 そう言ったきり二人押し黙り、渋滞する道を遅々と進んで手駒としての仕事へと向った。歌えなくなれば歌わない、それだけだ。だが、サイケは、もしかしたら歌う事を些細なきっかけで手放すかもしれない。それが何かわからないが、バックミラーで津軽の物憂げな横顔を眺めていたらそう思えてしまった。





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