■ルフィ親分捕物帖


□しあわせのしわ寄せ。
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 幸いや幸福を差す日本語には“しあわせ”というのもありますが、こっちはそもそも“仕合わせ”の意だそうで。室町時代に生まれた言いようで、間がいいとか、タイミングがいいこと、巡り合わせのよさをいった言葉だそうですね。



 昔の暦の師走の終盤はというと、今の暦より一カ月と10日ほどずれ込むので、二月の初め、そりゃあそりゃあ寒い頃合い。しかも、陽が出るのも最も遅い時節なので、朝が早い方々には殊更に、寒いわ暗いわと最もキツイ真冬真っ盛り。そんな時期に年の終わりの締めくくりだ、片付けに掛け取りにとてんやわんやしたなんて、さぞかし大変だったでしょうねと思う訳で。

 「掛け取りって何だ?」
 「ツケの集金のことよ。
  年末にまとめてなんて
  言ってたクチから、
  そのまとめてを
  払ってもらおうってんで
  集金に出向くの。
  ただでさえ忙しいのに、
  そんなことへも
  駆け回らにゃならない身にも
  なってよね。」
 「あわあわ…。」

 さぞかし耳が痛い諸氏も多かろて。(苦笑) そんな忙しさの中、どんなに家計が苦しくたって餅の少しもなけりゃあ正月は来ないとしたのが江戸っ子だそうで、師走の半ばからあちこちで始まるのがお餅つき。商家では使用人たちが、武家では中間(ちゅうげん)などが庭でついたそうだが、大晦日ギリギリまで商いをしつつの新年の支度や何やで、既に手が塞がっていて忙しい極みな商家や一般家庭では、町内のあちこちへこの時期だけ限定のアルバイト、威勢のいい鳶職のお兄さんたちがチームを組んでの繰り出してって、鏡餅からのし餅までの一通りついてくれたのだとか。もち米を蒸すところから手掛けてくれるそうではあるけれど、となると一軒分だけでも相当に時間が掛かる。それをあちこち掛け持っての仕事なので、町内によっては多くを抱えることもあり、遅い陽が昇る前からかかっての宵までと、お寒い中走り回った訳で。時節柄、火事だって少なくはなかったでしょうから本業だって油断は出来ずで、そりゃあ大忙しな半月だったことでしょねぇ。

 「はいよはいよ、
  どいたどいたっ!」
 「餅つき隊だよっ、
  どいとくれ!」

 グランドジパングの師走も、大人たちは大忙しで。子供たちもまた、大きい子らはお手伝いに忙しいし、小さい子らは構ってもらえぬ中、お邪魔にならぬようにと右往左往させられるため、それはそれなりに忙しい。とはいえ、あまりの究極な貧困に困っているような層は、ないに等しい豊かな藩でもありまして。正月にはお城で藩主様直々にお餅を撒いて下さる催しがあったりもするし、それ以前に、不自由はありませぬかと見回りの、施しふるまいの米やら味噌に塩、今で言うところの“生活保護”として配って下さるほどの行き届きよう。どこぞの国も見習えよと、そのうち社会弱者の層が蜂起しての革命とか起きても知らんぞこらと、比べたくなるような手厚さであり。そんなお国の師走の風物、忙しいお家の分の餅をつきましょうという部隊が、今年もまたそれぞれのご町内を回ってる。同心役の風車のゲンゾウの旦那の配下のお当番は、

 「あ、ルフィ親分だvv」
 「みんなっ、
  お餅つきが来たよっ!」

 今日はフーシャ長屋への出張にと朝も早よからやって来た、蒸し器や臼に杵、荷車に積んだ、ルフィ親分とその下っ引きのウソップに、お医者のチョッパー先生も加わっての餅つきのご一行。岡っ引きもまた、年末の慌ただしい中では犯罪も増えようから忙しいはずなのだけれども。そこは火消しの鳶のお兄さん方と同じ理屈で、臨機応変を利かせておくれとの前提の下に、期間限定の力仕事を承っているという次第。

「今年もよろしくお願いしますね。」
「おうさっ。」
「あいよっ。」

 何だか、年の初めのようなご挨拶を向けて下さる女将さん方が、よ〜く洗って水に浸けておいたもち米を運び出しの、水を張った大振りの鍋をかけた、屋外使いのカマドを用意しのし。餅つき部隊の方は、その上へと積む大きな蒸籠に濡れ布巾を広げてゆくと、もち米を丁寧に入れての均し、鍋の上へ仕掛けてゆく。米が蒸し上がるまでには臼の支度も整って、桶へと汲まれた水で先を濡らした細い杵にて、まずは捏ねつき。米粒が潰されてのまとまってくれば、速いテンポで練り上げるようについて、仕上げは大きな杵でのコシを出す仕上げづき…というのが“基本的な餅つき”の一通りの手順だが、
「親分、捏ねづき終了しました。」
 ウソップと大家さんトコの女将さんとで一通りをまとめたところで、

 「よっしゃあ、
  じゃあ行っくぞ〜っ!」

 相変わらずにひょろりと細っこい親分さんが、着物のお袖をまくってのたすき掛け。さあ頑張るぞと腕を肩からぐるんぐるんと回しつつ、まだまだほっかほかな湯気の上がる粗づき餅へと向かい合い、すうと大きく息を吸って、

 「ゴムゴムのガトリングっっ!」

 まずはのタメにぶんぶんぶんと、両腕を、両の拳を空打ちしてから、弾みのついたところでその連打を一点への集中させる、ルフィ親分の必殺技が炸裂し、
「うひゃあ〜〜っ。」
「毎年のことながら、見事なもんだよねぇ。」
 こね水を差す相方の手だって出せないほどの凄まじい連打で、見る見るうちにお餅はなめらかになってゆき、コシも加わっての仕上がるのもあっと言う間で。

「…でもあれって、
 手が熱くないのかねぇ。」

 今年初めて見るという、指物師の八っさんのところのご新造さんが心配そうな声を出すのへは、

「大丈夫だよ。
 見えないほど速いけど、
 拳に小型の杵を
 嵌めておいでだからねぇ。」

 こちらさんは慣れている、かつぎ古着屋の留さんトコの女将さんがにっこり笑って、
「ウソップさんが作った工夫、なっくる何とかっていうのを着けていなさるから、直接触れてはないんだそうでね。」
「ああ、ほらほら、もうすぐ上がりだ。」
 さあさ次のを用意しないと、おリカちゃんは飯台に打ち粉を振っておくれなと。神棚用の小さいお鏡餅用の丸餅に、切って食べる羊羹みたいなのし餅と。手際良く分けての丸めてく。ところで のし餅ってのは関西ではあんまり見ないような気もします。あれって切るのが大変なんでしょうね。
「それにしても大した手際だよねぇ。」
 みんなが繰り出してのにぎやかな作業は、お正月準備でもあるせいか、自然と笑顔でのそれとなるもの。小さな子供らも集まってのワクワクと、親分さんの餅のつきようへ歓声を上げてのはしゃいでいるが、

「こう言っちゃあ何だが、
 ああいった大技を出す時きゃあ、
 物ぉ壊すほうが多い
 親分さんだってのに。」

 やっぱ食べるものが相手だと手加減も利くもんなのかねぇなんて、ご隠居さんがしみじみ口にしたのへは、
「そうじゃないぞ。」
 すぐ傍らに居合わせたお医者様のチョッパーせんせーがすっぱりと応じて、
「昨日の半日かけて、木の臼を28個と石臼15個と叩き割ったんだもんな。」
 にっこり笑って恐ろしいことをすっぱ抜き、
「その末に、ゲンゾウの旦那から“ちゃんと手加減が出来ないようなら、年の瀬から三が日まで奉行所で書類の整理をさせるぞ”って脅されて、やっとのことで会得し直したんだな、あれ。」
 続きはウソップがすっぱ抜く、まったくもって困ったお仲間たちである。ちなみに、食べ物関係の話題となるとかつぎ出される“めし処・かざぐるま”のサンジさんはというと、あつらえおせちやお年始用にという仕出しの注文を捌くので手一杯。どうかすると“最後でいいから店の分もつきに来て”と、こちらの皆さん、おナミさんから頼まれているほどだとか。
「よっし、これで一通りつけたな。」
 井戸端から長屋の真ん中、床几を並べて飯台並べての“餅のし”も一通り済んで。つきたて餅でのあんころ餅やら黄粉をまぶした あべかわや、大根おろしに醤油を和えたり、海苔を巻いたりと、皆さんお好きな味付けでの堪能中。

「親分はどれが好き?」
「ん〜、そだなぁvv」

 黄粉も捨て難いけど、しろっぷ堂のカヤちゃんの差し入れのあんこは絶品だしなぁ。迷っているような口ぶりを遮ることなく、既に5、6皿ほどを平らげているところが、食いしん坊系でも豪傑さんな親分で。
「あんな食いしん坊なのに、親分さんて太らないよねぇ。」
「つか、始終“腹減った”って言ってるぜ?」
 何というのか、燃費の悪いコトこの上ない体ですよね、実際。(苦笑) うまうまとご機嫌さんでいた親分だけれど、ふと、その視線が木戸の方へと逸れる。長屋には袋小路になっている突き当たりと逆の入り口に、鍵をかけられる“木戸”というのがあって、晩の定刻になると当番が閉じてしまう決まりがある。夜中に出歩くなんて、特別なお勤め以外はあり得ないから、泥棒だの謀反の合議だのという悪巧み、怪しい行動をしていればそれがそのままチェック出来るようになっているという訳だけれど。

「あ…。」

 何か気配があった訳じゃあなくの、たまたま。その視線が向いた先には、見慣れた人の横顔があって。随分とくたびれたまんじゅう笠に墨染めの僧衣。雲水姿の彼こそは、

“ゾロ…?”

 別に約束とかしてた訳じゃあないから、偶然通りすがっただけだろう。それでも、いつもだったなら駆け寄るとか声をかけるとか、こっちからも気安くしているところだったけれど、
「?」
 何でだろうか、妙に…近寄り難い雰囲気がする。向かう先を真っ直ぐ見やってるばかりで、そのくせ隙がないというか。下手に近寄ると誰彼の区別なく薙ぎ払われそうな、そんな意識を張ってるのが何とはなく判るから、

“考えごと、かなぁ。”

 日頃だったなら、向こうから気安く声をかけてくれるのにな。つか、こっちからこんな風に気づくのって初めてじゃないだろか。誰かと話してるところにこっちが通りかかっても、すぐさま気がつく坊様だしな。そっちは警戒してという尖った察知の仕方じゃなくて、おや面白いお人が来合わせたもんだと言いたげな、そりゃあ和んだお顔をいつも見せてくれるのに。
「…。」
 時間にしてほんの数瞬ほどという短いすれ違い。けれどでも、その間の刹那だけでもこっちを向かないかなってさ。ちょっちドキドキして見送った親分さんで。結局は、最初から最後までの全然、顎も視線も動かないままだった相手へ向けて、

 “…つまんねぇの。”

 いかにも不服げに、黄粉のついた口許を尖んがらせてみせた親分さんだったりしたのである。



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