小説2

□京都幕末妖異譚・零
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 目を覚ますと、そこは見たことのない部屋だった。
 首をぐるりと見回すと、人がいた。見覚えのない男だ。黒い髪を束ねている。――二十代の半ばを過ぎたくらいだろうか。藍地の地味な着物を着ている。男がふっと振り向く。あたしの目に映ったのは、役者のような顔立ちと――そこに配置された、一見涼やかだが険のある鋭い目だった。こちらを射抜くような眼差しに、ドキリ、とする。甘やかな意味ではない。剣を心臓に突き刺されたかのような寒気と恐怖だ。
「副長?」
 私の方を一瞬見た男に、彼と向き合っていたもう一人が訝しげな声を上げる。あたしの角度からでは、その男の姿は見えない。少しこもった、世辞にも良い印象を受けない声をしている。
「……いや、なんでもない」
「そうですか」
「神経が過敏になっているのかもしれん」
「そんな、副長が」
 副長。
 はて、一体何処で聴いた言葉だったろうか。思い出せないながらも、単語が何処かに引っかかる。そんなあたしに気付くことなく、二人の男は会話を続けた。
「先日の件ですが」
「……何かあったか」
「いえ、何かあったというほどのことは」
「誰か生き残っていやがったか?」
 生き残っていた、とは随分物騒な言葉だ。この男たちは何か良からぬ仕事でもしているのだろうか。
「芹沢派はあらかた処断したはずだが?」
 芹沢派。
 芹沢、
 芹沢と、言った?
 芹沢様、芹沢様、芹沢様?
「はい。芹沢の葬儀も滞りなく行われましたし、表立っての不審な動きはありません」
「なら何だ?」
「……芹沢の、女についてです」
「女? 情婦(いろ)か?」
「はい。……芹沢の妾の一人が自宅で死んでいるのが、見つかりました。死後十日程経っているようで、どうやら他殺らしいです」
 十日前に死んだ芹沢様の女?
「これは隣人の証言ですが……どうやら、芹沢が殺したのではないかと」
「何だと?」
「芹沢の怒鳴り声の後、女の悲鳴と物音が聞こえたとかで……」
「その女の名は?」
「おれん、と」
 おれん(、、、)
 それは、あたしのことじゃあないか。
「初めて耳にする名だな。確かな話か?」
「目撃証言はありません。あくまで、声を聞いた、としか。……けれど、芹沢ならあり得ないことではありません」
 あたしは、死んだのか?
 芹沢様に、殺されて。
 思い出そうとするが、それらしい何かは思い出せない。――けれど、芹沢様が死んだということを、あたしは知らなかった。どうやらこの男たちは何か知っているようだから、芹沢様がお亡くなりになられたということは確かなことだろう。それなのにあたしが知らないというはずがない。
 あたしは、芹沢様を愛していたのだから。
 だから、芹沢様が亡くなって私が気付かないはずがない。
「ああ、あの男ならありうる」
 苦虫を噛み潰したような顔で副長と呼ばれた男が答える。
「だから処断した」
 先程も、この男たちは処断という言葉を口にした。……それはつまり、この男たちが芹沢様を殺したということだろうか? この男たちの手によって、芹沢様は殺されたと、そういうことなのだろうか?
 不意に腹の底が熱くなり、何かが喉をせり上げてきた。
 悲しみなんて生易しいものでも、怒りなどという簡単なものでもない。
 これはそう、間違いない。
 殺意だ。
「……副長、誰が聴いているか分かりませんよ」
「分かっている」
「副長、」
 そして、せり上がってきた感情とともに、あることを思い出した。
 土方歳三。
 それがこの男――新撰組副長の、名だ。
「芹沢は死んだとは言え、それが芹沢の仕業なら新撰組に責任を問う話も持ち上がるだろう。――山崎」
「はい」
「その女の件、もう少し詳しく調べておけ」
「分かりました」
 山崎と呼ばれた男が去って行く足音が聞こえる。けれど、そんなことはどうでも良かった。
 芹沢様が殺された。
 犯人は、今あたしの目の前にいる男――土方歳三だ。
『呪ってやる』
 土方も立ち上がり、部屋から離れて何処かへと去ろうとする。その背中に、あたしは呟いた。
『呪ってやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる』
 よくも――よくも、芹沢様を。
 あたしが芹沢様に殺されたのだということなんてどうでも良い。そんなことは瑣末なことだし、芹沢様の手で殺されたのならあたしも本望だ。芹沢様のあの力強い手で殺されたのなら、これ以上に幸せなことはない。
 芹沢様。
 芹沢様を殺したこの男を、あたしは許さない。土方歳三を許さない。土方歳三とともに芹沢様を殺した者たちを、許さない。
 あたしが殺してやる。
 芹沢様の死の原因に関わった者は全員、全て、一人残さず殺してやる。





 
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