イタナルコ編

□無敵の彼女(〜ブルーフォックス〜)
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 柔らかな肌の温もりに包まれる事も、花の芳香に似た優しい体臭も、初めて経験することだった。
浅い眠りが常だったイタチが久しぶりに深く寝入り、日差しを感じて目を覚ましたとき、至近距離にナルコの寝顔。
始めは驚いて身体を強張らせたが、必死で先日の顛末を思い起こせば、イタチの止まらない涙を気づかって、添い寝してくれたのだ。無警戒で無防備。
人を信用しすぎだと思いつつも、何処かくすぐったい。
(……眉毛も睫毛も蜜色……光に透けてキラキラしてる……)
 相手が眠っていることをいいことに、これ幸いとじっくりと観察する。
イタチが寝つくまで、子守歌を歌ってくれた。
声質がいいとは思っていたが、ここまで上質だとは思わず、相手がただ気軽に歌ってくれているそれを聞きながら、鳥肌が立つ。
音域が広く、深い情緒。
女性らしいまろやかで柔らかい旋律が、目に映る景色とは違う物を見せてくれる様だ。
イタチは半ば強引に「寝れってば」と促されて目を閉じた。
小柄で華奢な体躯と相まって、園児か小学生並の年齢頃の扱いをされているのは、なんとなく理解していた。
ためらいも成しに抱き込んで背をゆったり摩られたのを覚えている。
寝巻越しとはいえ、豊かでありながら美乳とも言える胸の深い谷間に顔を埋める羽目になった、多感な季節を謳歌する青少年の複雑な心境も露知らず。
 囁くような子守歌も、今は寝息しか聞こえない。
(身の危険とか、考えてないのだろうなぁ……俺の経歴知っているはずなのに、これだ。皆が心配するのが良く判る)
 血が繋がらない上に、異性同士だ。
互いを認識した上で出会って、今日で二日と日も浅い。
(十三、なのだけどなぁ……俺)
 小学生後半から中学生に入る頃から異性を意識するようになるという事を忘れているようなこの状況に、頭痛を覚える。
海外ではその年齢で初体験を終えている者も居るというのにだ。
それだけではなく、小学校高学年で出産までしている少女が居るという事実が、どういう意味を持つか考えていないのだろうか。
(信じてくれるのは、嬉しい。……でも、ここまで俺に対して無警戒だと、それだけ異性として意識されていない証拠のようで、痛いと思うのは俺の勝手かな……?)
 熟れた果実の様な色彩に染まる、僅かに開いた唇を、指先で辿る。
 誘われる様にその唇に己のそれを重ねようとして、部屋に突然ベルが鳴り響いた。と、今まで眠っていた筈のナルコの目が開く。
「……朝? ……あれ、イタチ。どうしたんだってば、うなだれて」
「……なんでもない……」
 手を延ばして、鳴り響く時計のタイマーを止めると、胸の谷間に当たる部分に顔を埋めているような状態で脱力しているイタチを不思議そうに見下ろした。
「わたしのほうは、今日の大学の講義は午後からだけど、イタチは中学校でしょ? 今、七時だから、急いで朝食作って間に合うかな? あそこの学校って、ここから三十分徒歩で掛かるから……ギリギリ。簡単なものになるけど、着替えて台所においでってば」
 伸びをして、イタチを残して布団から出ると欠伸を一つ。ウサギ柄の可愛いながらも色気とは程遠い寝巻の後ろすがたを見せて部屋を出ていく。その背に、イタチは声をかけた。
「ナルコ姉さん!」
呼ばれて振り返った。
「ん?」
「特定の……好きな人、居る?」
 襖を閉める直前に、それを止めて首を傾げた。
「好きな人? お付き合いしている相手、っていう意味で?」
 ナルコは確認を取る意味で聞き返すと、イタチは真剣な表情で頷いた。
ナルコは破顔する。
「居るわけないってば! 大学通いながらバイト三つと勉強で忙しいんだってばよ? そういうのは、生活に余裕のある人達が持っているモンだってばよ」
 あっけらかんとした返答に、何処か納得する。
恋人が居るなら、こういう事には成るはずないからだ。
まず、異性を家へ上げる事態を相手が許さないだろう。
「んじゃ、急いで着替えるんだってばよ? 登校に間に合わなくなるから」
 今度こそ本当に部屋を出ていった。
軽い襖を閉める音がした後、足音が遠ざかるのを耳に捉える。
 壁に掛けてあるハンガーに下げた学生服を布団を抜け出して着替え、鞄の中の筆記用具を確かめた。
教科書類は殆ど学校の引出しか教室の専用ロッカーの中に入れていたが、イタチはここで生活するのだと決めたのだ。
こちらに全て持ってこようと思う。
すこしづつ私物を増やして、寛げる居場所にする。
ここでなら、きっと深呼吸ができるだろう。自由に……遠慮も体裁も見栄すら張る必要は無く。
着替え終えると布団をあげて押入れに仕舞う。
遠くでイタチを急かす声が響いた。
 それに答えて、一度だけ自分の部屋となった、中庭の見える和室を振り返る。
自然顔が綻んだ。
帰る場所が出来た。
ココに帰って来るのだ。
そう思いながら、襖を閉めて台所へ急いだ。
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