小くら@

□意中のひと
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「周瑜よ」
 袁術に呼ばれて、平伏していた周瑜はそっと顔を上げた。
「何かご用でしょうか、袁術様」
「そなた、結婚する気はないか」
 突然の袁術の発言に、周瑜は目を白黒させる。構わず、袁術は続けた。
「そなたももういい年だ。妻の一人や二人持っても良い頃だろう。そうだな、私の姪などは、どうだ」
 どうやら袁術は、地元の有力者の家の出にして勇将である周瑜を、血のしがらみで自分のもとに繋ぎ止めたいらしい。それを察して、周瑜は「申し訳ありませんが」と困った顔を作って言った。
「私には、既に心に決めた方がいますので」
「ほう、そうであったか」
 何でもない声音を作って相槌を打つ袁術だったが、表情に悔しさが滲み出ている。
「文武両道、音楽の才にも長け、更に顔も整っているそなたの想う人というのは、余程の人間なのだろうな」
 言外に「余程の人間でなければこちらを選べ」という思いを込めて袁術が言うと、「はい」と周瑜は花のほころぶような笑顔を浮かべる。
「この世にまたとない、素晴らしい方です」
 こう言われてしまえば、袁術には続ける言葉もない。周瑜の想い人とやらに内心で罵詈雑言を浴びせながら、袁術は努めて平静を装って言った。
「下がってよいぞ、周瑜」





 ところ変わって、数か月後の江東。
 呂蒙は、自らが使える君主が、ここ数日何やら物憂げであることに気付いていた。
 初めは、彼の竹馬の友である周瑜と再会できるということが彼に何らかの感情をもたらしているのかと思っていたが、しかし親友と再会できるのに喜ばしげではなく物憂げというのはどう考えてもおかしい話である。とすると、他に何かあるのか。何があったのか問うべきか、それとも放っておくべきか。呂蒙は数日間ずっと悩み続けていたが、やがて意を決して、孫策に尋ねてみることにした。
「孫策様」
 窓の外をぼうっと眺めている孫策に声をかけると、彼はびくりと肩を震わせ、それから、「……呂蒙か」と振り向いた。
「何用だ?」
 訊かれて、しばし迷った後、呂蒙は単刀直入に尋ねる。
「その、数日前から、何やら思い煩っていらっしゃるようですが……何か問題でも、ありましょうか」
「問題?」
「はい。誰にも申しませんので、どうか、お教えください」
 誠意を持って、呂蒙はじっと孫策を見つめる。すると、孫策は体ごと振り向き、「悩みと言うほどのことでも、ないのだがな」と前置きした。
「数週間前から、ある噂が流れている。知っているか?」
「いえ……存じ上げません」
「そうか。まあ呂蒙はあいつと会ったことがないから、気にも留めなかったのかもしれぬな」
「その……噂というのは……」
「私の親友の、公瑾――周瑜のことは聞いているな」
「はい」
「その公瑾に、心に決めた人間がいると……そういう噂が流れているのだ」
「……はあ」
 それの何が問題なのか分からず、呂蒙は曖昧に相槌を打つ。すると、孫策ははあ、とため息をついて、窓の外を見上げた。
「公瑾は、文武両道、才色兼備、更には楽の才も持ち合わせている。私は公瑾より完璧な人間を今までに見たことがない」
「そのような方なのですか」
「ああ。……だが、そんな公瑾には心に決めた人間がいるという。それが誰なのか、私は知らないのだ。どころか、周瑜からは恋愛のれの字も聞いたことがない。親友であるのに、だ」
「それは、しばらくお会いしていないからでは……」
「だが、文は交わしている。普通は、何かあったら書いてくるものだろう?」
「はあ」
 孫策と周瑜の仲がどれほどのものなのかよく知らない呂蒙には、何とも答え難い話だ。
 孫策の話は続く。
「先ほども言った通り、公瑾は文武両道才色兼備、他に並ぶ者がいない。そんな公瑾の想い人ともなれば……それ相応の女人であるに違いない。そんな女人に敵う気が、私はしないのだ」
「ん?」
 何か最後の一言がおかしい気がして、呂蒙は首を傾げる。だが、聞き流して、口を開いた。
「でも、意外と抜けた方かもしれませんよ。完璧な方に限って、そういう女性を選ぶとも言いますし」
「……そうだろうか?」
「ええ」
 呂蒙の相槌に、はあ、と孫策は息を吐く。呂蒙は元気づけるように言った。
「いずれにせよ、あと数日以内で、周瑜殿とはお会いできるのでしょう? そのときに尋ねればよいではありませんか」
「……自分で尋ねる勇気がない」
「虎にも負けない小覇王様が、何を仰せですか。こういうときはすぱっと単刀直入に尋ねるべきですよ」
 自分ができるかは棚に上げて、呂蒙はそう言って孫策を励ます。
「……そういうものか?」
「はい。それでこそ孫策様です」
 これ以上会話を続けても埒が明かない、と思い、呂蒙は「ではこれで」と頭を下げて退出する。
 それから、気付いた。
 あのように弱気な顔の孫策を見るのは、初めてだということに。




「伯符様!」
「公瑾!」
 再会した孫策と周瑜は、ひしと抱き合った。
「よくぞ来てくれた、公瑾」
 孫策の言葉に、周瑜は花が咲いたように微笑む。
「伯符様のお呼びとあれば、何処へなりと駆け付けますよ」
 その笑みを懐かしいと思いながら、しかしこれだけはハッキリさせねばならぬと思い、孫策はごほん、と咳払いした。
「その……公瑾」
「何でしょうか?」
「お前が袁術に対して、心に決めた人間がいると、そう言ったという噂が、流れているのだが」
 突然の孫策の言葉に、周瑜は目を丸くした後、「ああ、その話ですか」と再び微笑んだ。
「まさか伯符様のお耳にまで入るとは。お恥ずかしい話です」
「その……私は長年お前と過ごし、更には文のやり取りまでしているが、お前に心に決めた人間がいるとは初めて聞いた」
 誰なのだ? と。
 孫策が声を潜めて尋ねると、周瑜はふふ、と恥じらうように笑みをこぼした後、そっと孫策に身を寄せて言った。
「私が全てを捧げると決めている方は、ただ一人、伯符様だけですよ」
「……っ!」
 それを聞いた孫策は、弾かれたように顔を上げて、じっと周瑜の顔を見つめる。
「……公瑾、今、何と」
「二度は言わせまするな。私とて恥ずかしいのですから」
 そう言って俯く周瑜の体を、思わず、孫策は抱き締める。それから、額と額をぶつけて、囁いた。
「俺もだ」
「……伯符様?」
「俺の想い人も、公瑾、お前だ」
 孫策の言葉に、今度は周瑜が顔を赤くする。
「……伯符様」
「二度は言わせるなよ」
 自分が孫策に言ったのと同じ言葉を言われて、周瑜はぎゅっと孫策を抱き締め返す。それから、
「……お慕い申し上げておりました、伯符様」
「愛している、公瑾」
 二人にしか聞こえない声で囁き交わすと、そっと身を離して、並んで空を見上げた。








唐突に「周瑜に心に決めた人間がいる」という噂が流れる、という話が浮かんだので。袁術は割と適当ですすみません。

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