ありふれた物語=小さな奇跡=
□Train =第一部 始発駅=
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「あ」
人波に押されて思わずよろめいてしまい、バランスを崩す。
まだ電車は動き出してないのに、ちょっと恥ずかしい。
なんて自嘲しながら、私の腕を掴んだ手を見つめる。
よく日に焼けた、大きな手。
この手に助けてもらうこと、早数回目。
誰かなんて、もうわかってる。
「…ありがとうございます」
ゆっくり顔を上げるれば、そこにいたのは予想通りの彼だった。
彼は困ったように笑いながら首を横に振る。
私も恥ずかしさも相まって小さく笑い、もう一度「ありがと」と呟く。
彼が頷いたのを確認してから、車両の奥へと足を進めた。
電車の進行方向右側のドア。それが彼の定位置であり、左側のドアが私の定位置。
誰が決めたわけじゃないけれど、私も彼も、毎朝なんとなくそこに立っている。
入学式のあの日からずっと。
私と彼は、同じ電車、同じ車両で同じ位置に立っている。
そんな些細なことに気づいたのはいつだっただろう。
顔なんて覚えられないほどたくさんの人が乗るこの電車で、彼の存在だけ気付くようになった。
華があって特別目立つとか、そういうわけではないのに。
ふう、とゆっくりと息を吐く。
心なしか、彼に掴まれた箇所が熱い。
そんな錯覚が何となく恥ずかしくて、ブレザーのポケットに手を突っ込んだ。
そこから携帯を出し、いつものように画面を開く。
開いた反動で、ストラップの鈴が小さく鳴った。