短話

□絶対零度
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「ダメだよ死を愛さなきゃあ」

ぱちぱちぱちぱち。
俺がそう言葉を締め括った後、向かいのソファに座る女が手を叩いた。
拍手。感動や感銘を受けた時、祝意を示す時に行われる動作。

カラオケボックスの中は静まり返り、使われないテレビの雑音だけが響く室内で、たったひとりの手を叩く音は聞くからに浮いていた。
拍手の音源はどこにでもいそうな、落ち着いた服装の大人しそうな女。女(寧ろ少女と称した方が適切かもしれない)は拍手をしながらむっくりと立ち上がり、加えて鼻歌でも歌いそうな表情。これは、今まで遭遇したことの無いリアクションだ。
ポカンとまぬけ面なその他数名は、少女の方にあっけを取られて俺の『死ぬつもりはない』宣言に怒るタイミングを逃してしまったらしい。ただただ状況を飲み込めないでいる。

そして少女は眩しそうに瞳を細めて俺を見た。

「ええ。ナクラさん、素敵な中二理論ありがとうございます。」

まるで原稿を読み上げるように伸びやかな声の音。
特別人の目を引くような容姿を持っているわけでも、思わず瞳を閉じてしまう程の声でも、大それたをことを口にしたわけでもないのに、この場の全てが彼女に引き込まれた。
さっきまで俺が支配していた空間が、もはや彼女の独壇場。この空間で、少女のこの世のすべてを軽蔑するような柔らかな笑みとその身に纏う冷ややかな拒絶の雰囲気だけが異常だった。
男も女もソファもテーブルも壁も空気も、全てが静まり返って彼女にくぎづけにされて彼女の言葉を待ちわびている。時間にして十数秒。部屋を見回し、十分沈黙を堪能したらしい彼女は再び俺を見た。いや、見下した。唇に嘲笑を滲ませて、言葉に嘲りを篭めて。態度で姿勢で雰囲気で、この上なく俺を見下していた。

「……で?」

心底馬鹿にした口調。


「続きはもうないの?」

「…聞きたい?」

「はい、ぜひ聞かせてもらいたいですね。今まで何回自殺オフ会を開いたのかとか、その素晴らしい理論をどれくらい赤の他人に話し続けてきたのか、とか。」

ねえ、ナクラさん?
呼び掛けられた名前は偽名だというのに、本名で呼ばれた感覚がした。彼女を見つめ返せば優しい笑顔、けれど瞳は絶対零度






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