■蒼夏の螺旋


□青葉瓊花
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 窓の外にはしとしとと雨の音。まずはとビールで簡単に喉を湿してから少し遅めの夕食を食べて、再び戻った居間でテレビを点ける。今年は世界的なサッカーイベントが日本と韓国とで共同開催されている。スポーツは好きだが、どちらかと言えば自分で体を動かす"実践派"で。プロ野球の中継もたまにしか観ないゾロは、最初こそルフィの付き合いから何となく観ていたものが、今は進んでこうしてチャンネルを合わせている。世界的レベルのプレイの見事さに、彼なりに感動があってのことならしい。これも一種の"一流は一流を知る"というやつなのだろうか。う〜ん この時間では今日あった試合のダイジェスト番組しか放送してはいないが、

「今日は昼間にスペイン戦があっただろ。丁度商品開発部が進めてるプランの取引先がスペインの会社だったんで、結果が出るまで落ち着けなかったってさ。」

 職場で仕事にまで絡むほどに世間様では大きな関心事なのだと知って、それもまた新鮮なことだったらしくって。そればかりが理由でもなかろうが、にわかの"通"になりかけている現金さだったりするから、

“…そんなだから
 “おじさん”扱いされるんだってvv”

 ルフィが"可愛いなぁ"とこっそり思っていることは当然"内緒"だ。まだ晴れている時間帯だったか、陽射しに目映く照らし出された芝生の緑へ鮮やかに映える、黄色いユニフォームを着た選手たちが軽快に駆け回る画面へと、座ったソファーからやや身を乗り出すようにして熱心に観入っているゾロを横目に見やって、ルフィはさっき彼が持って帰って来た手紙の束を仕分けしていた。自分はリアルタイムの中継で終了までを既に観ている。横で観ていると"次はこうなる"という余計な解説をつい入れてしまいそうになるからで、画面よりもゾロの男臭い横顔の方を嬉しそうに眺めながらの作業だったが、
「…あれ?」
 半分くらいは何かしらのDM(ダイレクトメール)封筒ばかりだったその中に、すっきりとした筆書き文字の縦封筒を見つけて手が止まる。

「ゾロ、これ…くいなって、もしかして くいなお姉ちゃん?」
「………え?」

 なかなかの達筆で綴られた裏の差出人の名前を眺めながら差し出された封筒へ、ゾロの方もまた意外そうな、驚きを隠せないという顔になる。長い腕を伸ばして来て、
「何だろ、一体。」
 ルフィが母方の従弟なら、このくいなというのは父方の従姉だ。ゾロが幼い頃から通っていた剣道道場の師範の娘でもあって、少しばかり年上。今は女だてらに師範代として後進の指導に励んでいるという。
「そういえばサ。ゾロ、お姉ちゃんに勝てるようにはなったのか?」
 ルフィも小さい頃によく遊んでもらったので覚えている。つややかな黒髪をいつもさっぱりした短髪に切り揃えていて、それはほっそりと華奢だったのに、竹刀を持たせればそこらの男の子たちより断然強くて。ゾロでさえずっと勝てずにいたことをよ〜く覚えている、大した"女傑"であった筈。サイドボードの引き出しからペーパーナイフを持って来ながら、そんなことを訊いてくるルフィへ、
「高校に上がった頃には勝ててさた。」
 どこか忌ま忌ましげな言い方をする。だが、
「ふ〜ん、そうなんだ。」
 ルフィの相槌のどこか曖昧な響きが気になって、
「何だよ。」
 眉を寄せて聞き返す彼であり、その鋭角的な顔がぐっと厳しく冴えたのへ、内心でうっとりしつつ、
「だってさ。なんか印象がさ。」
 何となくながら、彼女には頭の上がらないゾロだったという印象が強すぎるせいだろう。彼の言を信用しない訳ではないが、あれほど華奢だったにもかかわらず、くいなの方が強いという印象はなかなか払拭されないルフィであるらしい。言外にそう思っているらしい彼だと、ゾロの方でも判るのか、ふんと鼻先で息をついて見せて。そのまま手紙の封を切った彼は、中から取り出して広げた、一切装飾のない白便箋にこれも達筆で綴られた文面をしばし黙って眺めていたが、
「またか。」
 吐息をついてテーブルの上、数葉の便箋たちをぱさりと投げ出した。
「何? ねぇ、なんて?」
「お前に会いたいから、一度連れて帰って来いってさ。お袋もうるさいんだよな。」
「え、ほんとに?」
 途端、ゾロのしかめっ面と反比例なくらいに"わくわくっ"とした顔をして見せるルフィだ。
「覚えてんのか? ウチのおふくろ。」
「うん。おばさん、いつも俺に"女の子だったらゾロのお嫁さんに来てもらうのにねぇ"って言ってたもん。」
 殊更無邪気そうに…どうかすると嬉しそうに応じた彼だが、
「………。」
 ゾロが"おいおい…"と呆れて絶句したのは言うまでもない。どこか浮世離れした風情の強い、ぽよんとした雰囲気のある母ではあったが、自分の甥を掴まえて何を吹き込んでいたのやら。この少年は、人懐っこくて愛らしいところから、親戚の間でも結構可愛がられていはしたものの、
「そいで、くいなお姉ちゃんはさ、それじゃあ、ウチにお婿に来る?って言ってた。道場はお姉ちゃんが継ぐから、何もしなくて良いんだよって。ゾロも稽古に来るからしょっちゅう会えるよって。」
 にっこにこと続けたルフィへ、
"あいつらは…。"
 頭痛がして来たゾロである。どうやらロロノアさんチは、さりげなく"女性上位"なお家であるらしい。(冗談はともかく、実力が物を言った家には違いなく、父の兄である伯父はおっとりした人だが、これがまた剣を持たせたら人間国宝並みの強さで、時折その筋の公安関係の道場へも指導に招かれている。お行儀はきっちりと、だが、男女の区別はしないというのが基本方針な道場だったせいか、力をつけさえすれば男と対等扱いなところに惹かれて門をくぐる女性たちも多く、
"そういう乙女御前が山ほどいる道場だからなぁ。"
 くいなが師範代の座に落ち着いたここ数年は特にその傾向が強いらしくて、華やかなんだか恐ろしいのだか、頼もしき女性剣士たちが寄り集う"白百合の園"と化してもいるのだとか。大学生時代から故郷を離れての一人住まいを始めていて、ただでさえ遠くなったため、ゾロはもう随分とその道場にも足を運んではいないのだが、
"帰りゃあきっと呼び出しを食うに決まってるからな。"
 それなりの力をつけたゾロだと認めていればこそのことではあろうが、彼女やその後輩たちの"女傑ぶり"を思い出して少々うんざりしかかった彼である。………で。

   「………。」

 ふと。
"………あれ?"
 何か。妙な感触が。顔見知りの女傑たちが頭の中を一瞬掠めたそのビジョンの中に、動態視力が物を言ってか、とある顔を見とがめた彼であるらしく、
「…なあ、ルフィ。ヒナ先生って、もしかして、黒崎ヒナって言わないか?」
 目顔で"読んでも良い"と示された手紙に目線を落としていたルフィへと、そんな声をかけている。
「そだよ? …あれ?」
 頷いてから、フルネームなんて、それこそ言った覚えはないのにと、小首を傾げるルフィだが、
「…そっか、黒崎の姫御前だったか。」
 こちらは逆に、確かめられた事実へ"う〜ぬぬ"と唸ってそんなことを言い出すゾロであり。
「"姫御前"?」
「ああ。…そうだな、お前は知らないか。」
 怪訝そうな顔になっている恋人さんに気づくと、背条を伸ばしてからポンポンとお膝を軽く叩いての"おいで"をする。
「………vv」
 途端に怪訝そうなお顔はどこへやら。隠しようのないご機嫌そうな顔になり、ソファーの上に手をついて、ちょっとばかり這うような格好で傍まで寄ると、座ったままで大きな手がひょいっと抱え上げてくれるから。こういう辺り、恋人さんとか若妻というよりも"座敷犬"という感が強いのだが(笑)、まあそれはさておいて。
「高校最後の剣道の全国大会でさ、くいなが、女子の部のチャンピオンが自分の後輩なんだけど、エキジビジョンで手合わせしてほしいって言ってるんだって言って来てな。」
「…ちょっと待ってよ。」
 一気にそうと言ったゾロに、ルフィは横座りのまま凭れかかっていた胸元から少しばかり身を起こす。
「全国大会のエキジビジョンでしょう? くいなお姉ちゃんトコの道場での昇段試験とか大会とかじゃなくて。」
 インターハイとか国体クラスのそれだろうに、
「お姉ちゃんの裁量でそんなこと出来たの?」
 そうと解釈出来るような言いようだったのが気になった。ゾロが高校3年生の時といえば、くいなの方だってそんなにも大人ではなかった筈だ。昔ほどではないかも知れないが、それでも年功序列とか格式とか、会社以上に古めかしいことがうるさい世界であろうに、一女子学生がそんなことを勝手に決められたのかと、不審に思ったルフィだったのだが、
「表立っての"役付き"だった訳じゃあなかったがな、理事のジジ様たちの間じゃあ"孫娘アイドル"だったし、後輩たちからは"お姉様vv"って圧倒的人気で慕われてたからな。将来的に剣道界を引っ張ってく中枢となるお姉さんだってんで、結構我儘言っても聞いてもらえてたみたいだぜ?」
 おいおい。
「そんな訳で、その年だけ特別にってことで、男女のチャンピオン同士で三本取りの立ち合いをしたんだ。」
「…それで?」
「だから、さ。二本取ってから、これじゃああんまりかもなと思ったから、最後の一本は…。」
「負けてあげたの?」
「…そうと意識はしなかったがな。」
 だが、再び身を起こしたルフィは、ちょこっと…顎を引いての上目使い、下から覗き込むような見上げ方をしてくる。
「なんだよ。」
「手を抜いたって思われた。」
「………。」
 見かけこそ"中学生"だが、中身はゾロと2つしか違わない。しかも、つい最近まで一風変わった青年と、型にはまらない世渡りというものを7年間も続けていた彼だ。どこか不安定な歳月を、人々の間を擦り抜けるようにして寂しく過ごして来た彼だけに、そういう機微にも聡いのだろう。

「そうかもな。凄っげぇ顔して睨んでた。」

 ゾロも否定はせず、

「………で、それが。」
「ああ。黒崎ヒナって子だった。」


  ……………成程。



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