小くら@
□目蓋も開けられないほどの眩い光が僕を追いつめる
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「公瑾、」
私の名を呼んで、伯符様が、その逞しい腕をこちらに伸ばす。
「なあ」
その手から逃げて、私は一歩、後ろに引く。だが、そこは壁だった。伯符様は最初からそれを分かっていたのだろう。追いつめられて逃げ場をなくした私の頬に、彼の手が、触れる。
触れた手は、驚くほどに熱かった。
「……何でしょうか、伯符様」
気付かないふりをして、私は伯符様に尋ねる。慇懃に、距離を置くように。だけど、それはその場しのぎでしかない。それで引く程度なら、彼は最初から何もしなかっただろう。
追いつめた私を囲い込むかのように、伯符様が私の顔の横に両手を突く。近付く顔。私は身を捩り、それから逃れようとする。
「なりません、伯符様」
嘆願するように言うと、伯符様はくしゃりと顔を歪めた。
「何故だ、公瑾。何故なんだ」
「貴方は主で、私は従で御座います」
「それでも私はお前を、」
「なりません、それ以上おっしゃっては」
伸ばした手で、伯符様の口を、塞ぐ。けれども、その掌はすぐに、伯符様の手で引き剥がされた。
「公瑾、」
捕らえた手を口元に持って行き、その手の甲に、彼は口付ける。
「公瑾、好きなんだ、愛しているんだ」
伯符様の言葉に、全身が、震えた。喜び、哀しみ、そして、苦しみ。それらが全身を駆け抜ける。
「なりません、伯符様」
「お前もそうだろう? お前も私のことを、」
「なりません!」
手を振り払い、覆いかぶさる伯符様を突き飛ばす。してはならぬことだと分かってはいるが、この先を言われるよりは、ずっとマシだ。
もともと不安定な姿勢だった伯符様の体は揺らぎ、隙ができる。その隙を、私は駆け抜けた。
「待て、公瑾!」
伯符様が呼ぶが、私は振り返らない。全速力で駆けて、駆けて、駆けて行く。
純粋な体力や脚力では私は伯符様には敵わない。けれど、彼が追ってくることはないと、私は確信していた。
廊下を駆け抜けて、孫家の門に到達する。そこで私はようやく立ち止まり、はあ、はあと荒い呼吸をした。振り返るが、伯符様は追って来ていない。
良かった、と言おうとして、心の何処かで追ってきてほしいと思っている自分に気付く。愚かな。それを握りつぶした。そこで。
「周兄?」
呼ばれて視線をそちらに向けると、孫権様の姿がそこにあった。
「……孫権様」
「どうしたのだ、周兄。酷い顔をしているぞ」
伸ばされた孫権様の、まだ少年らしい手が、私の頬に触れる。
「兄上が何か言ったのか?」
問われて、いいえ、と私は首を横に振った。
「伯符様は関係ありませんし、何でも御座りません」
「だが、」
「問題ありません」
言い切ってしまえば、聡い孫権様はそれ以上追及しては来ない。代わりに、彼は気遣わしげに私の顔を覗き込みながら言った。
「……周兄」
「はい」
「兄上に言えないことがあれば、私に言ってくれ」
「ありがとうございます」
優しい彼の言葉に、微笑で応える。私は上手く笑えただろうか。分からない。
だが、この話は孫権様にはできない話なのだ。
「それでは、私はこれにて」
頭を下げて、こちらを見る孫権様の視線を振り切るように歩き出す。
ずきずきと、胸が音を立てる。孫権様の言うとおり、私は酷い顔をしているだろう。気を抜いたら泣いてしまいそうだ。
「伯符、様」
その言葉が言えたら、どんなに良かっただろう。
好きだ、愛している、というその一言。
だけど、私たちはそれを口にするわけにはいかない。たとえ好きで愛し合っていたとしても。それでも、その言葉を口にしてはならないし、その想いを表面に出してはならないのだ。
伯符様は私の主、私はその幕僚の将軍。
その関係を崩してはならない。壊してはならない。私たちは、それ以外の関係になってはならないのだ。
「はは、」
乾いた笑い声が、涙の代わりに、こぼれ落ちる。
伯符様は眩しすぎる、まっすぐ過ぎる。私はそれに追いつめられてしまう。何度も言ってしまいそうになる。
だけど、死んでも言ってはならない。この想いは、互いに墓場まで持っていかなければならないのだ。
「愛しております、」
小さく呟いて、彼の屋敷の方を振り返る。そして、この言葉がどうか、伯符様に届きますように。そう思いながら続けた。
「だから、ずっとこのままでおりましょう」
これは私の願い。祈り。そして、懇願。
心のうちは明かせない。でもそうすれば、ずっと傍にいられるのだ。
だから私は全てを隠す。
ずっと、伯符様の傍で、伯符様を支え続けるために。
我が家の策瑜の基本姿勢がこれで御座います。愛し合っているのに言ってはならないとか切なすぎますよね!
お題は言葬様より。