10万打リクエスト企画

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 発売も前から、あのサイケと津軽のコラボだと話題は全国を沸き立たせた。レーベルもここぞとばかりにプロモーションを大きく広げ、発売日を決めたとたんに予約を殺到させたほどだ。行く先々で先日出した曲よりも、次の新曲の話題ばかりが振られる津軽は、あまりいい気はしなくとも、レコーディングのその日を心待ちにしていた。
 誰が作ったであれ、あの歌を歌えるのはとても喜ばしいと。

それでも、サイケという名前が嫌でも堂々としている曲だ、その名を聞くたびに苛々し、どうしてこの歌を歌おうと思ってしまうのかといちいち省みてはやるせない怒りに苛まれた。

 歌詞は津軽が適当にあて、作詞家の一人がそれを整えるという作業だったがあっさりと事は進んだ。打ち込み終わった曲を聴いて津軽が書き留めたメモだけでも、充分歌詞として申し分なかった。奇麗事だけのメッセージではなく、津軽の中にあったわだかまりや存在意義を問う言葉が斬新で、作詞家の舌を巻かせる程強い歌になった。曲を聴いたら自然と出てきた、という津軽に驚きつつも、微調整をするだけで収録を迎えることとなった。ほとんど自分の言葉で、望んでいた曲で歌えることに隠せない高揚感と、それでもちらつくサイケという存在への不快感。
 それは収録現場に入っても収まることはなく、新羅がさすがに気を揉んでどう声をかけようかと迷ってはいた。それでも、いよいよ始まるというときに、大きく息を吸い、ぎっと強く前を睨む姿はいつもの、歌う事に本気の津軽に戻る。
 着慣れた着物の裾をまくり、譜面を手にしていつでもいいとスタッフらに合図を送る。そしてこれまでとは違う切り込んだギターの音色から始まる、旋律。
 サイケらしいのに、津軽の雰囲気やその声音と添う音の波。幾度もデモテープで聞きなれたはずの音色に、津軽の声が合わさればその場にいた全員が一気に引き込まれる。息を呑むような4分弱の世界、低く強い、切なさすら含む声が言葉を音で辿る。耳じゃなく胸の奥を叩くような歌、新羅でさえ息を詰めて津軽を見つめてしまう。

 ああ、これが津軽だ。新羅だけじゃなく、誰もが思えた瞬間。音でも歌詞でも、そして音の世界に入り込んで歌い上げる津軽のその姿が。

 これまであらゆる歌をカバーするなり歌ってきたが、これほど染みる歌を歌ってきたろうか。歌っている津軽も、思い入れを深くまで込めてその音色に歌声を乗せていく。力強くも儚い歌、それに負けない音、張り合うようで調和していく曲。

 アウトロがフェードアウトし、スタジオ中が不思議な沈黙に包まれてしまう。音の余韻がまるで形になって部屋に撓んでいるかのような、なんともいえない空間。しばらく経って、津軽がペットボトルの蓋を落とした音ではっと現実に引き戻されていく。
 それから自然と沸き立つ拍手。敬意を示し、感動を伝えるためにごく自然にスタッフらが手を上げてその掌を打ち合う。ステージでもないのに浴びせられる拍手に、少々たじろいだ津軽だったが、その反応から確かな手ごたえを感じ取る。


 そのままリテイクすることもない出来だったが、念のためと津軽が打診し数度収録を終えて予定よりずっと短い時間で解散を迎えた。どれも素晴らしい出来であったが、津軽が一番納得できた出来のテイクを、新羅が新品のipodに落として津軽に渡した。

「はいこれ、あげるよ。今まで毛嫌いしてきただろうけど、一つぐらいは持ってなよ」

 掌にすっぽりと収まる、薄い機体。携帯電話一つにさえ操作を難儀しているというのに、流行りの機械を毛嫌ってきた津軽は渡されて露骨に嫌な顔をした。明るい液晶には先ほど収録された歌と、インストでの歌がプレイリストに入っていた。新羅に教わりつつ操作していくと、今まで歌ってきた歌と、サイケの歌までが入れられている。

「君の曲を作った人なんだから、一度ぐらいはじっくり聞いてもいいんじゃないの?」

「・・・有線で流れてくるからいいだろ。別にいらん」

「まあまあ、いいからいいから」

 そういって無理やり手に押し付ける形でipodを受け取り、付属品のイヤホンではなく、別の箱に入っていた大きなヘッドフォンが手渡される。着慣れた着物の模様と同じ、静かな蒼の淵のある白を基調としたヘッドフォンだ。コードも深い蒼で、一目見て気に入ったのだが、よく見ればサイケと色違いじゃないかと気付く。

「おい、これ・・・」

「かなり上等なヘッドフォンなんだよ。誰かとお揃いなんか珍しくないし。大事にしてくれよ」

 そういって新羅はてきぱきと周りを片付けると、スケジュール帳で次の予定を確認し、何か言いたげな津軽を促して外へ出る。もう一つ、実はipodを用意していて、そこに歌われたばかりの曲を同じように入れてカバンにしまい込んだ。津軽のスケジュールを見つつ、波江が今どこにいるのかさっと確認していた新羅。予定通りなら会社に戻っているであろう彼女に、ipodを手渡すためと、新曲についての取材を受ける津軽のために移動用の車に飛び乗った。

 あの哀れな友人が、少しでも笑ってくれるといい。幼い頃に見た無邪気なあの笑顔を思い出そうとしても、もう、霞がかって少しも思い出せやしない。
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