10万打リクエスト企画

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 あいつにこんな大きい仕事を依頼するなんて、どれだけ骨を折るかわかってんのかしら。

 苛立たしくヒールで床を蹴り、いつものマンションへと向かう女性は、酷く苛立っていた。簡単に指図された仕事の、その苦労がいかに大きいか、社長である男に半ば食ってかかってきたほどだ。しかし社長はやんわりと彼女の怒りを受け流し、彼らの歌を世間は待っているんだよ、と奇麗事を抜かしてさっさと説得するよう彼女を追い出してしまった。依頼された内容はそこらのアーティストであれば喜ばしい話だろう、自分の作品でアルバムを作れるなんて。栄誉、挑戦、そういうものだったろう。だが、彼女が説得にいくのはあのサイケだ。普段でも意志疎通が大変であり、アルバムの製作頻度が一年に一度という非常にゆっくりとしたペースであった。一年に一度、アルバムを作るために自ずとサイケも動くからそう説得はいらなかったのだが、稀にこういう無茶を説得しろと言われれば、彼女は非常に苦労を重ねてきた。
 まず過度な仕事を垣間見せれば、彼はすぐに機嫌を損ね、彼女を家に入れない日が続いたこともあった。難しい言葉は通じず、身振り手振りでお互い言い合い、少しずつ彼を宥めながら説得する。時には怒ることもあれど、それでもサイケが納得できたなら大きな仕事を引き受けてくれた。どうしても嫌だと言い張った仕事が流れたことも数度あったが、上層部の楽観的な計画の裏では彼女一人が酷く苦労をしてきたのだった。

 叔父様の会社じゃなければ今すぐにでも辞めてるところよ、本当に。

 幼い頃に蒸発した父親の代わりに、彼女とたった一人の弟を引き取って育ててくれた叔父。その恩に報いるためにも破滅寸前だったこの会社に入り、持ち前の知性でどうにか切り盛りさせてきた。サイケという存在だけでやっとか細い会社の生命線が保たれている危ういものだった。そこをどうにかやりくりし、津軽という天才を迎えた頃から一気に会社は持ち直してくれた。サイケと津軽には感謝している、叔父にももちろんのことだ。しかし、段々とこんな牢屋の如くマンションにサイケを閉じ込め、歌わせている上に扱いが年々ぞんざいになってきた上層部への不満は増すばかりだ。何度も挫けそうになる彼の世話に、励ましてくれたのは唯一の肉親である弟だった。

「姉さんなら、できるよ」

 あまりにも素っ気無い励ましだが、その一言でどんな甘い言葉や名言よりも波江には変えがたい褒美の言葉に聞こえる。あまり肉親に対して、褒め難いほど深い情愛を弟に抱く波江にとって弟がそういってくれるだけでじゃあもう少し頑張ろうとなってしまう。長い付き合いのあるサイケに、仕事上以上の感情を持ち合わせない事由はそこにある。
 手のかかる子供の世話を数年している、という感覚だ。

 時間通りぴったりに、マンションの部屋へとたどり着き、重苦しい溜息を一度吐いて気を持ち直す。彼を世間から遮断する重い扉を開き、相変わらず静かな部屋へとそっと入り込む。広いリビングにはやはり彼はいない。
 寝ているのかと寝室をそっと覗くも見当たらず、使われていない部屋も見て回って最後、残されたのが作業部屋。

 ・・・・作業中、か。

 完全防音のために彼が歌う声すら隣接するリビングに微塵も聞こえない。時折重低音が響く幽かな振動が、じっとしていればわかるほどだ。強い風で建物が煽られる振動だったかもしれないが、作曲中か、歌っているのか。過去の歌を時折思い出したように歌う時もあれば、譜面にも残さないような即興の歌を歌うことだってある。それを知った上層部が、こっそり彼の作業部屋にカメラとマイクを仕掛けろなんていいだしたものだ。もちろん、サイケが全力で拒絶したために流れたが。
 こんな密閉された空間で、鬱憤を晴らしているのだから自由にさせていいじゃない、という波江に、その一曲でどれだけ利潤が生まれるかもっと考えろと叫ばれたものだ。前まではサイケが残したい曲をじっと待っていたレーベルも、随分変わった。欲にまみれるのは醜いと、ほとほと愛想も尽ききった。いつ見限るのかはサイケ次第かともう腹は決めている。
 それでも、やはりサイケの歌は聴いていたくなる。

 自分が歌う歌詞の意味など、気にも留めていない。以前、まだ少年であった頃は純粋な思いが綴られた歌詞が目立ったが、はたりとその真っ直ぐな歌詞はサイケの言葉ではなくなった。彼の言葉が消され、作詞家たちの言葉に変えられた歌を、彼はどんな思いでずっと歌っているのだろうか。
 言葉ではなく感情で考えるサイケは、津軽が歌う歌の歌詞の意味を知りたいと思わないのだろうか。
いや、もしかしたら、彼は言葉で歌を聴いているわけじゃない、何か違うものを聞いているのかもしれない。

 普通とは違う感性で溢れるサイケだ。津軽の歌で歌詞や曲以上の何かを感じ取って、そこに惹かれているのかもしれない。それが何かなんて、普通である波江にはわかりやしないだろう。

 いつもどおり、食事の用意に取り掛かってしばらく。防音扉が重く開く音がし、ぼうっとした顔のままサイケがリビングへ現れた。キッチンに立つ波江をさして驚くことなく確認すると、いつものようにソファーにぼすんと座り込んでしまった。
 憤慨するかもしれないから、食事を作ってから話したほうがいい、と追い出されることを考えて波江は手元の作業を急がせる。オニオンサラダとミネストローネ、そしてオムライスとやはり子供向けのメニューを完成させると、帰り支度をしつつ波江が意を決して、サイケに向き合った。

「・・・ねえサイケ、会社からまた貴方にお願いなんだけど」

 神妙な面持ちと、お願い、という言葉に、ぼうっとしていたサイケの目が僅かに細められ警戒される。それでも、はあ、と一息ついてまだ言葉を続けていく。

「この前、津軽に曲をあげたでしょう?・・・そこで、津軽と二人で一枚の、アルバムをつくらないかって」

 指で数字を作ったり、身振りを加えたりしてゆっくりと話す。言葉を切ってしばらくし、言葉の意味がわからないのか、口を開けてぽかんと驚いたサイケに、もう一度言おうとすると、急に立ち上がられてしまった。
 怒るのか、と思いきや、波江にぎこちなく笑うと小さく頷き、照れているようにも見えてしまう。あっさりと承諾されたことに気付いたのはワンテンポ遅れてからで、再度ソファーに腰掛けてじっと波江を見上げるサイケに戸惑ってしまった。

「・・・え、でも、この前アルバム発表したばかりじゃ・・・・しかも、用意する時間、短いのよ?いいの?」

 焦って語句が荒くなるのをどうにか堪え、身振りを大きく見せてもサイケは頷くだけ。アルバム一枚にはその年出したシングルのリマスター、そして数曲のカップリング曲に新曲を織り込むお決まりのものだ。準備に半年以上かけてゆっくり作るためにそれがサイケには丁度いい作業ぺースだと思っていた。だが、期間が短ろうが構わない、ととにかく承諾の意思しか見せないサイケに、ほっとしたような、だが申し訳ない気もしてあどけない顔をまっすぐ見ることができない。

「・・・それなら、よかった。明日詳しいことを話すから、いい?」

 本当は詳細まで勝手に決められているのだが、一度に話しても難しいだろう。ソファーに座ってじっと何も映らないテレビを見つめながら考えているサイケは、小さくまた頷いてくれた。

「それじゃあ・・・・おやすみなさい」

 決まり文句を言って足先を玄関へと向けていく。スリッパが床を蹴る音以外は何も聞こえない。少しだけ嬉しそうにも見えたサイケの顔なんて、そう見たことあっただろうか。津軽を知ってから、波江が知るサイケは少しずつ変わっている。
 それは喜ばしい変化であって欲しいと、またサイケを閉じ込めていく扉を見上げて願ってしまう。




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