書架

□絲絃錯綜
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冷たい瞳で曹髦を見つめていた司馬昭は、崩れるかかるように彼を抱きすくめる。

「陛下、私を愛してくれますか」

切なげな声で訴えかけられて、曹髦は驚きのあまり何も言えなかった。
幾度も血に浸された白い腕が、年若い帝王の細腰へ回され、力がこめられた。
かといって、力で随わせようとするものではなく、その象牙の如き、白く、か細く、まだ少年の硬さを残した滑らかな肩に顔をうずめ、抑えがたい愛情に胸の内をかき乱されながら、ただ、愁えつつ溜息するのだった。

選り分けられた絹房のような黒髪は丈なし、しなやかな体の上を、這い流れている。
血を薄紅に刷いた瑞々しい頬には、かの黒髪が触れ、焚き染められた薫香が匂い立つ。
「どうした…。何が、したい…?」
曹髦は上ずった声を出した。
薄い絹を通して感じられる体の感触が、少し気まずい羞恥心を感じさせた。
司馬昭のほうは、大きく息を吐くと、ようやく顔を上げた。

その顔は、幾度見ても、本当に冷たく整っている。
冷たすぎて、その表情を動かすことに畏怖を感じるほどに。
動かせば最後、それが己の命取りになると、本能的に感じさせる恐ろしき美貌。

何より、濡れて鋭い光を放つ、思いつめた目つきが、曹髦へ恐れにも似た警戒を抱かせた。
誰かを粛清するとき、司馬昭は同じように、張り詰めて苦悩した目をする。

だが、今日の彼は、そうした激情をぶつけることなく、曹髦の頬へ触れる。
「抱きしめて…くださいませんか?」
今にも断ち切れそうな“何か”を湛えた瞳に見つめられ、心より先に、手が動いた。
石膏のように白い肌へ手を伸ばし、ぬくもりを持ちながらもどこか冷たく感じられる体を抱きしめた。
だが、その優しい仕草は、悶える激情を秘めた司馬昭を満足させなかった。
「強く、抱いて、……もっと、強く!」
泣いているように取り乱した声で、彼は言った。
その表情は伺えなかったが、普段の余裕を全く失っている彼の態度は、逆に曹髦の心を乱れさせた。
言われるまま、腕に力をこめた。
司馬昭の手が、曹髦の頭を掴んだ。愛おしそうに撫でながら、溜息交じりに呟く。
「陛下、私を愛してください、私を愛して…」
あれほど傲然と、驕慢に、さながら帝王のごとく、駆け引きを弄んでいた司馬昭ではなかった。
まるで、生涯で初めて憐憫や愛情を示された生き物のように、「愛」というものを貪ろうとしている。
だが曹髦は、彼の激しい熱情を受け止める術も、癒す術も知らなかった。

自分の知らない感情に目覚めたとき、言い知れぬ懊悩に苦しむのは、彼も例外ではないらしい。

曹髦は、ただ、司馬昭を抱きしめる腕に力をこめた。
今は、そうすることだけが、彼の激情を受け止められる方法だと思ったのだ。
どれくらいそうしていたのか。
周囲に静謐とした沈黙が盈ちた後、司馬昭はふと、体を離した。
弧を描いた眉の下に、張り詰めた感情が蕩けた後の、黒い瞳が濡れている。

白い腕が、優しく曹髦を羽交い絞めにする。
逃れようとしたときにはもう遅く、司馬昭は少年のか細い体に身を寄せ、ぴったりと肌を付けた。
それだけで、曹髦は身動きが取れなくなった。
婦人のようにうつくしい爪が、黒い紗に包まれた曹髦の腕を撫でる。
まだ男性になりきっていない体は、どこか処女にも似た清潔な硬さを残している。
謀略と隠匿に沈み、権勢でもって名望の糧としてきた司馬昭にとって、その清らかな硬質さは何にも変えがたく愛おしかった。

細い左手が、玄羅の襴衫をたくし上げる。
内腿の、ひときわ白く、柔らかな部分を撫でた時、曹髦の体が大きく震えた。
「嫌っ…!」
身動きの取れない少年は、自由な唇を震わせて叫んだ。
このまま抱かれてしまっては、自分もまた、生きながら朽ちていくことになってしまう。
彼がどんな男か。
忘れてしまえば、みすみす危険に飛び込むようなものだ。

だが、もう遅い。

両腕を封じられた体を押し倒すなど、わけもないこと。
優しく、けれども決して逃れられぬよう、体の重みを掛けて腰から下の自由を抑え込んでしまえば、もう為す術など無い。
「放せ…っ!」
「嫌です」
「放せ、司馬昭!」
もはや字を呼ぶ気すら失せたらしい。怒りのまま放たれた諱を歪んだ微笑で受け流し、もがく玉の体に覆い被さった。
触れる肌全てに伝わる熱。
肌や髪や、肉の感触。
沈んだ微かな香気。
それら全てが、今、自分の手中に在る。
喉を鳴らして、首筋に顔を埋める。
「陛下……いいえ、彦士さま…」
身を硬くしていた曹髦がはっと目を開けば、司馬昭が泣くように笑っていた。


「教えて下さいませ、愛されるとは、どのような気持ちなのですか?」







fin



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