■天上の海・掌中の星


□晩夏黄昏
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 「………あっ。」

 夜陰に満たされた静謐の中、耳鳴りがしそうなほどの静けさが、だが、時折起こる、唐突な物音によって寸断されている。衣擦れきぬずれとは微妙に違う、布の擦こすれる微かな音。小さな息遣いの響き。そして、
「ん………や、あぅ…。」
 妙に艶めいた、高くてか細い声が、先程から延々と続いていて。最初の内は寝息の中にリズムの違った吐息が混ざるくらいのそれだったものが、
「あ、あぁ…や…いゃぁ…。」
 すすり泣きにも似た、切なげな細い声が徐々に高まりつつあると分かる。まだ意味も分からぬ悦楽の官能。寄せてくる何かしらの波に追い上げられて、甘い吐息に縁取られた声ははっきりと聞き取れるまでの喘ぎとなっていて、
「…ひ、ぁんっ。」
 薄い夏掛けの縁からはみ出して、薄闇の中に痛々しいほど白く浮き上がっていた細っこい脚が、一瞬、撥ねるような淫靡な動きを見せたその時だ。

 ―(ひゅぅいっっ!)

 銀色の閃光と共に室内の空気ごと切り裂くような疾風が走って。次の瞬間、

  ― ぎゃぃぎぃえぇぇっっ!!

 何とも形容し難い声高な絶叫が、夜陰を震わせ轟き渡る。……………とはいっても、きっちりと結界を張ったその中だったので、その断末魔の声に脅かされた人々が何事かと駆けつける心配はないのだが。その代わりのように、

 「うしっ! 終わりっ!」

 これで鳧けりはついたぞ、文句はなかろうと言わんばかりの勇んだ声がして、それへと、
「こらこら、こらこら。」
 呆れたような声がかぶさった。
「"封魔浄天"の咒は?」
 そうと訊かれた男が、白鞘へと日本刀を収めつつ憮然とした様子で応じる。
「そんな上等なもん、こんな手合いには要らねぇよ。」
 ケッと、何かしら吐き出すような、行儀の悪い言いようをする辺り、よっぽど腹に据えかねたのだろう。そして、その理由が何となく判る相方としては、何とも言いようのない苦笑をこぼすばかり。
"こんなまで感情的に沸騰するなんて滅多にないことだからな。"
 薄闇の中、しかもシャツからボトムから黒づくめという風体なので少々分かりにくいが、上背のある、屈強な体躯をした若い男だ。淡い緑という突飛な色の髪を短く刈っており、彫りが深く鋭角的で男臭い面差しと合わせて、雄々しく鍛え上げられた頑強そうな体つきにはたいそう良く映えているものの、堅そうな胸板も二の腕も、広い背中も頼もしい肩幅も、きっちりと取り揃えられているというのにおいおい そんな彼のすこぶる秀でた男ぶり、残念なことにそうそう簡単には見ることが出来ないと来ている。


 ― 破邪精霊、翡翠眼のゾロ。


 泣く子が黙る…かどうかは知らないが、陰界の住人たちには恐れをもって広く流布している存在。天聖世界から派遣されてやって来ている、邪霊封殺のエキスパートで、精霊刀の一閃により大概の魔物は封滅出来る、凄まじいまでの力の持ち主でもある。ま、早い話が"人間"ではないのだ。
"…おいおい。"
 そして、そんな彼の相棒が、乱暴な封じをやってのけた彼へ先程から呆れたような顔を向けている、ついでにこちらのMCへの相槌も忘れない行き届いたお方、

 ― 聖封精霊、蹴殺のサンジ。

 …とかいう仇名は、確か付いてなかったでしたっけね。(笑)

 "…まあ、良いけどよ。"

 脱線ばかりしていてはキリがない。(まったくだ) こちらはすらりと鋭い、まるでカミソリのような印象を与える長身痩躯な青年で、柔らかな光沢の金色の髪をぱさりと顔の半分が隠れるほどまで伸ばした、青い眸のクールガイ。冷たく冴えた面差しはすっきりと整っており、スーツ姿が良く映えて、なかなかにダンディでもある男前。天聖世界でも一、二を争う攻撃力を誇るゾロの相棒として、防御結界を専門に操る一族の当主の御曹司でありながら、少しばかり畑の違う"破邪"という部署に引き抜かれたのが彼だそうで。封印結界を下す力のみならず、探査の能力にも長けているため、攻撃力にばかり力が偏っているゾロと一組にしてバランスを取らせ、今や彼らに睨まれて無事で済む者はいないとまで噂されている、世にも恐ろしきコンビなのである。

 "おいおい、そういう言い方はよせ。
 俺は野郎とコンビ組まされるなんて
 思ってなかったんだからな。"

 あはははは…vv でもだって、天使長の色香に言いくるめられたんだよね。
"…うっせぇよ。"(笑)
 で、今回はと言えば。夜な夜な寝所に通っては、いたいけない少年をじりじりと弄んでいたらしい邪霊という、何ともややこしいものを相手にした彼らであり、サンジが周囲と隔絶させる結界を張ったその途端に相手に躍りかかっていたゾロだとあって、
「何をどう錯覚したのやら。」
 聞こえよがしに溜息をつきながら、肩をすくめるスタイリッシュな聖封殿へ、
「うっせぇよ。」
 随分とトサカに来ているらしい相棒は、仲間にまで言葉が荒立つ始末。そうして、
「後は任せたからな。」
 急くように言うところを見ると、余程のこと、こんな場所から早く退散したい彼なのだろう。だがだが、それにしては相変わらずの尊大な言い方。それへと"…のやろー"と思いつつ、せめてもの意趣返し、

「言っとくが先に帰っても
 "あの家"には入れないぜ。
 何しろこの俺様が張った
 結界に守られてんだからな。」

 そんな風にクギを刺すと、
「………っ。」
 見るからに不機嫌そうな顔になるから、
"あの子に関してだけは、判りやすくなったもんだねぇ。"
 そだね。(笑)  にまにまと、殊更に愉快そうな顔をして笑うサンジへ、
「判ったよ。表で待ってる。」
 むうと渋い顔をしながらも、何とか気分は落ち着いたのか、こちらもまた溜息をつきつつ応じる彼であり、素直に従うその態度へ、
「よしよし♪」
 サンジは満足げに笑って見せた。それからようやく、
「…さてと。」
 頬を仄かに染めたなかなかの美少年が、寝床の中、夢うつつなままぼんやりしているのへと近づいて、
「起こしちゃったな。もう大丈夫。何にもなかった。いいね?」
 あやすような静かな声を掛けながら。うっすらと汗ばんで前髪の張り付いた額へ、撓しなやかな人差し指をちょいとくっつける。
「………あ。」
「ほら。眠くなって来た。次に目が覚めた時には、もう何にも覚えていないよ? 安心してお休み。」
 忌まわしい記憶を封じて、そっとそっと深い眠りへと誘いざなってやる、実はやさしい聖封様なのでもあった。










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