翳りを増した視界の先で、書院の扉がゆっくりと開いた。 暗がりから出てきたのは。 「桃符!」 捜していた息子の姿。攸は父の姿を認めたらしく、ぱっと顔を輝かせた。 だが、書院の入り口で立ち止まったまま、しきりに奥を気にしている。 「桃符?早くこちらへ来なさい」 漠然とした不安で、急かすように声をかける。 なぜか、攸のもとへ歩み寄る、という行動が、すっかりと司馬昭の思考から抜け落ちていた。 困ったように父親と暗がりを見ていた攸は、後ろを向いて、何か引っ張るような仕草をしている。 そう、なかなか動こうとしない大人を促すときの、仕草。 司馬昭の手から、燭が落ちた。 攸に手を引かれて出てきたのは、息子ではなく。 生者ですらなかった。 「皇叔…殿下……?」 陳思王――生前は曹子建と呼ばれていた存在が、そこにいた。 軋轢の絶えなかった兄とよく似た、憂鬱な美貌の王。 絶句する司馬昭を一瞥した彼は、不安げに二人の大人を見る幼子を優しく撫でた。 生者には無限の時のように思えた、その瞬間。 ふうっと長息して、その姿が消えた。 悲しげな吐息が、幽鬼の呟きに聞こえた。 ――――可哀そうに ひどく恐ろしかった。 憂死した王が、我が子を哀れむように愛撫していた。 鬼霊に触れられたのもさることながら、その暗示めいた仕草。 「炎と攸も、あなたがたと同じうなるというのですか……!」 愛児を固く抱きしめながら、司馬昭の瞳は雨の向こうへさまよった。 →あとがき |