トリカゴッド
□七
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ぱちぱちと薪の爆ぜる音。その上では水を張った鍋の底からふつふつと泡が浮かんできだした。見る間に泡は数を増やし、一つ一つのサイズも大きくなる。
「八戒、お湯沸いた」
「ありがとうございます。次はこっちを刻んでもらえますか?」
「うん」
そう言って包丁を受け取ったは良いが、まな板の上に鎮座した食材にハクは僅かに眉を顰めた。
散策がてら川沿いを歩いていた悟浄は一本の木の前で足を止めた。
やけにしつこく鳴いている鳥がいるかと思えば、そこには小枝で器用に編まれた巣があった。その中でたった一羽、ぎこちなく羽根をバタつかせて鳴いている雛がいた。落ちそうなほど身を乗り出しているそいつはぱっと見成体だが、どこか危なっかしいその動きがよく知るチビに重なる。
同じ鳴き声がしたと思ったら、側の木に似たような鳥が数羽とまっていた。
兄弟達かはたまた親鳥か。残った雛が巣から飛び立つのを待っているのか、近くにいる悟浄を警戒する素振りを見せながら、落ち着きなくピィピィと巣に向けて鳴き続ける。
それに答えるように鳴くそいつは、置いて行くなと必死に叫んでいるようにも見えた。
残されるのは嫌で、でも一歩踏み出す勇気もないらしい。
そりゃそんな高いとこに巣があったんじゃあな。
見上げるそれは大の男二人分くらいの高さだ。下を見れば足が竦みもするだろう。
誰も手伝えない、そいつが覚悟を決めて巣の縁を蹴るしかない。
羽根があるってのも大変だなと思いつつそれに背を向け来た道を辿る。
「悟浄ー!」
道の先で、こちらもまた飛べずに足掻いている雛鳥が手を振っていた。
数か所に残るのみとなった絆創膏の白が眩しい。石を踏み鳴らしながら走ってきたそいつはどうせ引き返すのにわざわざ隣に並び、能天気な顔で何か面白いもんでもあった?とこちらを見上げた。その目の縁が少し赤い。
「朝飯、スープでも作ってんのか?」
「なんで分かるんだ?」
「玉ねぎ切ったろ」
赤い、と悟浄が自身の目を指すが、どうにもピンとこなかった様子で首を傾げる。
「………目が?」
「…ソーデスネ」
そうっちゃそうだが分かってる気がしねぇ。鈍い、面倒臭い。
「なんだよ目の話だろ?」
「そうだけどそうじゃねーんだよ」
説明するのも面倒で、何言ってるんだとでも言いたげな顔をするそいつの頭を押さえつける。わしわしと撫でまわしてやれば、返ってくるのは抗議の声。
すぐムキになって喚くその顔は常となんら変わりない。顔色もよく完全なる平常運営だ。
初めて聞いた時はもう崖っぷちなのかと思ったが、本人が口にしていた通り今すぐにという訳ではないらしい。そう言う本人が一番動揺していたことは置いておくとして。
「そういやお前身体は?」
「もう平気。だいたいは八戒が直してくれたから」
元気、と拳を握り笑ってみせるその顔に確かに陰りは見えないが、
「ま、調子良いってんなら、相手でもしてやろーか?猿はまだへばってんだろ?」
ほんの気まぐれに、ぱちりと瞬いた赤い眼がさも意外とばかりに悟浄を見返す。
「なんだその顔」
「だって悟浄、いっつもめんどくさいって嫌がるのに」
そんなにだったか?と思い返すも、誘われる度にあれこれ理由をつけて断っていた記憶しかなかった。第一猿がいたならそれで充分事足りる。
「たまには付き合ってやってもいーっつってんだよ」
何か考えるような間を開け、かくりとその顔が空を仰ぐ。
「…雨」
「…降らねーよ」
ごちゃごちゃ言うなら取り下げだと言えば、待って待ってと慌てる声。
「ならあれ教えて、前に言ってたやつ」
「おーいいぜ。何か覚えてねーけど」
「…やった」
…なんだその顔。
やったと言う割に、そいつは不味いものでも口に入れたかと疑うほど下手くそに笑って見せた。
悟浄がそれを指摘すると、今度は俯いたままになる。かと思えば、妙に真面目腐った顔で袖を引いてきた。
「…あのさ悟浄、聞いても良い?」
「なんだよ」
一瞬言葉に詰まり、迷ったように一度悟浄を見てからまた目を逸らす。やっぱりいいと言いだすかと思いきや、まごつきながらも「こないだの、あれって…」と切り出した。
「あ?」
こないだ?あれ?抽象的な言葉のオンパレードに三つ四つの事象が頭を過る。
どれだ、と悟浄が迷う間に、今度こそやっぱりいいやとの台詞が出てきた。
なんだその酒の勢いでヤッちまったあとみたいな…とそこまで考え悟浄はハタと気づいた。繋がらないはずの事象が線で繋がる。
「あー待て。何の話か分かったわ、たぶん」
手で制すると素直に足まで止めるものだから、つられて悟浄まで立ち止まる。
「誰かさんが全然泣きやまねーから」
まったく触れてこないものだから、とっくに流したものとばかり。それどころか忘れてすらいるかとも思っていた。むしろ忘れてくれて良かった。
泣きやませようとしてだなと弁明すれば、その大きな目が何度か瞬きを繰り返す。
「…なんだ、そっか」
拍子抜けしたように言うそいつを置き去りに歩き出せば、数歩遅れて足音が追ってきた。
「あれで泣き止む?」
「現に泣き止んだろ?」
「だって…びっくりするだろ」
「泣きやませるにはそれが一番良いんだよ」
納得したようなしていないような、微妙な表情でそいつはそっかと小さく呟いた。
「けどありかなしかってーと、さすがに俺もねーなと思ったわ」
「あるとかないとか、なんだよそれ」
「さて何でしょーネ。誰かさんがびーびー泣いて泣きやまねぇからしょうがなかったのヨ」
「そ、そんなに泣いてないだろ!」
「いーや泣いてたね」
自分が一番分かってんだろと額をつつけば、尖らせた口がぐっと言葉に詰まる。
「つーか、んなことずっと気にしてたわけ?」
「…別にっ」
その割にしれっといつも通りの顔してやがったくせに。口の端を歪めた悟浄に背を向け、そいつは無理しているのがバレバレの早足で歩いていった。