■月夜に躍る

□月泉の蒼壺
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 その石作りの建物にはいかにも重厚な趣きがあって、時の有名建築家が手掛けたという触れ込みの下、季節ごとに様々な種類の滴る緑の庭園を背景に、風格とでもいうのだろうか、でんとして圧巻、そんな存在感に満ちている。

「ええ、それはもう。何しろ、時の首相のお従弟様にあたられる、文人名士であられた方の創設で。その創設から今年で50年という記念の催しを今週にも構えているくらいですからね。」

 学芸員という係のおじさんが、それはにこにこと、まるで自慢の"我が家・我が子"を紹介しているかのように誇らしげに説明をして下さる。
「記念の特別展示も予定しております。その準備にただ今取り掛かっておりますため、通常の所蔵品の一般展示を中止しているのですよ。」
 分厚い壁の向こうでは、会場の設営や作品展示の下準備にと忙しそうに立ち回る人々の気配。そういえば大きなコンテナトラックによる大々的な搬入も、昨日辺りから始まっていたかな。

「それじゃあ、常設展示だった"古陶展"と"東洋近代画伯の歴史展"は、その企画が終わるまではお休みなんですね?」

 応接セットのローテーブルを挟んだ差し向かい。今時の、レンズの幅が細いタイプのメガネをかけた、ブレザー姿の男の子がそうと訊くと、学芸員のおじさんは"おや"と何かしら感心したらしく、
「よくご存じですね。」
 特別展示はその折々にポスターを張り出したりホームページなどへ告知を乗せたり、様々に宣伝もするし、来場者自体、それが目当てで来る人が大半なもの。館内に所蔵している品々を展示する常設展示の方は、そんなことをしていると気づかない人の方が多いくらいだ。だが、
「祖父が生前、よく寄せていただいていたそうですからね。十何年か前までは、所蔵図録も発行なさってらしたでしょう? それをボクも、まるで絵本みたいにして見せてもらっておりましたもの。」
 少年はそれは物慣れた様子でそうと言い切り、はんなりと笑って見せる。
「おお、そうでしたか。さすがは王都学園の生徒さんですね。」
 この街よりももう少し都心にある総合学園で、それこそ名士の子息か、若しくは…ずば抜けて頭脳明晰、あるいは運動能力や伝統の一芸などに秀でている人材しか入学を許されない、超エリート校として有名な学園。そこの文化部の取材なんですと、前もってのアポイントメントを取り付けて来ての正式な面会である。先に彼自身が説明した通り、今週中に開催される特別展の準備で、本当なら猫の手も借りたいほどに忙しい最中なのだが、館長が直々に

『丁寧にお相手をするように』

とクギを刺したところの取材。細かい裏書き説明はなかったが、どうやらどこぞの名士の坊ちゃんであるらしいなと裏読みし、子供相手に懇切丁寧な応対・説明を続けていた学芸員のおじさんは、相手の知識の深さに"やはり名家のお子であったのか"と実感したらしい。

「特別展示の方も
 それは充実した
 内容になっておりますよ?
 宜しかったら
 どうぞお運び下さいませね。」



      ◇



「美術館の歴史の取材なんて、ホームページとかで資料を集めりゃあ良い。わざわざ現場まで行かなくても出来ることなのにね。」

 窮屈だったネクタイを襟元からむしるように引き抜いて、ブレザーを放り投げ、折り目のぴしっと走ったズボン、きちんとアイロンのかかっていた純白のシャツをぽぽいと脱ぎ捨てる。明るい陽光を通す嵌め殺しの窓枠が床のフローリングにアールデコ調の模様を描いているが、そういう装飾に凝った"デザイナーズ・マンション"なんてなしゃれたものではない、少々年代ものなアパートメントの一室であり、

「こらこら、そこいらに散らかすな。」

 そんなに狭い部屋ではないが、それでも…包装紙を剥がす端から床に捨てる子供のような、そんな行儀の悪い"お着替え"には、部屋でその帰りを待っていた男が眉を寄せて見せた。
「学芸員のおっさんを信用させるの、一苦労だったんだぜ? 疑ってかかられてんじゃないかって思うと落ち着けねぇしさ。」
 お行儀の良かった口利きも演技であったらしくって、あああ、かったるかったと、坊やは大きな背伸びをするが、
「…人の話を聞いとんか、お前はよ。」
 ぽぽいと放られた衣装一式を拾い上げ、ドレスケースのハンガーへと掛け直すのは、緑髪を短く刈った体格のいい男で、その名をロロノア=ゾロといい、

「この制服、
 レンタルなんだからな。
 余計な汚れがあると
 弁償させられんだよ。」

 シャツは…洗って返した方がいいのかなと、案外マメなところがある…じゃなくって、余計な詮索をされるのは極力避けたいらしい彼へ、
「こんなの借りるなんて怪しい奴しかいないって、ちゃんと分かってるんじゃないのかな、向こうもさ。」
 着慣れたGパンに重ね着トレーナーという"普段"のいで立ちに戻りながら、そんな減らず口を返すのは、ルフィという男の子。王都学園の中学生に化けていたが、実は…それで十分通用していた小さなタッパでありながら"高校生"であるらしく、趣味は"陸釣り"と怪盗の追っかけ。(笑)

 "…なんだ、そりゃ。"

 だってホントのことじゃないですか。そんな彼だからして、さほど"今時の高校生"とはいえない節が多々あるのだが、それでも、大人で、しかも世情には偏った接し方しかしていないゾロに比べれば、よほど"今時"の平均や標準を知っている方。そんな彼が地道を上げて追い回していたのが、巷で"剣豪"などという古風な称号を得ている怪盗さん。各種様々な防犯システムやらちょいと過激な警備員たちが設置・配置されているような美術館や金庫を、何の武装もせず何の特殊装備も持たず、その身一つのほぼ素手で攻略してしまう達人であり、今時古風なくらいのその手際や、どうしてもという時には…どこに隠し持っているやら、切れ味のいいスティール鋼の刀を振っての大立ち回りで追っ手を蹴倒すところから、そんな古風な仇名がついたのではあるが、その希代の怪盗さんというのが、

「…ま、そういう事情には
 確かに通じちゃあいるらしいがな。」

 詰まらなさそな顔のまま、そんな言いようで応じてくる。こういう衣装や小物から乗り物・食べ物、武器装具から旅券の偽造に、潜伏先の手配、公安関係の最新情報まで、ありとあらゆる"希望"を整えてくれる凄腕のエージェントさんから借りたもの。何でも、たいそう個性的な数々の発明の資金を集めたくてと始めた便利屋だったらしいのだが、今や裏の世界では知らぬ者のない存在にまでなっているとかで。その仲間というのが、あのスナック"バラティエ"のオーナーを務めるサンジと、一般の方々から"仕事"を請け負ってくる仲介屋のナミである。
「怪しい人間だって事を探られたくないんじゃねぇよ。」
 シャツは洗面所の小型洗濯機へ放り込み、あとの一式はドレスケースにきっちりと収納しつつ、そんな言い方をするゾロであり、それへと、
「???」
 きょとんと小首を傾げて見せる坊やへ、

「自分の素性を探られたくないだけだ。」
「秘密主義なの?」
「こういう仕事してるんだ。当たり前だろうが。」

 足がつくのを恐れて。相手の物資調達の腕前は信用していても、いざという時の口の堅さにまでは信頼をおいていないということだろう。だが、

 "…それだけでもないくせに。"

 坊やはこっそり胸の中にて呟いた。だって、
「お前みたいなの抱えちゃあな。前にも増して、あれこれ詮索されちゃあ不味い身になったんだよ。」
 そうと付け足されて、ほらねと苦笑。自分の身がかわいいが故の保身だよと言いつつも、彼が守りたいのはいつだって"自分に関わった人々"なのだ。

「話を戻すがな、調べものには俺だってPCを使うこともある。だがな。催し物をします、だとか、休みますなんていう告知情報は載せても、どういう部分休館になるのかだとか、あれこれ封鎖とか中止とかしますって辺りの細かいことまでは、わざわざ告知しない場合が多い。そんな風に"入力されていない情報"はPC端末からじゃあ調べようがないんだよ。」

 相手から提示された情報だけでは不十分。だから、こっちから出向いて行ってその耳目で拾ってくるもんなんだよと、そうと言いたいらしい大怪盗さんへ、
「…ふーんだ。自分が型通りのPC検索しか出来ないもんだからって、負け惜しみ言ってら。」
 ソファーにぽそんと腰掛けながら、頬を膨らませての悪態をつく坊やだ。その口利きへ、
「んだと、こら。」
 テーブルまで、昼食だろう大きめのトレイを運んで来たゾロが目許を眇めた。やや吊り上がった目許にはそのキャリアが滲んでいるのか、充分すぎるほど鋭角的で挑発的で。大の大人でもちょいとビビるほどに恐持てのするお顔だのに、

「ああっ、それ皿うどんかっ?!」

「あ?
 ああ、さっき
 サンジが持って来たんだが。」

「食べるっ、食べるっ!」

「…お前の意欲は判ったから、
 落ち着け。」

 大怪盗の威容なんてどこへやら。早く頂戴ようと たかってくる坊やをいなしつつ、トレイごと危なげなく頭上に避けてから、
「まずはテーブルの上を片付けな。」
「おうっ!」
 食べ物をかざせば素直に言うことを聞く辺り、やっぱり高校生とは思えないほど無邪気な少年であり、雑誌だの資料だの、一面に広げられてあったあれこれを大慌てで片付け始める彼を見やりつつ、
「仕事はちゃんと済ましたんだろうな。」
 これこそが眼目、そのためにわざわざ足を運ばせた段取りへの確認を取る。
「抜かりはないよ。ちゃんと"置いて来た"からさ。」
 それよか早く食べたいようと、わっくわくなお顔を向けられて、

 "なんか、
 保育士んでもなったような
 心境だよな。"

 何とも言えない感慨に、ついつい溜息の一つもこぼれてしまうゾロである。
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