■天上の海・掌中の星


□青水無月
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 梅雨前の五月に陽光目映い初夏並みの気候が来るものだから、うっかりそのまま暑くなるもんだと錯覚しがちだが、自然もまた上手く出来ているもので、そうそう人間の思うままには運ばない。さすがに"梅雨入り"宣言のすぐ後ともなると、しとしとと雨も降るし、降らなくとも分厚い雲が垂れ込めて薄暗かったり、湿気が多かったりして、気分的にも何となく鬱陶しい。

「うう〜ん。」

 机の縁に肘を突き、そこから頬杖をついて横手の腰高窓の外へと視線を投げ、芸術的なほどの重なりと奥行きの見事さを披露しているグレーの雲の群れを見やる。

「なーんか今にも降って来そうな、キモイ雲だよなぁ。」

 最初はもっと明るい灰色だったのになと、観察の初めの方の情景を回想する彼だが…そっちの観察は"よそ見"に他ならない。一応、参考書とノートとが真新しい両翼をピンと広げた机に向かってはいる彼であり、なのにシャープペンシルさえ手にしていないこの有り様は、はっきり言って"注意散漫"の極み。とはいえいえこらこら、学校がお休みの土曜の朝からきっちり起き出して、こんな風に机の前なんぞへ着座しているなんて、この彼には珍しきこと。鬱陶しい暗雲どころか、空から槍とか桃色の雪とかが降って来たって良いくらいのことなのかも知んなくて。
「相変わらず失敬だな、お前。」
 中坊から"お前"呼ばわりされる覚えはありませんよ〜〜〜だ。…って、何を暢気に場外の人間とMCなんか交わしてますか。(笑)
「う〜〜〜。」
 宿題でさえ提出当日に教室でやっつけるか、さもなくば平気で"忘れる"豪傑が、今日は何と自分で早起きし、朝食後も誰に言われるでなく自分で机の前へと座った彼であり、

 『…正直に言いな。
  何か隠し事とか
  してねぇか?』

 同居人の従兄弟からまでそう問われた異常事態。筆者が"槍が降るかも"なんて思ったのも当然だろう。

  "うう…。"

 皆してもう、といかにも不服そうに真ん丸い頬を膨らませたこの坊や。今更に何だが、あらためてご紹介するなら、ルフィという名の中学生。ざくざくっと梳いて刈った長いめのショートカットに真ん丸いおでこと柔らかそうな頬がよく映える、それはそれは大きな眸をした、まだまだ十分"子供"で通るほど童顔な男の子。体つきの方にしたって同様で、背丈も小さく、胸板薄く。腕も脚もひょろ長く、動作が機敏で筋肉の隆起も多少はあるものの、瞬発力のための撓やかなそれ。それでも柔道の有段者ではあり、3年連続で県大会代表に選ばれている強者つわものだったりするところは大いに胸を張っていいポイント。軽量級の体格だが、自分より大きな相手だってほいほいと投げられる勘の良さは、名のある関係者の方々からの折り紙付きであり、先々では史上最軽量の無差別級選手になるのだって夢じゃない。

「えっへん♪」

 おお、急にというか簡単に機嫌が直ってしまったわね。(笑) 柔道なんていう格闘技とは無縁に見えるほど、日頃はとことん無邪気で屈託のない坊やであり、学校でもなかなかの人気者。ただただ元気溌剌なだけでなく、意外なくらいに人の気持ちを酌むことの出来る、それは豊かな感受性も持ち合わせているからだ。その感受性の根幹には…実はとある要素が横たわっていて。この世の端っこ、もしくは裏側。肉体という名の殻を持たない、目には見えない筈な様々な存在の、その息遣いを感知出来る不思議な力。何とも説明のつかない、そんな力を生まれながらに持っていたがため、物心つくかつかないかという頃から様々な悪しき存在からの影響を受け続けて来た彼は、不思議な縁えにしから不思議な青年と巡り会う。彼を脅かしていたような邪悪な負の存在を、片っ端から浄化封印、成敗する精霊。永き歳月ただそれのみを生業なりわいとし、孤高に生きて来た、その名をゾロという"破邪"の精霊。

「ここー?」

 ああ、えっとですね。独りだけ皆から掛け離れていてどこか気高い存在って意味ですが。能力が飛び抜けて勝まさっている上に、威厳や風格があったり、独特の威容があって近寄り難かったりして。

「いよー? 異様ってことか?」

 じゃなくて。威風堂々、厳いかめしい様子のことで…このくらいは辞書で調べんか、受験生。(怒)
「え〜〜〜、面倒臭いじゃん。知ってる人がいるんなら訊いた方が早いし。」
 だから、それではいつまで経っても辞書の引き方とか上手くならんと言うとるのだろーが。先々で、そう、レポートとか論文とか書かなきゃならなくなった時に困るぞ?
「論文なんて偉そうで難しいもん、書かなきゃならなくなんてならねぇって。」
 笑って言うけどネ、なるんだよ、それが。大学の入試とか、その大学でのレポートの集大成として。たとえ体育系の学校へ進んでも、物事を順序だてて話せる力とか、散らばったものを統合する力とかは必要になるの。
「いいもん。難しいことはPCで調べられるし。」
 だ〜か〜ら。PCに掲げられてるもの全部を、あっさり鵜呑みにしちゃあいかんのだってばよ。1つことにも人の数だけ様々な見解があるんだから、適当な抜粋で全部分かったなんて解釈しちゃっちゃあいかんのだとか、そういう理屈の土壌が出来ててゆうとるのかあんた…などなどと、筆者とお暢気にもお喋りしていたそんな場を、

   ………っ。

 不意に"かかっ!"と横ざまから叩いた真っ白な光。前触れなくお部屋へなだれ込んで来たのは、質量や形があるみたいだった強い強い光の塊りだ。いきなりストロボを焚かれたみたいなそれへの鋭い反射として、ビクッて肩を跳ね上げながら窓の方を向いたそのタイミングに、

 ――(ゴロゴロゴロ…。)

 学校の正門の重たい門扉を引くような、長さのある重たい何かを転がすみたいな音が遠くの方でした。轟くって感じの音だったから、これはもしかしなくとも、

 "…雷だ。"

 それに誘われたか、刺激されたか。屋根や周囲の緑の葉っぱに、ぽちぱちぽちっと粒のはっきりした雨の落ちる音がし始める。窓からそよぎ込む風にも、どこかつんとした土の匂いが混じって来て、

 "あやや…。"

 中へ降り込まないようにと、椅子から少しだけ腰を浮かして、腕を伸ばして窓の開きを細めに調節しかかったルフィだったのだが…そこへ間髪入れず、

  「…っ!!」

 窓越しに見えたのが、真っ暗な雲を背景にくっきりと宙を引き裂いた稲妻の閃光。家々の家並み、瓦やスレートの屋根たちを水の面に見立てたそこから天へ高々と勢いよく昇った龍のように。空を真っ二つに割った亀裂とほぼ同時、

 ― かっから、
  ぱりぱりぱり…ドドーンッ!

 窓がびりびり震えたほどの大きな振動を一緒に連れて、乾いた音だが輪郭もはっきりしていて…それだけ形あるもののようだった雷鳴が落ちて来たから堪らない。

「…ひやあぁぁ〜っ。」

 日頃からも大きな瞳をますます大きく見開いて、呆然としたままに素っ頓狂なお声を上げたルフィであり。すると、

  「どうしたっ!!」

 突然。宙空から彼の傍へ…空気に色が滲み出して形を取り始め、幻が質量を帯びたかのごとく、最新鋭の特撮のCGでもこうは行かんぞという滑らかさで飛び出して来た偉丈夫が約一名。濃色のタンクトップの上へ生成りの綿シャツを裾を出して羽織り。ボトムはジーンズで、片手に細長いハンドスィーパ−を持っていたのはお掃除の最中だったかららしいが(笑)、階下で家事に勤しんでいたらしき彼が、そんな姿であることさえ顧みずにいきなり次元跳躍で現れたのは、

「何か出たのか?」

 ルフィの上げた声に反応してのことならしい。敵襲かと言わんばかりの勢い(ノリ)でいきなり現れたゾロへ、
「な、なんだよ。何でもないよっ。」
 その大仰さに驚きつつ、どこか決まり悪そうに言い返す坊やだったが、
「…何でもない奴がどうして、椅子を蹴倒して壁に背中で張りついてるかな。」
「うう"…。」
 学習用デスクがあった場所から一番遠い壁へと、どこぞの修行中の忍者のように背中で張りついている坊やには違いなく。そうですね。何でもないことへ、お客様の目もないのにこうまでのリアクションをしてどうしますか。
"芸人じゃないんだから、客の目があったって異様だろうが。"
 うん、そだね。(笑) 大きな手からハンディスィーパ−を宙へひょいと消して、依然として壁と仲よくしているルフィに近づき、
「どした。何かそこに隠してんのか?」
「違…。」
 違うと言いかかったその語尾に重なって。丁度向かい合ってたゾロの肢体を、くっきりと逆シルエットにしてしまうほどの強い光が、再び窓の外にて閃いた。すると、

 「…あ、やだっ!」

 ぎゅうっと目を閉じ、身を縮める。彼のそんな所作に重なって、ぱしん・ぱりぱりり・かっからら…と、やはり乾いて大きく響く、相当に近い位置だということを忍ばせるよな雷鳴が轟いて、
「………ルフィ?」
 壁に背中をくっつけたまま、ずりずりと床まで滑り落ち、ふええぇっと座り込んでしまった坊やに。ゾロは…といえば、

   「………。」



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