小説4

□貴方の気を惹きたいだけですよ
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 書庫の戸を開けると、潜めたような声が耳に滑り込んできた。
「……いやっ、駄目です、人が来ます」
「人なんて気やしねぇよ。大丈夫、俺を信じろ」
「そんな……あっ、郭嘉殿」
 聴き慣れた声と、どうでもいい声。
 私はごほんと咳払いして、わざと大きな声を出した。
「えーっと、確か殿のおっしゃっている資料はここに……」
 すると、息を呑むような気配が伝わってくる。
 ほどなく、一人の女官が、私の隣を通り過ぎた。
「……ふう」
 女官を無視した私は、何事もなかったかのように書庫の奥へと進んで行く。
 しばらく行くと、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
「どーも、郭嘉殿」
 書庫の奥に身を預けて立っていた郭嘉殿を目にした私は、特に顔色を変えることなく口を開く。
「いらっしゃったのですか、郭嘉殿」
「嫌ですねえ、俺がいることに気付いていたくせに」
 いやらしい声で言った郭嘉殿は、壁から身を離してこちらに歩いてくる。そして、私の目をじっと見つめながら言った。
「お気に障りましたか、荀ケ殿?」
「何の話ですか?」
「分かってるくせに」
 見下げてくる郭嘉殿と、ぱちり、と目が合う。郭嘉殿は、「嫌ですねえ」と笑った。
「俺だって何も、遊んでばかりいるわけじゃありませんよ。気真面目な荀ケ殿には、お気に召しませんか?」
「私は貴方が戦場で殿の役に立ちさえすれば、他のことには興味ありません」
「それは残念」
 郭嘉殿がそっと手を上げる。思わず身構えていると、その手がゆっくりと私の顎に触れた。
「俺はもっと、貴方の気を惹きたいのに」
「何のおつもりですか、郭嘉殿」
「貴方にもっともっと俺を見てほしいんです」
 郭嘉殿は軽薄に言葉を口にして、そっと私の唇を撫でた。
「だからこうやって貴方の気を惹いているんですよ、荀ケ殿……」
「郭嘉殿」
 私は身じろぎすることなく、懐に手を入れて、そこに忍ばせていた短刀を放つ。それが頬を掠め、郭嘉殿は手を離した。
「……荀ケ殿」
「驚きましたか、郭嘉殿。戦場でもしものことがあってはならないと思って、私も少しは鍛えているんですよ」
 こちらを見る目を見つめ返して、にこり、と微笑みかける。郭嘉殿は冷や汗をかいた様子で、「これは驚きました」と身を引いた。
「まさか荀ケ殿にそんな奥の手があろうとは」
 そして、逃げるようにそそくさと、「それでは」とすれ違って歩き出した。
 それを見送って、私は目を細める。
 成程、策だけ見れば郭嘉殿は素晴らしい。だが――まだ、青い。
 そして、熱の残る唇を撫でて、ふう、と呟いた。
「早く追いついてくださいよ、郭嘉殿」
 いつかまっすぐに並び立って話すその時が、楽しみで仕方がない。








郭嘉チャラ男! ずっと郭嘉と荀ケの話が書きたかったんだ!

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