書架

□霖雨宵寝
2ページ/3ページ




翳りを増した視界の先で、書院の扉がゆっくりと開いた。
暗がりから出てきたのは。
「桃符!」
捜していた息子の姿。攸は父の姿を認めたらしく、ぱっと顔を輝かせた。
だが、書院の入り口で立ち止まったまま、しきりに奥を気にしている。
「桃符?早くこちらへ来なさい」
漠然とした不安で、急かすように声をかける。
なぜか、攸のもとへ歩み寄る、という行動が、すっかりと司馬昭の思考から抜け落ちていた。
困ったように父親と暗がりを見ていた攸は、後ろを向いて、何か引っ張るような仕草をしている。
そう、なかなか動こうとしない大人を促すときの、仕草。
司馬昭の手から、燭が落ちた。
攸に手を引かれて出てきたのは、息子ではなく。

生者ですらなかった。

「皇叔…殿下……?」

陳思王――生前は曹子建と呼ばれていた存在が、そこにいた。
軋轢の絶えなかった兄とよく似た、憂鬱な美貌の王。
絶句する司馬昭を一瞥した彼は、不安げに二人の大人を見る幼子を優しく撫でた。
生者には無限の時のように思えた、その瞬間。
ふうっと長息して、その姿が消えた。
悲しげな吐息が、幽鬼の呟きに聞こえた。

――――可哀そうに

ひどく恐ろしかった。
憂死した王が、我が子を哀れむように愛撫していた。
鬼霊に触れられたのもさることながら、その暗示めいた仕草。
「炎と攸も、あなたがたと同じうなるというのですか……!」
愛児を固く抱きしめながら、司馬昭の瞳は雨の向こうへさまよった。






→あとがき

次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ