小説3
□ゆめのうつつ
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※おもいっきりBL。注意!
「公瑾」
どこかで、私を呼ぶ声がした。
「伯符様……?」
懐かしい名前を口にしながら、ぼんやりと目を開ける。そこにあったのは、見慣れた船の天井と、――そして。
「起きたか、公瑾」
「……伯符様」
見間違えようもない、あの人の姿だった。
「何故、此処に」
「どうでもいいだろう、そんなこと」
「そのようなことは……」
「公瑾」
私の言葉を封じる伯符様の声に、体が、震える。寝起きの腕をそっと伸ばすと、確かに、そこには伯符様の肉体があった。
「何故、」
「少しは自分で考えろよ、俺の軍師殿」
悪戯っぽく笑った伯符様が、しなやかな動きで私の手を捕らえる。ハッと目を見開くと同時、そっと瞼に口付けられた。
「ずっと待たせたな、公瑾」
「待たせたとは……何を……」
「俺にしか出来ないことを、一つだけ置いてけぼりにしていた」
優しい温もりが離れたのを感じて目を開くと、つう、と涙がこぼれ落ちる。視界に映り込む伯符様の顔は、ぼやけていた。
「……伯符様」
「分かるだろう、公瑾」
なあ、と囁きながら、髪を梳く掌。かつてのとはまた違う手つきに、思わず、言葉が滑り落ちていた。
「……抱いてくださいませ、伯符様」
「ああ」
ずっとずっと、言えなかった言葉。
「抱いてやるよ、公瑾。壊れるくらい、優しく甘く」
肉の削げた頬を撫でた伯符様の手が、私の顔を包み込む。唇が重なると同時、「一つだけ」と声がした。
「どうせ一度きりだ、『伯符』と呼べ」
「……そのような」
「もう、俺はお前の君主じゃない。だからこうして抱くんだ。分かるだろう? 公瑾」
「……ええ、そうですね、伯符」
「ほら、敬語も」
「……そう、だな」
ああ、いつぶりだろう。こうして言葉を交わすのは。君主という枷から放たれて、ただの伯符と公瑾として向き合うのは。
「痩せたな、公瑾」
「かもしれないな」
まるで昔のような呼び方、距離、表情。ただ一つ違うのは、そこに、未熟なまま封じ込めた想いが乗っていることだけで。
「ずっとお前に触れたかった」
「……私も、触れてほしかった」
伯符、公瑾、と私たちは呼び合う。何度も口付けられて、強い手が膚の上を這う。力の入らない腕で、その逞しい体を抱き寄せた。
そして、決して言えなかった言葉を、口にする。
「愛してる、公瑾」
「愛している、伯符」
喉の痛みを感じて、目を開けた。
「ここは……」
ゆらゆらと、寝台が揺れる。船の上のようだ。自分がいまどういった立場で何をしているのか、それを思い出して瞬時に納得する。
「……夢か」
見れば、何処にもあの人はいない。寝台は少し乱れていたが、寝乱れただけだろう。とんだ夢を見たものだ、と苦笑する。
「よりによって、あの方と……」
本当は、ずっと気付いていた。自分の想いにも、相手の想いにも。けれど、あまりに遅すぎたのだ。それを受け入れたときにはもう、あの人の父は死んでいた。そして、私とあの人は、主と軍師になるしかなかった――親友という立ち位置すら半ば戦略として利用するしかないような、そんな関係に。
だから、できなかった。想いを叶えることなんて。
幼い頃、自覚したての頃に交わした口付け。触れあいは、それ以降消えた。私が拒絶した。無言の下に。
だって、膚を重ねれば、想いも移してしまうから。
「周瑜殿」
物思いに沈んでいた私は、部屋の外からかけられた声に慌てて身を起こす。凌統だ。ほっと息を吐いて、私は壁に体を預けた。
「入れ」
身支度を整える暇もないが、それは仕方ない。凌統だって、そんな私の姿にとっくに慣れてしまったことだろう。仕方がないのだ。もう、自分の力だけでは、寝台から降りることすら叶わないのだから。
「周瑜殿、お加減は……」
「問題ない」
顔を覗かせた凌統に言い放ち、最大の武器とも言われた笑顔を浮かべてみせる。だが、凌統はそれには答えず、つかつかと歩み寄って来た。
「周瑜殿……これは?」
失礼、と言いながら首元を指差されて、え、と声が漏れる。だが、慌てて表情を繕って、手近な机から鏡を取り寄せた。
「……これは」
散っていたのは、真っ赤な華。幾つも幾つも、まるで膚を埋め尽くすかのような。
「……もう、長くないのかもしれんな」
「周瑜殿?」
「そういうことか、伯符……っ」
鏡を膝の上に置いて、ギュッと喉を掴む。真っ赤な血の華は、首だけではない、体の至る所に刻まれていることだろう。
伯符、お前は迎えに来たのか。それとも、最期に一つ、願いを叶えに来たのか。
立場から放たれたのはお前だけではない。
「私も、か……」
「周瑜殿、顔色が……!」
視界が曇って、脳からふっと力が抜ける。
閉じた瞼に浮かんだ顔に、私は「凌統」と若き軍師の名を呼んだ。
「紙を持って来い。……孫権様に、お伝えせねばならぬことがある」
最後の一度だなんて、とんだ大嘘吐きめ。
周瑜の死の前に孫策が迎えに来たらいいよね……妄想。「赤壁の宴」からやや派生。