■蒼夏の螺旋
□薄暑緑風
1ページ/4ページ
ずっとずっと気ばかりが逸はやって仕方がなかった。新幹線から在来線へ、そして自宅の最寄り駅に着く最後の列車へと乗り換えた頃には、もうほとんど 気もそぞろで、いつもの携帯電話での"帰るコール"も忘れていたほど。
"こんな遅かったか?
この快速。"
社会人となって3年目の春を迎え、盛夏に予定されている大掛かりな企画への主幹スタッフの一人に抜擢された。何の役付きでもない、しかもこうまで若手が選ばれたのは初めてのこと。異例の出世だとか期待されてるんだぞとか、周囲から盛んに褒めそやされたが、何のことはない。その企画の提携先というのが、彼の初めての渉外交渉にて粘って粘って口説き落とした相手だったからだ。
当時は下請けの小さな事務所だったものが、その時の開発品が予想外のヒットをし、今では中堅どころとして急成長。この不況下だというのに来月にも東証二部への上場も決まっているとか。そんな経緯があったものだから、あちら様からの直々のご指名があり、それで主幹クラスへ抜擢されたまでのこと。
まま、そういう…ちょいと謙遜めいた裏書きの説明はともかく。その会社が中心となっての一大企画の打ち合わせも最終段階に入っていて、協賛企業それぞれの分担も決まり、物資の手配や広報関係のイベントへのスケジュールも動き始めている。企画の立ち上げ担当だった彼は、実務の方が動き出したことでやっと"後は任せた"と肩の荷を半分くらいは降ろせた格好になり…。そして今、半月もの出張を強いられたその身の移動速度の何ともどかしいことかと、我が家が着実に近づきあるというのに、何故だか高まる焦燥感に、ただただじりじりと苛立っている御様子。
"…っ。"
やっと到着した最寄り駅。ドアが開き切るのももどかしげに飛び出して、ホームを、階段を、一気に駆け抜け、構内からあっと言う間に出てしまった彼の。その、いかにも危急を示す行動に加えて…随分と目立つ容姿に、人の目も自然なものとしてぐいぐい集まったらしくって。間近に居合わせた人々が、口々に色々々と好き勝手な見解を紡ぎ合う。一体どうしたのか、何かしら緊急の事態に迫られているのか。
「ステキねぇ。」
「ドラマの撮影かな。」
「そんな筈ないって、
こんな田舎で。」
「きっとお家で誰か倒れたのよ。」
「いやいやそれより
奥さんが産気づいたのよ、
初めての妊娠とかで。」
「え〜、
あの若さでそれはないでしょ。」
「でも
あの必死さはどう考えても。」
「いやよ いやん。
あんないい男なのに
そんなの許せない〜。」
…と、いやホントに勝手なことを。(笑) そんなこんなと勝手に邪推憶測されているなんて露ほども気づかぬまま、彼は軽快な足取りで半月ぶりの帰途を駆けてゆく。スーツの裾を翻し、ネクタイをなびかせて…というほどの壮絶な姿ではなく、あくまでも軽やかな"急ぎ足"。そう見えるのは、日頃の鍛練の賜物というやつで。スーツが映えるすらりと引き締まった長身を支える長い脚もなめらかに動き、靴の音もなんとなく控えめ。そんなせいで、かなりのスピードが出ているのにそうは見えない。…おのれ、伊賀者か。(というのは昔使った覚えがあるような。ex,『His Favorite』/笑)