■puppy's tail


□おあずけは つまんない
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 真夜中の深夜から未明へと、時計の短針が段々に下って来るにつけ。夜陰は静かにその漆黒のベールを薄物へと着替えてゆき。やがて音もなく訪れる静かな黎明は、山々の稜線を空の縁取りとして浮かび上がらせ、木立ちの合間に立ち込める瑞々しい空気を青く染め。そしてそして、木々の緑も深い色合いの山々は、金色の矢を射かける朝の訪おとないに、ようやっと目を覚ます。

  「…んにゃ。」

 清流のせせらぎ、小鳥のさえずり。自然の息吹がほんのすぐ手元足元にまで迫る、それはそれは静かで落ち着いた山深い土地。この環境は、だが、寂さびれて鄙ひなびた片田舎だから持ち得たという順番のものではなく。都会で大活躍のエグゼクティブたちやセレブな方々が、街の喧噪から逃れたくて、静謐の中に耽りたくて。そんな方々のための…不便な田舎暮らしではなく、物資的に何ら不自由のない、準備万端整った"贅沢な骨休め用"にとわざわざ拓かれた、言わば"選ばれた人"しか住むことは適わない、歴史ある郊外保養地なのである。

 ―― とはいっても。

 このお話の主人公たちは、そういう…"ハイソサエティ"だとか"セレブリティ"だとかいった、自分で振り回す人に限って、ちゃんとした翻訳が出来る身で使っているのかどうだかめっきりと怪しい、ご大層なカタカナの肩書きなんぞには全く全然関心のない、実に自然体のまま、実におおらかに日々をのんびりと過ごしている方々であるのを、まずはご了解いただきたい。別荘地として高名にして有名な、某郊外都市の旧市街地のそのまた奥の院。由緒正しすぎて親戚縁者でも住まわっていない限り、一見さんはまずは入り込むことさえなかろうほど下界とのつながりも薄い、それはそれは落ち着いた空気漂う静かな土地の一番奥に。その昔、日本の政財界を恣ほしいままに牛耳っていた郷士が建てたと言われている、古い古い欧州風の山荘がある。

 「ん〜〜〜。」

 そこに現在住んでいる、若いオーナーとその家族がこのお話の主人公さんたちで。時代の変遷と共に、持ち主もくるくると変わるのがこういった別荘の常とはいえ、今現在のオーナーさんは、歴代の主人の中でも最も年若い青年であり、しかもその同居人がこれまた変わっている。一見すると十代半ばくらいの童顔の男の子。大きな琥珀色の瞳と、若木のような伸びやかな肢体を持った、舌っ足らずな甘い声のそれは無邪気でそれは愛らしい少年なのだが、実は実は…魔訶不思議な精霊の末裔で。心許した人の前では、愛くるしい仔犬の姿に変化へんげ出来る、奇跡の存在。人懐っこい眼差しと素直なやさしい心とを合わせ持ち、心開いた人たちを魅了して幸せにする不思議な精霊の生き残り。ひょんなことから彼との縁よしみを結んだ青年オーナー氏は、天涯孤独で、なのに寂しがり屋なこの少年に、心からの真実の愛を告げ、そしてそして…二人の間に愛しい"愛の結晶"をもうけたばかり。青年の名はロロノア=ゾロといい、少年の名はルフィという。………そう、

  「うみゃい…。」

 先程から、好きなだけ寝言もどきなお声を放ってくれているのが、その精霊くんであり、この夏に小さなお母さんになったばかりの男の子。う〜ん どういう案配なのか…夜中に頻繁に赤ちゃんの"ご飯"のためにと起き出さないで良いのが随分と助かっている小さな母上は、だというのにも関わらず、以前に比べるとかなりのお寝坊さんになった。かつては、朝一番の陽射しが部屋へと差し込むと同時くらいというほどの早朝にも。朝の気配というものに擽くすぐられてか、勢い良くぱちりと目覚めては、一緒に寝ていた旦那様を"お散歩に行こうよう"と傍若無人なまでの無遠慮さで叩き起こしていたものが。今では、
「ル〜フィ。朝だぞ、起きな。」
「にゃ〜〜〜。」
 自分ですっかり起き上がってしっかり身支度まで済ませたご亭主に、逆にゆさゆさと小さな肩を揺すられて"朝だよ"と起こされている始末。とはいえ、そんなに"いぎたない"ということはなく、
「海カイがお腹空いたって騒いでるぞ。」
「…あ、うん。起きる。」
 さすがは小さくても"お母さん"だ。この一言にはむくりと身を起こすところがご立派なことよ。寝ぼけ眼のままに着替えを終えると、足元が危なっかしいからと旦那様の頼もしい腕の中、ひょひょいと軽々抱えられて二階から降りて来る。明るい朝の陽射しをたっぷりと取り込み、すっかりと空気の入れ替えも済んだ、爽やかなリビングルームに足を運べば、
「おはようございます。」
 カイくんが生まれてからは、用心のためにと泊まり込みでずっとずっと居てくれる、頼もしい家政婦のツタさんからのご挨拶へ、
「おはようございますvv」
 やっとバッチリ目が覚める現金さ。というのも、
「今朝はベーコンエッグとサンドイッチにスパゲティサラダ。デザートにはプリンスメロンをご用意しましたよ?」
「うわいvv」
 ツタさん特製の美味しい美味しい朝ごはんが早々と待ち受けているからvv
「ジュースは?」
「ルビーのグレープフルーツですよ。」
「うわいわいvv」
 色気より食い気で、寝ることより食い気。微妙なお年頃である。(おいおい) 朝餉のメニューにやっとのことで完全に目が覚めたお母さんは、そのまま、風通しのいい窓辺近くへと足を運ぶ。目の詰んだ絹張りの衝立ついたてで風向きや陽射しを加減した一角に据えられたベビーベッドには、先に起きたゾロが…自分たちの寝室のお隣り、続きの間に寝かしておいた筈の小さな赤ちゃんを既に運んで来ていて、お人形さんのような小さな手足を動かしては"あーう、うっく・んぅ"と、何かしらお喋り中。

「カイく〜ん、
 もう起っきしてましたかvv」

 大きな眸に柔らかな猫っ毛ときて、容姿はどうやらお母さんに似たらしき可愛い坊や。羽二重みたいなマシュマロみたいな、どこまでもふかふかと柔らかい肌に、ちょんちょんと指先で触れてのご挨拶をしてから、これはもう慣れたもので、ベッドから抱き上げて懐ろ深くへ抱きかかえ、静かに静かに眸を伏せるルフィだ。………と、そんな二人の輪郭に沿って、淡い金色の光が放たれて、

   ――― ………。

 朝の爽やかなる陽光の満ち満ちた、十分に明るいリビングルームなのに。何故だろうか…小さな少年と小さな赤ちゃんとが抱いだき合う、そんな愛らしい姿が、周囲のあらゆる気配を静かに静かに圧倒して黙らせてしまう。朝の光が細やかな水晶細工のように透き通って張りのある蝶々の翅とするなら、こちらはさしずめ、光の天使の翼からこぼれ落ちた、生命力を帯びた純白の羽…というところか。

 "間違いなく、
  命を育む光、だもんな。"

 その父上が生業としていた"文筆業"を引き継げるほどには、感性やセンスとやらいった繊細な感受性の持ち合わせがなく、全く追っつかないゾロだったが。それでも…この神聖で優しい光の構図には、毎度毎度、何かしら感じ入るものがある。柄になくも息を呑み、黙って見とれてしまっている。見るからに幼いとけなくて、聖画のように神聖な精霊たち。少女と区別がつきかねるような、まだまだ未分化な細っこい腕、小さな手。愛らしくて不思議なその存在感は、淡く儚く柔らかな印象のあまりの可憐さに、こうして眺めやっているだけでも、充分に心が洗われるような気がする。

 "…でもって、
  どうサバを読んでも
  "神秘的"ではないんだよな。"

 こんなに不思議な存在なのにもかかわらず、妙に…現実的と言うか、足がしっかり地についてるというか。

 「はい。
  カイくん、御馳走様だよ。」

 十分に"ご飯"をもらったからと、むにむにと朝のうたた寝に入る可愛い赤ちゃんを、そぉっとそぉっとベッドに戻してやって、さて。

 「お腹空いたよう。」

 ゾロ、ご飯にしよう、早く早く…と。腕を取ってキッチンまでぐいぐい引っ張るところは、母になる前と全然変わってはいない、がんぜないまでの腕白さよ。

 "ま。
  この方が
  俺には似合いなのかも
  知れないが。"

 天使や精霊という"ファンタジー・ジャンル"に付きものな、真っ白なレースやふりふりフリル、金銀パールプレゼント…じゃなくって(笑) キラキラ輝く貴石の世界なんぞに突入されても困りもの。
「スパゲティ、美味しいvv」
「ああ、こらこら。またそういう持ち方をする。」
 相変わらず、フォークを真っ直ぐ"赤ちゃん握り"にする、幼い伴侶のお行儀に苦笑しながらも、自分にあったカラーの奇跡であることへ、妙な満足を示しているところのゾロさんであったりするのである。





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