■蒼夏の螺旋


□白襲夏袴
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 日本の六月というと、梅雨前線が太平洋高気圧と"綱引き"ならぬ"押しくらまんじゅう"をする季節。結構な雨量があって、かつては"日本の雨季"などとも呼ばれたものが、このところの異常気象により"空梅雨"などと呼ばれるほど小雨な年もあり。今年もさほどには長雨が続かず、古風な名前で呼ぶところの"水無月"のまま、夏色の"文月(七月)"がやって来てしまったという案配。そんなそんな早い夏。まだまだ盛夏には程遠い時節だというのに…都心寄りの自宅を離れ、由緒ある郊外都市に所有の別荘へとやって来ているのは、決して"早い目の夏休み"という訳ではない。そういえば昨年も似たようなのが仲夏に下されたような、という、ちょいと風変わりな辞令がご亭主へと下りたためだ。曰く、

 『当社の経営情報管理システムへの
  お世話をいただいている、
  世界的にも高名な
  ビジネスオフィス協会の主幹長様が
  契約更新のために
  わざわざ来日なさっているのだが、
  どうだろうか、
  君のところへご招待
  申し上げてはくれまいか。』

 ほら昨年の夏に、君がお相手様の"本社"の方へ資料を搬送したあの人だよ。君とそれから君のお従弟さんのことを随分と頼りになさっているようで、来日したからには是非ともまたお会いしたいという打診があった。ご家族にまで波及するような言いようは、行き過ぎた公私混同だと思われることかもしれないが、幾日どう過ごしても全てを"接待勤務"として特別に処理するから、どうかよろしく頼む…と。
一体どんな揺さぶりを仕掛ければ、一応は日本経済界でも結構なネームバリューを誇ってる商社の、管理部トップ陣営相手にこんな無茶を通せるのか。特に奇矯な手を使った覚えはないと本人は言うから、ちょっと仄めかしただけで彼らが勝手に色々と察するほど、それほどに凄腕、それほどに恐るべしとされている人物だということなのだろう。
バブル崩壊後は10年ほどもの景気低迷を囁かれ続けているとはいえ、それでもまだまだ裕福な国、経済先進国という扱いの日本の経済界にあって、関係筋の間にのみその存在を知られた凄腕のビジネス・コンサルタント。勿論、日本だけでなく、アメリカや欧州、成長著しいオセアニアや東アジア、東南アジアにもその情報網を拡張して、行動拠点をさりげなく配し、今や世界的な市場にての途轍もない実権をこそりと握っていると噂されてさえいる、陰の世界のビジネス・エージェント。
……………と。彼の手腕や業績を直接知る限られた人々は、畏敬の念をもってそんな風に彼を評するのだが、

  "………そんな大層な
   奴なんだろうか。"

 少なくとも。今、この目の前にて、うたた寝中の幼い少年を自分に凭れさせ、まろやかなその寝顔を…自分の方こそ蕩け出しそうな夢見心地のお顔になって見下ろしている金髪碧眼の青年が、世界経済の世界に於いて、まるで怪物や将軍のように畏怖されているその敏腕エージェント様だとは、到底思えないのだがと。笑うでなく、呆れるでなく、微妙な顔つきになって向かい側から見やっている、ロロノア=ゾロ氏であったりするのだ。
彼らが居るのはそれは静かで広々とした居間の中程で、シックで落ち着いた品のいい調度が居並ぶその向こう、高いめの天井の近くまである大窓から望めるは、鮮やかに輝く瑞々しい緑の芝生がふんだんに敷き詰められた広い中庭。ツツジやアジサイの茂みに囲まれて、他にも味わい深い木々を揃えた、散策に打ってつけの広い庭を誇るこの瀟洒な別荘は、くうくうとうたた寝している少年の昨年のお誕生日を祝って、このビジネス・エージェントさんが贈った桁外れのプレゼント。
建物そのものの価値のみならず、これが建っているこの…保養地として超有名な閑静な土地柄を考え合わせても、時価で軽く数億単位の物件を、現金一括払いで買い求め、ついでに不動産税やら管理維持費やらを自動で払い込めるようにという処理をとりあえずは先の50年分ほども完済済みだという"至れり尽くせり"のアフターケアつきのとんでもない代物であり、今年は今年で、自宅には最新機種のPCフルセット。そして…この屋敷に似合うような様々な調度品やら、少年の趣味や好みを網羅して揃えたらしき、流行の服やら靴やら、バッグに小間物、サイズもぴったりのあれこれが、山のように送り込まれて来てあったそうな。
相変わらずに桁外れに人騒がせで、めっきりと子煩悩な"お姑様"であることよと、その胸中にて呆れつつも、

「ん…にゃい。」

 心地よさそうに眠る坊やの様子をこそ、幸せそうに堪能しているらしき青年へ、

「………。」

 何か言いたいものの、これというフレーズも見つからない口下手な自分に、やはり内心でついつい舌打ち。せめてこの場に居続けるという野暮をし通すくらいしか、自己主張が出来ないらしきゾロの態度に、こちらもきっちり気がついていながら、敢えて知らん顔を続けているサンジでもある。………う〜ん、なんて微妙。(笑)

  "まあ…喧嘩腰になっても
  何にも始まらないんだが。"

 むしろ。ルフィのためを思うなら、双方ともを"大切な人"だと思っている彼が板挟みになるばかりなそんな不毛なこと、やっちゃあいけないのだと分かってはいる。
だがだが、何というのだろうか。7年もの歳月を経て劇的な再会を果たし、その空隙さえあっと言う間に満つるほどの、深い深い想い入れを互いに再確認し合ったその上で、時には…擦れ違う想いに振り回されることもあるけれど、それでも相思相愛のまさに"蜜月"を満喫している彼と自分であるのだから。
なればこそ…事ある毎にこの坊やに大胆な接触を試み、その度ごとに自分の傍らへ来ないかとさりげなく打診するような、まめ…を通り越して執念深き男の言動、そこはやっぱりどうにも看過は出来ず。
肩書きも実力も、ついでに言えばルフィからの信頼のほどやら思い入れやらも、どれを取っても並大抵の代物ではない奴だという事実がまた、ゾロの負けん気についつい余計な火花を放って…その結果。いつまで経っても揮発性の高いまま、ルフィを挟んで睨み合うことの多かりし彼らだったりするのである。恋に狂った男ってのは、しょうがないねぇ、本当に。おいおい

  「…ふにゃ。」

 そうこうするうち、何とも愛らしい仕草でもって、小さな手の甲でこしこしと目許を擦り始めたルフィであり、

「あ。ごめん。
 俺、もしかして寝てた?」

 顔を伏せるようにして凭れ掛かっていたシャツの主を見上げて、まだちょっと呂律の怪しい言いようをする。見上げられた経済界の貴公子殿は、

「構わないさ、いい気候だものな。」

 このままハリウッドのトップスターになれそうなほどの、それは優雅で気の利いた笑みを口許に浮かべて、少年の柔らかな髪を指先にからめながら優しく頭を撫でてやる。心地いい感触にじゃらされるように微笑んで、だが、坊やは身を起こすとスルリとその懐ろの中から抜け出して、

「なあゾロ、
 今日はるうちゃん、もう来たか?」

 仔猫の寝起きを思わせるような様子で小さな体を"う〜〜〜ん"と伸ばしつつ、お向かいにいた精悍そうな面差しの青年へとそんな声をかけている。一見同じくらいの年頃の、だが、その立場や生い立ちのみならず、見栄えと性格まで全くタイプの異なる二人の男たちであり。ルフィを懐ろ猫にしてその愛くるしい寝顔を堪能していた方の優雅な美丈夫さんと打って変わって、こちらの青年はといえば…見るからに体格の良い偉丈夫で。タンクトップとジーンズを着て、肩にはデザインシャツをカーディガン代わり…というラフな恰好が、どうかするとセクシーに映える肉惑的な肢体をしていて、

「いや。今日はまだ見てないが。」

 立ち上がって中庭側の窓辺、テラスに出られる大窓の方へと大股に向かい、質の良い絨毯のように丁寧に刈られたエメラルドグリーンの芝生を眺めやる。その背後から続いて来たルフィは、実は色違いでお揃いのシャツの裾、少ししわになったのを伸ばしつつ、

「あの子、すごい賢いんだよ?
 今度からは堂々と来なさいねって
 言ったらさ、
 あの隙間からじゃなく、
 表の門扉の方から
 来るようになったんだもの。」
「…でも、
 表だと尚更に隙間はないだろうよ。」
「だからさ、
 俺の姿を見て、声かけてくれるの。」

 そんな風に細かく説明してから、
「今日は庭に出てないから、来てても遠慮して帰ったのかもしれないね。」
 ふうと溜息。並んで庭を見やっての…二人にだけしか通じないような、省略の多い彼らの会話に、

「何だ?
 ここでのお友達の話かい?」

 ソファーの方からお声がかかって。ルフィは振り向くとニコッと笑って見せる。
「うん。ここのお庭に遊びに来てる子がいるんだ。」
 ぱたぱたっとスリッパを鳴らしてサンジの傍らへ舞い戻り、
「見かけるようになったのは、ついこないだからなんだけどもね、もっと前からこっそり来てたのかもしれない。」
 ソファーに膝から乗り上がると、何やら秘密めいたことのように、顔を近づけ、声を低くして囁くように説明する。

「まだ小さいのにとっても賢い子でね。陰踏み鬼とかダルマさんが転んだとか、知らなかったのに一度説明したらすぐに覚えてサ。それで時々一緒に遊んでるんだ。」

 こしょこしょと小声で話す、どこか子供じみたそんな様子に苦笑を見せたサンジだったが、その幼(いとけ)ない愛らしさには敵わない。付き合うように声を低めて、

「そうか。それで、その悪戯坊主はここいらに住んでる子供なのか?」

 訊いたのだが、
「うん。」
 ルフィは無邪気に頷くと、

 「凄っごい凄っごい可愛い
  シェルティなんだよvv」

 けろりと答えて、

 「………はあ?」

 シェルティって、もしかして"シェットランド・シープドッグ"っていう小さな犬のことだよなと、ついつい確認を取ったサンジのお顔を…まずは顧客には見せたことがなかろうくらい、素っ頓狂な呆れ顔にさせて見せた強者でもあったのだった。おいおい




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