■蒼夏の螺旋


□朝露虹梁
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 風呂から上がって来たゾロは…やはり様子が変だった。
「………ビール、お代わりは?」
「いや、もうご飯で良い。」
「うん。…はい。」
「サンキュ。」
「あのね、これ、お隣りの奥さんがお土産ですって。ご実家が九州なんだって。」
「ふ〜ん。」
「そいでね、向こうでは大きいおむすびをこれで巻いてお弁当にするんだって。」
「ふ〜ん、そうなんだ。」
「………。」
 突っ慳貪で冷たいという訳ではないのだが、ちゃんと応対はしてくれるのだが、同じような相槌しか打ってくれないのがやはり気になる。しかも、気がつけば話題はルフィの方からしか繰り出してはいない。いつもだって似たような調子ではあるのだが、それでも"ああそういえば…"と関係のありそうな話を時々は振ってくれるのに。他愛のない茶々を入れたりして、話の枝葉を広げてくれるのに。今夜の彼は、食事以外へ口を開くのが億劫そうにさえ見えるから、
「………。」
 しまいには、ルフィの方からも何だか気後れして話しかけられなくなってしまったほどだ。そして、
「ごちそうさん。」
 そんな静かな食事だったせいでか、いつものほぼ半分近い短さで早々と夕食は片付いてしまった。そのまま居間の方へと足を運ぶゾロであり、テレビの音がしたから、
"何か観たい番組でもあったのかな。"
 それで上の空だったのかもしれないなと、手早く食器を流しの方へ下げて、後片付けに専念する。食器や鍋を洗って、残り物をしまって。明日の朝食の下ごしらえをして、さあと居間へ入ると、
「ルフィ、何か用事あるのか?」
 ソファーに腰掛け、N○Kの衛星放送だろうか、何かドキュメントっぽい番組を観ていたゾロは、そんな風な声を掛けてくる。
「え? あ、えと。10時に、最終連絡のメールチェックしなきゃいけない。」
 見上げた時計はもう少しでその10時になりかかっていて。
「そか。じゃあ、俺、先に寝るわ。」
「………え?」
 聞き返した声があまりに小さくて届かなかったか、ゾロはソファーから立ち上がると、寝室の方へ行ってしまう。いつもなら待っててくれるのに。夜陰のしんとした雰囲気が何だか怖いルフィだと知っているから、お風呂に入って上がって来るまで、この居間で何かしら時間を潰しながら待っていてくれる彼なのに。
「えと…。」
 ちょっと変だ…が"とっても変だ"へ塗り替わる。お話しをする隙を全く与えてくれない。そう。食事時は逃げようがなかったから相槌を打っていたが、ホントは口を利きたくはないんだと。あまりに素っ気ない"ぶっきらぼうさ"がそんな風に見えなくもない。こんなにも取り付く島のないゾロだなんて…これまでになかったことだから、
"えと…。"
 正直なところ、何だか心細くなって来たルフィだったが、
「風呂も。」
「…え?」
 居間の入り口近くに立ち尽くしている彼へ、
「風呂も、早く入れよ? 部屋のスタンドは点けとくからさ。なら、怖くはないよな?」
 ちゃんと気遣いはしてくれるようだから、ルフィは自分の胸元を押さえると小さな息をつく。
"きっと疲れてるんだ、ゾロ。"
 早く休みたいのに、さっさと寝たりしたらルフィが怖がるから。だから…あれこれと家事や仕事をルフィが片付けるのへぎりぎりながら付き合ってくれてるんだ。そうと思えば、やっぱり優しいなと、何となく安堵出来る。なんだ、いつものゾロじゃないかと。疲れているのに、優しいんだなと。それで…先に寝室へ下がる彼を見送ってからテレビを消して、PCの前へと向かい、事務所や自宅勤務、出向社員たちからのメールを確認し、指定された先への転送をこなす。ルフィ経由になる案件やメールは、それなりの格付けがなされる情報であるらしくて。だがまあ、その辺りの事情は知らされていないので、さして気にせぬままに処理を済ませて、
"えっと。"
 洗いおきの下着やパジャマは風呂場の脱衣場にも置いてあるので、そのままパタパタとバスルームへ向かう。テレビの音や何かが聞こえない、しんとした中で一人でお風呂に入るのは、実を言うと少し怖いのだが、家の中に誰もいない訳ではない。居間にいるか寝室にいるかの違いじゃないかと、それでも…かなり手早い"カラスの行水"で出て来て、髪を乾かすのもそこそこに、照明を落とした室内を急ぐと寝室へ飛び込んだ。

  "……………。"

 約束通り、ベッドの脇にある背の高いスタンドの小さい方の電球は確かに灯されていた。だが、その仄かな光に照らし出されたベッドの中、先に横になってた存在は、戸口の方に背を向けていて、何だか…お前なんか知らないよと強く意識してそっぽを向いているように見えた。
「…えと。」
 小さな肩に羽織って来たバスタオル。その両方の端っこを胸元へと掻き寄せる。
「………。」
 何でだろう。今夜はずっと、挫けそうになる何かが鼻先にいきなり現れる。それも…何だか形がはっきりしない、曖昧な存在みたいなものだ。はっきりしない何か。はっきりしない? それとも…はっきりさせたくなくて、見ないでいようとしている自分なのかな? そうと、気づいた途端に、まだまだ寒い筈はない季節だというのに、何だか肩口が冷たくなったような気がしたルフィだったのだが。
「…っ。」
 意を決して、ベッドまで歩みを運ぶ。これでも時々は喧嘩だってする。いつも大抵はルフィが拗ねてそれをゾロが宥めるのがパターンなのだが、
"………ゾロ、何かに怒ってるのかな。"
 思い当たる節はないのだが、もしかしたら。気がつかないところで何かやらかした自分なのかもしれない。大人げないから直接咬みつくような形では怒っては見せないゾロだが、それでも何かしらムッとしていて。それでつい、こんな態度になっているのかも。
「………なあ、ゾロ。」
 声を掛けたが応答はなくて。ベッドに乗り上がり、ちょっとためらって、だが、高い肩に手を掛けて、ゆさゆさと揺さ振ってみる。
「ゾロ。もう寝たんか?」
 起きてはくれないのだろうか。それとも、いよいよムッとして、彼にはめずらしく怒り出しての雷が落ちるのかも? そう思うとなんだか怖くなって。それで手を放したそのタイミング。
「………あ。」
 まるで動かなかった筈の背中が静かに起き上がった。それから、肩越しにこちらを見やったゾロは。吐息混じりにちょっとばかり首を前へと倒してから、おもむろに体をこちらへと向けて、ルフィと真っ向から向かい合う。そして………。

「あのな、ルフィ。お前ももうちょっと…ちゃんとした話し方とか態度とか、そういうの考えないといけないぞ?」

 唐突にそんなことを言い出すではないか。
「………えと。」
 唐突ではあったが、決して的外れなことではない。それだけに、ルフィはたじろぐように言葉を失った。そんな彼へ、
「お前、いつも"子供じゃない"とか"子供扱いするな"とか言ってるだろ? それに、今朝だって自分で言ってただろうが。資格取って子供らにちゃんと教えたいって。」
「…うん。」
「ただでさえ、お前、小さくて、子供に近い姿をしているんだ。それには事情があるにはあるんだけど、それでも"子供じゃない"って言い張るんなら、せめて大人らしい言葉遣いだとか考えないとな。理屈がおかしいってもんだろう?」
「………うん。」
 きちんと首尾一貫した言いようだった。それこそ、子供を相手のお説教ではなく、同じくらいの立場の人間への"もの申す"という言葉遣いであり態度であって、
「…判った。気ぃつける。」
 声が震えていないか、それを精一杯、気をつけて応じたルフィである。叱られている訳ではないのだからと。正しい意見をもって、注意されただけなのだから、泣いたりしたらゾロが気を悪くするだろうと。そんな返事をしっかと聞いたゾロは、それで気が済んだらしくて。
「まだ起きてるか?」
「…ううん、俺ももう寝る。」
「そうか。」
 俯いたまま"ぱふっ"と横になると、ぱちりと消された明かり。たちまち、薄闇に沈んでしまう世界。ゾロはそのまま、向こうを向いて横になって。
"………。"
 暗さに目が慣れるにつれ、ぼんやりと見えて来たその背中に、容赦なく突き放されたような気がした。

   "……………。"

 ゾロは大人で、それにとても落ち着いていて。昔からゾロがこうだと言ったことに間違いはなかった。知識があってのことは元より、理屈を見通し、誠実に事を進めて成し遂げる彼だったから。その頑迷なほどの生真面目さは、決して鮮やかではなかったがたいそう堅実で。大人たちからでさえ頼りにされていたほどだった。だから………。

 "…ゾロの言う通りだよな。"

 とっても分かりやすくって。そして、それだけに…今までの甘えたな自分がゾロの眸にはどう映っていたのだろうかと思うと、身が竦むような想いがした。

 "……嫌、だったんだ。ゾロ。"

 胸の奥が何だか痛くて。眸の縁やら鼻の奥やら、つきつきと痛くて。でも、聞こえたら、気づいたら、ゾロ、もっとげんなりするだろうから。唇を口の中へ巻き込むようにギュッと噛んで、早く寝てしまおう、眠ってしまおうと、念じるようにして必死で眸を瞑ったルフィだった。




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