■天上の海・掌中の星


□南京夜祭
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 まだまだ昼間は陽も高く、動き回れば小汗もかくものだから。涼しくなって来ましたね、いい気候になりましたねと耳にしてはいても、何だかあんまり実感はなかった。それでも。風の中に金木犀の甘い匂いがして、テレビのコマーシャルにシチューとかグラタンのが増えてきて。そうしている間にも季節は塗り変わり、足元から伸びる影はすくすくと背を伸ばして。秋色のカレンダーを一枚めくるとその途端、風の色まで違ってくる。3時を回る頃には陽射しも何となくオレンジ色っぽくなってるみたいで。それが5時を過ぎるとあっと言う間に暗くなる。赤紫や紺色が順番になって染まってる西の空では、遠くの丘の上の松の木とか、輪郭が細かいとこまでやけにくっきり浮かび上がってて。凄げぇって口開いて見とれてたら、手が止まってんぞって大きな拳で"こつん"ってこづかれた。
「なあなあ、ゾロ。」
「なんだ?」
 時々シャツの肩をすべってずり落ちるエプロンの紐を引っ張り上げつつ、キヌサヤのすじを不器用そうに取りながら。ダイニングテーブルの向かいで、こちらは…ニンジンとキャベツと生しいたけと赤板カマボコとを見事な短冊切りにし終えた同居人へと声を掛ける。モヤシとキヌサヤと万能ネギは仕上げに入れるから遅くても良いんだって。だから俺にやらせてんだって。言うよな〜。プンプン、だ。まあ良いけどさ。

「俺さぁ、前はサ、陽が落ちるのがつまんなかったんだ。だって皆、すぐに家へ帰るだろ? 塾がある奴でもさ、始まる前とか次のに行く途中とかに道端で会ったら、そのままそこでダベッてたのがさ、やっぱ暗くなると顔が見えなかったりするしで、すぐにじゃあなってなっちゃってさ。」

   「ふ〜ん。」

「他の奴もサ、別に家ん帰ってもテレビ見るくらいで何てすることがある訳じゃないのに、帰らなきゃってなるんだって。俺、そういうの判んなくてさ。いつもエースが迎えに来るまで遊んでたし。そりゃあ暗いのは怖いけど、真っ暗になる訳でもないうちから"もう帰る"ってなるのが何でなのか判んなかった。」

   「…ふ〜ん。」

「でもな、今は判るんだ。だって、ゾロがいるもん。家に帰んの、凄げぇ楽しい。陽が落ちそうになった外が、何だかツンとして来て寂しくなって来ても、大丈夫だもんねってホカホカする。嬉しくてわきわきするんだ。」

   「………。」

「…ゾロ?」

   「…すじ、全部取れたのか?」

「あ、もうちょっと。」

   「お前は妙なところでトロイんだから、口より手ぇ動かせな。」

 失礼だな、これでもクラスでは一番足速いんだぜ? 小学校の時からずっと、運動会ではリレーの選手してるし。そう言ったら、
「そういう意味じゃねぇの。」
なんて"くくっ"って小さく笑いながら言い返された。じゃあ、どういう意味なんだろ?(笑) でもさ、何となくサ、やっぱ楽しい。帰って来た玄関には鍵とか掛かってなくってさ、ただいまって言ったら"お帰り"って言ってくれる。インスタントとかコンビニの弁当で済ましてた晩のご飯もさ、こうやって食べたいもの、作るようになった。コックさんやお母さんみたいに"パパパッ"って手際よく作れる訳じゃないけどさ。俺が1つする間に、ゾロは残りの下ごしらえ全部しちゃうくらい器用だし、食べたことないっていう料理でも、朝のうちに言っとけば…どっかのコックさんとかの傍まで行って手際とか見て来て、こうやって作るんだぜって教えながら一緒に作ってくれる。それが何か凄げぇ楽しいんだな。
「出来たっ!」
「よし、持って来い。」
 レンジの側にはザルやボウルが幾つも並んでて、ガス台には半球に丸ぁるい中華鍋と口の広い両手鍋。
「まずは野菜を炒める。こないだ注意したな? 何に気をつけるんだ?」
「えと。油を沢山ひいた鍋には水をこぼさない。」
「そう。野菜の水もよく振って切っておく。」
「おうっ。」
 勇ましいだろ? これから"ちゃんぽん"作るんだぜ? 野菜が一杯入ったラーメンの熱っついやつvv
「ゾロ、肉とかイカが先じゃないのか?」
「ん? あ、そうだった。すまんすまん。」
 時たまは間違えることもあるゾロせんせーだけど、それはまあご愛嬌。
「熱っついっ!」
「ほら、投げ入れる奴があるか。油、飛んだか? すぐに水で冷やせ。」
 わあわあとにぎやかに、外の陽射しがいよいよ落ちてゆくのも気に留めないで。楽しい夕餉作りは盛り上がっていたのだった。




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