■天上の海・掌中の星


□破邪翠眼
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  邂逅の章



 夜中から未明にかけての無人の公園。誰もいないのに、風もないのに、ブランコがゆ〜らゆらと揺れていることがある。あれは…近所のネコたちが"集会"に集まっていて、そこから退散する拍子、1匹ずつが"とんっ"と座面を蹴って去って行くのが重なって、最後の1匹が蹴ったその時には、まるで人がさっきまで座って揺らしていたようなほどの振れ方になっているのだとかで。でも、だけど。人の眸には見えない"何か"が、もしかしたら………ホントにいるのかも知れないよ?



 風もそよとも吹かぬまま、むっとする湿気ばかりの多い、生暖かな温気うんきの立ち込めた真夏の朝だ。暦の上ででも秋になってくれば、もう少しほどは涼しい風も立つのだろうが、まだまだ盛夏。今日一日もまた凄まじい猛暑の予感がする、べたべたと蒸し暑い朝である。これが少しでも郊外であったなら、降りそそぐような蝉の合唱だの郭公の声だのがして、まだ愛嬌もあるのだが、土の地面さえ滅多に見られない街中では無理な話。牛乳配達の車だろうか、時折通る軽トラックの走行音だけが、乾いたドップラー効果を引きずって、どこか抜けた間合いで聞こえては去って行くくらいのもの。そんな住宅街の通りを、
「………。」
 顔色の悪い女が、よほど疲れているのか足を引きずるようにして歩いてくる。こんな早朝、ふらふらと歩いているとは一体どういう勤めなのか。
"だよな。水商売でももっと夜中にとっくに帰ってるってもんだ。"
 辺りの空気に満ちていた黎明の青は、すっかりと朝の気配の白に呑まれていて、そろそろ太陽の光が健やかにまばゆい朝日の矢を射込んでくる頃合い。
「待ちな。」
 行く手を遮るように立ちはだかった人物があって、
「?」
 女はのろのろと顔を上げ、怪訝そうな目を向けた。こちらもまた、この時間帯、そしてこの時期にはある意味で異様な風体である。サングラスに長袖のシャツからボトムから靴からと、何から何まで深い闇をそのまま切り取って来たかのような黒づくめの、上背のある若い男。肩幅のある、胸板のしっかりした屈強そうな体躯は、だが撓やかに引き締まり、シャープな印象にきりりと冴えていて。髪は短く刈っていて、どこかの深夜クラブにでも勤めているのか、鮮やかな緑色に染めている。
「………。」
 見覚えのない相手…だと思い出すのにまず時間が掛かっているような、そんな鈍重さでこちらを見やる女に、口許だけでにやっと笑って見せてから、
「あんたには俺が見えてる。そうだな?」
 男は逃れようのない語調でそうと断言した。本来なら見えはしない存在。それが見えるということは、気配を感じるということは…。
「まあ大した輩じゃあねぇんだろけどな。人ひとりの生気を食い潰すほどの存在ってのは捨て置けねぇ。この子から離れてもらうぜ、覚悟しな。」
 言葉尻に重なって、しゃりんと涼しげな金属音。さっきまでは見当たらなかったのに、いつの間にか装備されていた一振りの日本刀。鞘から抜き放たれた刃は、氷のような冴えと冷たさを辺りに撒き散らし、それに対して、
「…っ。」
 その銀の光を青白い頬に浴びた女は、パーマっ気のとれかけた縮れた髪を震わせながら"ぎくり"と肩を竦ませる。そんな彼女を見据えたそのまま、鋭角的で彫りの深い顔のその目許から、ゆっくりと外されたサングラス。その下から現れたのは、深い色合いの碧の眸。

 《…キサマ、
  翡翠眼トイウコトハ"破邪"ノ者っ!?》

 呆然としたままな女の口から漏れ出したのは、どこか…特殊な処理をされたような、尋常ではない響きの声であり、
「そういうことだ。」
 それこそ"待ってましたっ"という反応だったのだろう。男はますます愉快そうににやりと口の端を吊り上げるようにして笑って見せ、そのまま、正眼に構えた刀をちゃりっと鳴らして強く握り直す。
「いくぜっ。」
 堅い靴底とアスファルトに挟まれて、砂利が軋むような音を立てる。相手へと踏み出すその直前の刹那。彼の耳朶に下がった三連の、細い棒状の金色のピアスがしゃらんと揺れた。



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