洋書

□さきはえの都
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古代ローマの格言に、こんな言葉がある。

「幸運の女神には後ろ髪がない」

幸運は行き逢うもの。
しかし、すぐに行き去るもの。
後悔して追おうとしても、後ろ髪が無いから捕まえることはできない。

幸運を幸運と見定める者――女神フォルトゥナを正面から抱きしめる者だけが、真に幸運をつかめるのだと。













魔皇の狂った野望によって破壊された宗教都市フォルトゥナ。
国の柱ともいうべき人物が巨悪の根源であったことで都市の瓦解も懸念されていたが、意外にも人々は一丸となって結束を固めており、復興も急ピッチで進められている。
一時は壊滅したかに思えた壮麗な市街地も、資料を基に忠実に再現される予定だという。

「意外と上手くやってるじゃないか」
そこかしこで建築の音が響き、賑やかで活気に満ちた街路を歩きながら、ダンテは安堵の息をつく。
「これで一国壊滅、住民離散だったら、寝覚めが悪いからな」
口調はあくまで軽く、冗談めかしているが、柱を失った国が瓦解するという最悪の結末を予想していたのも事実だった。
「あんたは上手くやってくれたさ」
隣を歩くネロが呟いた。
「あんたが住民たちを説き伏せてくれなきゃ、今頃は暴動が起きてたはずだ。こんな風に復興するどころじゃない」
そう言って、周囲を見渡す。
無慈悲な殺戮を生き延びた人々と、野望に利用された教団騎士たち。
それぞれが手を取り合い、ともにフォルトゥナ復興に向けて動いている。

教団の最高幹部しか――あるいは彼らでさえも――知り得なかった、教皇の恐るべき野心。
しかし、結果として教団組織そのものが利用されていた以上、民衆が教団やその騎士たちに失望し、また憎悪を向けることは火を見るよりも明らかだった。
それを収拾したのがダンテであり、またネロも協力を惜しまなかった。
強大な悪魔そして「神」を相手に勝利を収めた二人の説得は、何にもまして効力があった。
結果、フォルトゥナに大きな動揺は広がらず、現在に至る。


「…ひどい有様だな」
瓦礫と焦土が未だに残る街並みに、ネロは目を伏せた。
複雑な思いはあるが、やはりこの都は彼の故郷なのだ。
以前よりも口数が少なくなった坊やの背中を、ダンテは軽く叩いてやる。
「俺の兄貴が、街中にとんでもない魔界の塔をおったてたときも、こんな具合だった。何しろ山みたいにでかくてな。けど、半年もすりゃ元通りになった。人間てのはたくましいんだよ」
うん、と、ネロは静かに頷く。
人として生きることを選んだダンテの言葉には、そう信じさせるだけの重みがあった。
「ダンテ」
「ん?」
「あんたの兄貴は、悪魔だったのか?」
「いや、俺と同じさ。半魔だよ。…まぁ、悪魔として生きてたから、そっちの血のほうが濃くなってるとは思うがな」
そう言って、ネロの腰に佩びられた閻魔刀に目をやった。
それは冷たい静謐とした波動を秘めながら、悪魔の右腕を持つ青年に従っている。

(本当は振るわれないで欲しい力なんだがな…)

人と魔を分かつ刀だけではない。
誇り高き反逆の剣も、か細い希望だけを残した災厄の贈り物も。
悪魔や、悪の魅せる偽りの力に踊らされた者を滅する鉄槌。
ひるがえせば、それほどに悪が絶え間ないということであり、それを鎮めることもまた、力を必要とすることなのだから。


「おっさん、迷うなよ」
驚いて足を止めたダンテは、自分をまっすぐに見つめる碧眼を見た。
「人を守れるだけの力を持つなら、それを振るう。それがあんたじゃないのか、ダンテ」

――力無くしては何も守れはしない。自分の身さえもな…。

「目の前に見えるだけの命を救おうとして、何が悪い。力無い者を守ることの、何が間違ってる。あんたは今までも、そうやって世界を守ってくれたんだ。そして今は、この街を救ってくれた。そうじゃないのか」

淡々と、どこか穏やかにすら感じられる口調で言うネロは、この一月という短い間で、ぐっと成長したことを感じさせた。
ダンテは照れくささを隠すように肩をすくめる。
「買いかぶりすぎだろ、坊や」
「あんたが謙虚すぎるんだろ、おっさん」
にやりと受け返して、ネロは再び歩き出した。
「ったく、年長者をからかうんじゃないぜ、ネロ…」
満足そうに笑うと、ダンテはその後に続いた。

人はどんな形であれ、力を欲する。
それは、人が自由な意思を与えられたときから、定められていたことなのかもしれない。

だからこそ、ダンテも、ネロも、力を振るうのだ。
大切な何かを守るために。






 

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