小説3

□どこもいかないで
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「見ろ陳宮、兎が獲れたぞ!」
 大声を上げて陳宮の執務室の扉を開けた呂布は、室内が無人なことに気が付いて、「おや?」と首を傾げた。
「いないのか、陳宮?」
 名を呼びながら室内を見回してみるが、肝心の陳宮の姿は何処にもない。真面目な彼が仕事を放り出すことなど珍しい。呂布はそう思いながら、窓から身を乗り出した。
「陳宮?」
 辺りを隈なく探してみるが、やはり陳宮の姿は見当たらない。
「仕方がない軍師だ」
 腕を組みながら言って、呂布は兎をそこに置いた。
「よし、俺が探してやるか」





 徐州牧の仕事は、実質全て陳宮がこなしていると言ってもいい。
 仕事先の何処かにいるかと赤兎馬に乗って探してみても、陳宮はどの関係先にも来ていなかった。
「陳宮……」
 さすがに不安になった呂布は、一旦元の場所に馬を返しながら呟く。
「何処に行った?」
 そのとき、彼の胸の内に、ある可能性が姿を現した。
「もしかして……出て行ったのか?」
 ないことではない。呂布の顔が、さっと青ざめた。
 元来、陳宮は一人の主の元に留まることにこだわらない性格だ。相手に自分が仕えるだけの器量がないと思えば、すぐに斬り捨てて他所へと移る。
 それが呂布に適応されないとは、誰が断言できようか。
 最悪の可能性に、呂布は声を上げて叫んだ。
「陳宮!」
 すると。
 がさがさ、と目の前の草が動いたかと思えば、「呼びましたか?」という声。
 見れば、そこには探していたはずの陳宮の姿があった。
「陳宮!」
 呂布が赤兎馬を下りて駆け寄ると、「参りましたよ」と陳宮は肩を竦める。
「私の方も、殿を探していたのです。行く先々で『先程来たところだ』と言われて、困っていたところです」
「そうだったのか……」
「はい」
 帰りましょう、と歩み寄って来る彼に、呂布は手を差し出した。
「陳宮」
「はい」
「乗れ」
「はい?」
「またいなくなられては困る。赤兎に乗れ。そうすれば、はぐれることもないだろう」
「ですが……」
「つべこべ言うな」
 おずおずと載せられた手を引っ張って、呂布は陳宮を馬上へといざなう。そして、彼がしっかりと座ったのを見遣ると、「離れるなよ」と言い置き、赤兎馬を走らせ始めた。
「殿……怒っていらっしゃいますか?」
「何故だ?」
「いつもより、口数が少なくていらっしゃいます」
「……気のせいだ、忘れろ」
 赤兎馬をよりいっそう急がせながら、呂布は心の中で呟く。
(何処にも行くなよ、陳宮)
 そう言えば、どう返されるか。それが怖くて、呂布はその問いを、陳宮に向かって言うことができなかった。







呂布にひたすら「陳宮!」と叫ばせたかっただけの話。

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