短話
□至極平凡なひととき
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それは一瞬のことだった。
腕が空気を切り裂き五本そろった指が俺の首を掴む。突然のことに反応はできたが対処しきれず、その勢いにされるがまま後頭部をソファに打ち付けた。圧迫された喉から潰れた声が漏れる。柔らかいソファとは言え、骨組みの部分にぶつかった。…痛い。
「臨也…」
名前を呼ぶ声も、普段とは打って変わって扇情的なもの。
赤のチークを塗ったような頬、涙が零れそうに潤む瞳、薄く震える唇。ただ一つ、異常だったのは。
「…そんな表情もできるんじゃないか」
俺を押さえ付けていないもう片方の手に握られているのは、部屋の照明を反射させて異様な輝きを放つフォーク。高く掲げられたその鋭利な刃先が、俺を狙っていることだった。
ぎらりぎらりと貪欲な光がちらつく。
「刺していい?」
「だーめ」
「…どうして」
「俺、痛いのは好きじゃないんだよね」
「ひとを、痛めつける、のは好きなくせに。ひきょうもの」
「卑怯なのは真奈だよ。酒の勢いを借りないとこんなこともできないなんて」
「臨也さんにだけは言われたくらい」
「呼び捨てたっていいよ、さっきみたいに」
「折原」
「君ってホントあまのじゃくだよね」
まあそんなところが面白いんだけどさ。
この状況、逃げられないわけじゃない。むしろ女一人など簡単に押し返せる。けれど今は愉しんでいよう。目の前の少女の、普段は見せぬ本音と狂気を。
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