■天上の海・掌中の星
□余寒春兆
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「たったら〜らん、
たったら〜らん、
た・らったらった…♪」
スキップこそ踏んでないものの、足取りも軽く、ついつい鼻歌がこぼれてしまう帰り道。陽も随分長くなったし、身を縮めさせるような冷たい風も、一頃に比べたら弱まった。そして何より、昼間の陽射しの明るく暖かいこと。暦の上ではもう既に次の季節へ移行しているのだからして、現実の本当の"春本番"までにしても、あとわずか、秒読み態勢というところか。
"うう〜、
お腹が空いたよ〜い。"
たいそう小柄な坊やはこれでも中学生で、今日は部活があったのでもうお腹がぺこぺこで。それでもあと少しだぞっとばかり、パタパタと小走りになるとクセのある猫っ毛が頭の上でふさふさと撥ねる。大きな眸に丸ぁるいおでことふかふかの頬。愛嬌のあるお顔は表情豊かで、人懐っこい笑顔が何とも言えず愛らしい。学校指定のコートに制服。白いスニーカーの足首近く、ちょこっと汚れた紐が駆け足に合わせてぴょいぴょいと弾んでいる。いつものデイバッグとは別に、手に提げた少し大きな紙袋をゆさゆさガサガサ、元気な歩調に合わせて揺らしながら、
「たっだいま〜っ。」
かすかに軋む門扉を開けて、小さな玄関をガチャンと開けて辿り着いたるマイホーム…だったのだが。
"………あれれ?"
飛び込んだ玄関にまで、それはそれはいい匂いが漂ってくるから、おややと小首を傾げかけたが、
「…あっ!」
素晴らしき反射神経で状況を分析しながら、もっと素晴らしき反射にて、足は既に動き出している。スニーカーを蹴るように脱ぎ飛ばし、廊下に上がって"ばたばたばた…っ"と駆け込んだ台所。きれいに磨かれたシステムキッチンの前に立っていたのは、いつもの大柄な緑髪の偉丈夫ではなく。
「よっ。」
水色のシャツの袖を腕まくり。甘い色合いの金髪をぱさりと色白な顔まで流した、長身痩躯の美丈夫だった。気安い会釈を向けられて、
「サンジっ! 来てたんだ!」
うわい・うわいと坊やがはしゃぐ。彼と会うのも嬉しいことだし、そこに加えて、
「じゃあじゃあ、
今日の晩ごはん、
サンジが作って
くれてるのか?」
お料理上手な彼である。どんな美味しい至高のメニューを並べてくれるのかと、それを思うと嬉しくて堪らないのだろう。そんな期待をそれはそれは判りやすくも満面に浮かべている彼へ、そこは…多少は面映ゆげな顔をしつつも、
「ま〜な。」
さらりと流すところがまた余裕。お玉で掻き回していた鍋に蓋をしつつ、
「ほれ、とっとと手ぇ洗ってこい。」
「おうっ。」
すっかり馴染んだやり取りを交わし、廊下へ戻ると奥向きの洗面所へ向かいかかった坊やだったが、
「くぉら、待たんか。」
そんな坊やの首根っこを後ろからひょいと掴んだ、大きな大きな手があった。
「あや?」
「"あや?"じゃねぇよ。」
肩越しに振り返れば、こちらこそが…いつも坊やを待ち受けてくれている方の緑髪のお兄さん。背が高くて頑丈そうな体つきの、いかにも頼もしそうな青年である。
「玄関の外にまで
スニーカーが吹っ飛んでたぞ?」
「あやや、ごめん。」
くるりと方向転換をし、靴を揃えに玄関へ戻ろうとする坊やの胴回りを、トレーナーを着た長い腕でひょいとすくい上げ、
「もう揃えて来た。」
「むう、自分でやんないと覚えねぇんだぞ?」
「何を威張っとるか。」
両手で脇を支えて赤ん坊相手のように軽々と、腰高なその腰あたりまでという結構な高さまで抱え上げた坊やと、どこか漫才のような会話を交わしていた彼だったが、
「…ぞ〜ろ。」
ばっと広げて伸ばされて来た幼い腕に応じて。そのまま"ぽすん"と懐ろへ抱え込む。いつものことであるらしい、お見事な呼吸であり、
「ただいまvv」
力いっぱい"ぎゅううっ"と抱き着いてくる坊やからの抱擁に、
「ああ、おかえり。」
ややソフトな声にてしっかり応じながら…こちらも嬉しそうな和んだお顔になる彼は、破邪精霊のロロノア=ゾロといい、ここだけの話、実は人間ではない。見た目的には二十代前半くらいの、十分に若々しい年代風なのだが、それにしては。学生ではなさそうな、一種重厚な落ち着きをその雰囲気にたたえた男性で。淡い緑という珍しい色合いの髪を短く刈って、左の耳朶には三連の棒ピアス…という、ちょっと砕けたいで立ちをしているが、どうしてどうして軟弱・惰弱な"ナンパ"な風体には決して見えない。広い背中にかっちり頼もしい肩口・二の腕。肉置きの隆と張った厚い胸に、無駄なく締まった腹・腰という、何ともがっちりした体躯。鞣なめした革のような肌の張りついた、顎からおとがい、首条にかけては、きゅっとばかりに引き締まり、凛と冴えた面差しを引き立てている。しゅっと撓やかに伸びた背条や長い手足との程よいバランスから、さほど…これみよがしなゴツゴツした風情には見えないものの、そこらに たむろっているやんちゃな若い衆というよりは、どこぞの武道場に通う猛者という感じの青年だろうか。
「ほれ。手ぇ洗ってきな。」
「おうっ。」
廊下に降ろされて、ガサガサと荷物を鳴らしつつ、突き当たりの洗面所まで駆けてゆく元気さよ。そんな坊やを見送りつつ自分はキッチンへと足を進めた精霊さんへ、
「成程、お元気なこったな。」
サンジと呼ばれていた青年が苦笑を含んだ声をかけ、
「まぁな。」
それへと…何ともくすぐったげな顔で応じる破邪さんだったりするのである。