■ルフィ親分捕物帖


□狐にあぶらげ攫われる?
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 今時のお嬢様たちはご存知ないかもしれないが、
ちょこっとだけ昔、タモリさんが司会を務めていた
『ボキャブラ天国』という“知的エンターティメント”と謳ったバラエティ番組があった。
耳に馴染みのあるヒット曲の歌詞やCMフレーズ、流行語や諺などを、
音だけを生かして全然別な言い回しにしてしまうという、
一種の言葉遊びを一般視聴者から募り、
それを短いシチュエーションビデオに起こしてみて、
どれだけ笑えるか、はたまた小粋であるかを評価した、
早い話が駄洒落の品評会みたいなもので。
爆笑問題さんやアリとキリギリスさんも、
この番組の常連だったんですよ? 
ここで例題を連ねることは、著作権云々とかいうのに引っ掛かりそうなのでご勘弁なのだが、
そういった“駄洒落”の出来を楽しむという遊び、
何とそれを立派な年中行事の一つとしていた風習が既に江戸にはあったという。

今でも名前は残ってる、春先の行事に“初午”というのがありまして。
二月最初の午(うま)の日を
稲荷神社の総本山、伏見大社に神様が降臨なされた日としたもので、
人々はそれを祝ってお祭りをした。
今でこそ極寒の時期になってしまうが、昔の暦だと三月の中旬から末にかけてとなるので、
丁度お花見直前辺りの気候のいい頃合い。
町内の辻やら路地の奥、大店や武家屋敷の庭にもあった稲荷の社を
その日だけは万人へと開放し、
ご近所の方々も招き入れのお赤飯や田楽を振る舞い、
子供らは太鼓を叩いて回ったりしと、
皆でにぎやかに祝ってお祭りとした…のだが。
そんなお祭りと同時に披露されたのが“地口行灯”というお飾りで。
路地の奥などにあった稲荷の社までの板塀などに、幾つもの行灯を並べて掛ける。
そこには、歌舞伎の有名な台詞や和歌などの一節を、
音だけ残しての全く違う駄洒落に作り替えた言い回しと、それを絵にした漫画っぽいイラストとを一緒に描いて飾り、
気が利いた作品だろうがと町ごとに出来を競ったりもしたのだそうな。
物知りの真似をして慣れないことをしようとし、敢え無く失敗する話の多い落語もそうだが、
元ネタの歌舞伎なり和歌なりを前以て知らないとオチが今一つ理解出来ないものを競うというところが、
当時の江戸っ子、つまりは庶民たちの、知的水準が高かったことを裏付けることともなり、
何とも粋な遊びだったと言える訳で。
………でもだからって、同じ駄洒落ばかりをいつまでも持ちネタにしていると
“おやじギャグ”と言われかねないので、
ネタは常時新しいのと変えることをお進め致します、はい。





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