イタナルコ編

□無敵の彼女(〜ブルーフォックス〜)
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 二ヵ月後、教師の資格を取る課程の一貫として、研修に市内のとある中学校を訪れたナルコは、その学校でイタチを見かける。
 声はかけなかった。楽しそうに微笑んでいたから。友達に囲まれ、幸せそうだったから。研修は一ヵ月。何の偶然か、係わらずに済む学年のクラスの担当だ。
 教職の研修と大学へ提出するレポートに追われる毎日。一ヵ月の研修を終えて、教育現場で得た様々な経験をまとめあげてどうにか提出した、帰り。
 自宅の玄関先で、スポーツバッグを抱きしめたまま、うずくまるように座り込んだ、少年が一人。あの日の少年、だった。
「……家族のトコに帰ったんじゃ無かったんだってば? イタチ」
 ゆるゆると上げた顔は、伺うように呆れた声をあげたナルコを見つめる。その濡れた様な黒い瞳に浮かぶ光は、何処か拗ねた色が宿っていた。
「学校で見かけたから、探したのに会えなかった。……あの日、黙って居なくなったから怒っているの? 俺に、もう会いたくないって思うくらいに」
 ナルコは屈んでイタチの頬を軽く引っ張った。
「野良猫は、警戒心が強いから、餌食べたあとにさっさといなくなるのは、まぁ良くあることだってば。そりゃ、あの日探して慌てた事も、ちょい落ち込んだことも本当。一言でも声掛けて帰るなら判るのに、何も無くドロンだもの。あの中学に居たのは、あたしが拾った野良猫イタチじゃなくて、あの中学に通う生徒の団扇イタチ、でしょ? ちゃーんと、名簿で確認したんだってば。で、こうやって身綺麗でいられるって事はちゃんと家に帰ったってコトだってば?」
「……いや。俺の顔と身体を気に入っている愛人宅に居たからだ」
 返答にナルコは固まった。
「俺を拾う相手はいつもそれが目当てで、だからああいう理由で拾われたのは初めてだったから驚いた」
「…………」
「見返りを求めない相手はあんたが初めてだ。女性だっていう点も」
 イタチの台詞にナルコは目眩を覚える。
「確かに俺には家族がある。あの家は……俺の意思を潰す。だから、出た。好きなことをしようと思った。両親が顔を顰めるくらい落ちてやろうとさえ思った。権力と金が全ての両親と一族が見向きもしない…顔を顰めるくらいの落ち方をしてやろうと」
 イタチは見下ろすナルコを見上げて、眩しそうに目を細める。
 キラキラとした蜜色の金糸が、さらりと零れ靡くさまは夢のよう。澄んだ湖面のような瞳に浮かぶ光は無垢であるが故の純真さと、己の願いを叶えるために邁進する強烈な意思の力と相まって謎めいている。繊細で端正な面立ちと均整の取れた女性的な曲線を描く身体は瞳の力とは間逆で、庇護欲をそそる儚げなものだ。
「あんたと出会ったあの場所で生活する連中の何人かがあんたを知っていた」
「あ…まぁ……生活費が無いときに、パチンコで稼ぎに行ったことも昔はあるし……あの近辺に住む子たちとはゲーセンで遊んだ事もっ…ってか、あの近辺出入りしてたのかってば? 結構ヤバイ界隈だってばよ?」
「あんたのトコに行くって言ったら、なんでか皆、色々と手を尽くしてくれて、俺の抱えているあそこでのいろんな事…俺を買春してた愛人たちの清算にまで力を貸してくれた。全て一通り片が着いたあと、あんたに宜しくって言って、時々俺たちに顔見せに来いだって」
 イタチの上目遣いの何処か伺うような告白に、目眩と動悸が激しくなる。
「……うわぁ……イタチ、みんなにどういう説明したの? そこまで積極的にみんなが動くなんて……」
「聞かれたから正直に答えた」
「正直に? ……なんて」
「ナルコお姉さんに拾われて、今度からペット生活を始めるから、今までの過去を全て清算したいんだけど、どうすればいいか判らないって」
「…………」
「そしたら、お姉さんの一人暮らしをみんな心配していたみたいで、番犬も努めるなら、力を貸すといわれた」
 ナルコはこの言葉に撃沈した。暫く立ち直るまでに時間が掛かりそうだ。
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