短話
□境界線を飛び越えて
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夕日のオレンジが窓からいっぱいに広がる、静まり返った職員室で先生と私が向かい合っている。先生は椅子に足を組んで楽にしていて、対して私は幼児向けのお人形みたいにカチカチに固まっているだけだった。はたから見ればマンツーマンでの補習か説教に見えるのだろうがそんな甘いものじゃない。もっと苦々しい、他人に言えないブラックな会話だ。
「んで、どーすっか」
ずしりと再び胃に鉛が押し込められる。やっぱり、カンニングした人間をみすみす見逃してくれるはずはないか。この先生は何を考えているのだろう。何をさせるつもりなんだろう。雑用?奴隷?賄賂?分からない。知っているのは、この先生が女生徒に異常に人気があることと、私の弱みを握っていることだけだ。
どうせペナルティが下されるなら軽い方がいい。前もって自分の限界を提示すべきだ。そう考えて口を開いた。
「…せ、先生、私、雑用くらいまでしか」
「それだ」
「え」
良いんだ、雑用で。
あまりにあっさり決まって多少もやもやはするものの一安心か。しかしまだ不確定なことが多いので気を引き締める。
どのくらいハードな内容なのかとか、期限はいつまでなのかとか……
「なんか違和感あると思ったんだよな」
まさか、先生の気が済むまで一生雑用とか?いやいや流石に卒業するまでであってほしい。卒業してからも学校通って雑用続ける元生徒とか怪し過ぎる。っていうか、危ない人過ぎる。そんな未来は嫌だ!自分の限界を感じて、再度口を開く。
「…先生、やっぱり卒業してからも通うのはちょっとさすがに無理があるかと」
「は?」
「すみませんすみません口出ししてごめんなさい!そうですよね、学校じゃなくても雑用なんていくらでもできますよね、家に通えばいいんですよね…お願いバラさないで」
「ちょっと落ち着け」
「はっ、すみませんでした」
「それに誰も雑用係にするなんて言ってねえぜ?」
「え」
じゃあ何に相槌うったというんだ。それだ、って言ったじゃないか。
「先生、一体どういう意味で」
「それだよ」
「……え?」
「まだ分かんない?」
100パーセントのからかう口調。ぎしりと大きく鳴った椅子の悲鳴に顔を上げると、先生がのけ反って後頭部に手を回していた。強い夕焼けに照らされて少し目を細めている。ああ、日が沈む前に帰らないと。
「その『先生』って呼び方。
よそよそしくてあんま好きじゃねーんだよ」
「つまり…呼び方を変えろということですか?」
「そ」
思いもしない、覚悟していたものとは全然違うペナルティに拍子抜けする。いや、これペナルティって言えるのか?…そういえば、先生の名前ってなんだっけ「3、2、1、ほい」え!?
「ロッロッ、ローウェル先生」
「だから堅苦しいっつの」
「え?ローウェルさん」
「さん、じゃなくて」
「ローウェル」
「呼び捨てはいいけど、苗字はナシ」
「せ、先生」
「元に戻ってんじゃねえか」
「……じゃあなんて呼べば」
いいんですか、と言いかけて気がつく。先生が楽しそうなことに。純粋な雰囲気でなく、ちょっといやらしい感じの。
ここまでくればいくら鈍感と言われようと流石に分かる。先生がさせようとしていること。
名前呼びだ。
異性に対してするのは、まして年上となるとことさらに気恥ずかしくなる名前呼び。恥じらったところで目の前の教師はみすみす見逃してはくれないだろう。男の人の名前を呼んだことなんて数えるくらいしかないというのに…いや、待て、まだ先生が私に名前を呼ばせたいと決まったわけじゃない。
そもそも名前を呼ばせたところで先生になんのメリットもないわけで。そうだ、本意はもっと別にある。そうにちがいない!
「ユーリ・ローウェルさんっ」
「苗字はいらないって」
「ユーリさん?」
「もう一声」
「…っ、ユーリ先生!」
内心でのアガり具合に比例して声を張り上げる。さっきまでと同じ調子で間髪入れずツッコミを入れてくれることを待つ。
しかし、数拍置いて発されたのは「はあー」と諦めたように溜め息だった。
「…ま、及第点か。見た目によらず頑固だなおまえ」
「あ、よかった。ありがとうございます。…え、頑固?頑固ですか…」
「次はそのうざったい敬語」
「え!?」
「出来なきゃ帰さねーぜ?」
境界線を飛び越えて
(何が目的?)
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