寄せ集め
□シック・バスルーム
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ついに、やってしまった。
お湯を頭から被ると赤い髪が視界に垂れ下がった。知っているものよりもいくらか暗いのは水を吸っているせいだろう。
また顔が熱くなるのを感じて、急いで身体を洗い終えるとほとんど飛び込むようにしてバスタブに身を沈めた。
ぎりぎり目が出る程までお湯につかり、じっと息を詰めてしばらく。もう限界というところでようやく顔を出して息を継いだ。
大きく吸った重く湿った空気は、むせそうな熱気と妙な匂いを孕んでいた。
いつもと違う匂い。少しツンとする、たぶん髪染めの匂い。
湯気の立ち昇る湯に漂う自分の髪は、一本一本で見ると透けるような赤をしている。お湯と一緒にそっと掬いあげると、その中で今にも溶けていってしまいそうだった。
今日、私は好きな人と同じ色の髪を手に入れた。
夕日に溶けてしまいそうなルビーレッド。
初め見た時は、単に良い色だなと思っただけの赤い色。いつの間にか、見ると心臓がぎゅっと縮こまるようになった色。
なんだか自分のじゃなくなったみたいだ。
異和感たっぷりの髪を指に巻きつけながら、そういえばと思い出す。
段々色も抜けてくるみたいなこと言われたっけ。そうなったらまた染めないといけないのかな。
染める前よりもすこし指ざわりの悪くなった髪がキシりと音をたてる。
なにぶん髪を染めるなんて初めての経験で、勝手もなにも分かったもんじゃない。
我ながら、バカなことをしたと後悔中だ。好きをこじらせて、とうとうこんなところまで来てしまった。
どうして。どこが。そんな疑問ばかりが頭を回る。俺様でナルシストで、どちらかといえば苦手なタイプだったはずだった。
なのに。髪に触れられてる、それだけでずっと心臓が暴れていた。
「暑いか?」
そう聞かれて下げていた視線を鏡の自分に向けてみると、真っ赤なゆでダコがいた。
「悪いがとってやれないぜ。服につくと落ちないからな」
何の事かと考えて、てるてる坊主みたいに首から下を覆うシートの事を言ってるんだと気付いた。
「平気」
別に暑いわけじゃないし。顔はびっくりするほど熱いけど。
そうか、と素っ気なく答えるとアレンはまた手元に視線を落とした。
あ、真剣な顔してる。
珍しい表情に、まじまじ見詰めてしまっている自分がいた。鏡越しにうっかり目が合ってしまい慌てて逸らす。
けれど今度はどこを見ていいか分からずに視線がさ迷う。不自然にならないようにと思えば思うほどぎこちなくなっていく気がする。
私今すごい挙動不審かも。平気だったのに。ずっと普通だったのに。ロッドが変なこと言うから。
もんもんと考えている頭の後ろで、ふっと笑う気配がした。
「…な、何?」
「いや、緊張してんだろ」
してるよ。するに決まってるじゃない。ずっと髪触られてるのに。時々アレンの指先が耳を掠めていく度に悲鳴を必死で押し殺してるのに。
「…変にならないかな?」
訊ねると、愚問だとばかりにフンと鼻で笑われた。
「俺様を誰だと思ってるんだ?どんな色でも似合うように仕上げてやる」
鏡に映る私の顔の横へいつだって自信に溢れたアレンの顔が並んだ。黒ぶち眼鏡の奥の目はしっかり私の視線を絡め取る。
「…じゃあ、信じてる」
「じゃあってなんだ」
どうしたって素直になれない返事をすると、ぺし、と頭を軽くはたかれた。
そんなこんなで平常心を落っことしてきたまま、放牧していた羊や牛を小屋に押し込み、思い出すたびに悲鳴をあげそうになりながら鳥たちを鶏小屋へ放り込み、心身ともに疲れ果てて帰って来た末の今だ。
ただ好きなだけだと思っていた。
特別だとか恋だとか、そういうのじゃなくて。田舎の牧場で生まれ育った自分には、おしゃれや美容院なんかは縁の無い言葉で、美容師という職業自体も物珍しかったから
好奇心と憧れとそういったものが全部混ざって、でも友達だと思っていた。のに。
ロッドが言った何気ない一言が爆弾になった。
そうしてこじらせた気持ちを持て余してこの結果。
どうしよう、ティーナにバレたら絶対ネタにされるよ…。
色戻そうかな。いやでもすぐに戻したら変に思われる?
ここはイロハに相談して…ってそんなの無理だし…
「あーもう、何やってんだろう私…」
バスタブの縁に額を打ち付けるととても良い音がした。思ったよりも痛い。
シャギーだとか段だとか言われても分からない。わかるのはせいぜいショートカットと三つ編み程度。
ため息とともに目を開けた。そんな私の視界に入ってくるのは、どこでついたのかお湯に浮かんでふよふよと漂う飼い葉だった。
あぁ。このまま沈んで消えられたらいいのに。
世界が違う。それでも、少しでも良いから近づきたい一心で。私はみっともなくもがき続ける。