■蒼夏の螺旋


□青葉瓊花
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 陽が落ちてから降り出したらしい雨は、この季節のそれにしては静かなこぬか雨で、帰宅したゾロのスーツの表面に、霧をまぶしたように水気がまとわりついていたのを見て、初めて気がついたルフィだったほどだ。

「傘をさすほどのこともなかったんでな。」

 一度何かの折にブリーフケースに入れてそのままになってた折り畳みの傘のことだろう。持ってはいたが使わなかったんだと、ゾロはそうと言って上着を脱ぐと、慣れた手つきでハンガーに掛けたが、
「あ、そのまま入れちゃダメだよ。」
 開けられかかったクロゼットの扉を小さな手で押さえて、
「乾かさなきゃ。」
 そう言ってハンガーごと受け取ったルフィは、家の中で乾いてるところは…とキョロキョロしながら居間の方へ戻って行った。そんな具合に言動がどこか"若妻"っぽくなりつつある彼であると、ひょんなことで気がつく度、背の高い従兄弟はついつい苦笑するのだった。



       ◇



 五月のうちには結構降ったのに、六月に入った途端、からりとした晴天ばかりが続いた。昨日、今日なぞは30度を越す"真夏日"で、エントランス前の花壇に植えられたアジサイも萎しおれるばかり。今年は"空梅雨"なのかなと思っていた矢先のこの雨で、
「空梅雨なんかじゃないよ。長期予報では例年通りに降るって言ってたもの。」
 仕事の関係から情報収集には余念のないルフィがそうと言い、

「ひなセンセーも髪が"しとっ"として来たから近いわねなんて言ってたし。」
「…ルフィ、省略のし過ぎだ。」

 よく判らんぞ、それ…と、訊き返すゾロに、粒マスタードを添えたボイルドソーセージと冷えたビールとを、まずはとトレイに乗せて居間まで運んで来たルフィは"あ、そっか"と小さく舌を出す。余談だが、ビールのつまみには枝豆かスナック菓子の"イカの姿揚げ"が最高だったなぁ…。(今は飲まないけど)

「あのね、ひなセンセーっていうのはPC教室の先生。表計算とか書類の書式設定とか、ビジネスクラス担当なんだけど、時々はキッズクラスの様子を見に来てくれるんだ。」

 マンションの一階には、個人経営の塾やエレクトーン教室、そして地域活動の一環としての文化教室が設けられていて、その内の"パソコン教室"の非常勤講師のアルバイトをしている彼なのだが、このほど、小学生低学年対象のキッズクラスが新しく立ち上がり、ルフィもアシスタントとしてそちらへ出向の身となった。
「柔らかい真っ直ぐの髪を腰まで伸ばしてる女の人なんだけれどね、湿度が上がると髪がしっとりしてくるから、雨が近いとかいうのが判るんだって。」
 そんな風なルフィの説明に、ソファーに腰掛けたゾロは"あっ"という顔になる。

「細身で線の細い感じの、背の高い人じゃないか? それ。」
「? うん。よく判ったね?」

 ゾロが会社ではなく此処いらに居る時間帯と、ルフィが教室に出入りする時間帯は、当然のことながら重ならない。よって、直接引き合わせる格好では紹介した覚えはないけどなと思ったのだろう。現に"誰のことだか判らないぞ"という反応をしたくせにと、細っこい肩の上、小首を傾げて見せるルフィへ、
「向こうは俺らをよく知ってたみたいでな。駅で会ったことがあるんだが、いきなり"ルフィくんのお父様ですか?"って声かけられた。」
「………☆」
 タイミングよく、台所で電子オーブンが"チン☆"と、温めましたよという電子音を立てる。今夜のメニューはメイタガレイの煮付けと高野豆腐の玉子とじに、おぼろ昆布とかまぼこのおすましとグリーンピース一杯の豆ご飯。その豆ご飯を温めていたのだが、

「お父様って…。」

 その合図を聞きつつも…ルフィは意表を衝かれたことからその場に立ち尽くして見せるばかり。といっても、が〜んとショックだったのではなくて、

「…お前、
 自分の年齢とし
 ちゃんと説明してんのか?」

 どこか恨めしげな声を出すゾロへ、
「事務方の人へ出した履歴書にはちゃんと書いたんだけど…。ぷぷっっ。」
 何だか可笑しくって…と、引き付けるように笑い出し、
「ヒ、ヒナ先生はそんな書類とかいちいち見てないだろうから、見た目だけで俺のこと"中学生くらい"って思ってるのかもしんない。」
 元々から童顔であることに加えて、とある事情があって、実際の年齢からはほど遠い幼い容姿をした彼なのだが、
「それにしたって、それじゃあ…俺、幾つだと思われてんだよ。」
 ますます憮然とするゾロだ。ちなみに、ルフィが十四歳だと思われているとして、親が十六歳の時に生まれた子ならゾロは三十歳、法的なことを考えて?十八歳まで待って??作った子だとして三十二歳だと思われていることになる。そして…ロロノア=ゾロ青年は、実は今秋十一月に二十四歳になると来て。

「そうまで老けて見られたってことなのかな。」

 堪らずに"うくく…"とばかり、笑い続けるルフィに唇を曲げて見せて、ゾロは手酌でビールをグラスへとそそぐと少々やけっぽく一気にあおって見せた。





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