書架

□霖雨宵寝
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「元姫、桃符はどこだ?」
「まあ、私の部屋にいたはずですのに……」
攸は好奇心旺盛で、本当によくいなくなる。
侍女たちに見張らせておいても、まだ五つにもならない幼児は、簡単に成人の視界をすりぬけてしまう。
そうして、両親家人総出で捜せば、その都度、内院の奥とか回廊の隅、亭などなど、あらゆる場所で見つかる。
ただし、今日はのんびりと捜す時間はない。
「こんな雨の中、出歩いては……」
もう日暮れが近い。曇っているから、暗くなるのはあっという間だろう。
春も深いこの時期だが、さすがに雨の降る夜は肌寒い。幼い子どもでは風邪を引きかねない。
長子・炎の後、生まれた子女が次々と夭折した。攸と炎は、だから一回りも年が違う。司馬懿や司馬昭がことさら攸を可愛がって離さないのは、そうした理由もあった。
妻の表情を察した司馬昭は、手燭を用意させると部屋を出た。

息子の居場所として、離れの書院にあたりをつけた。
奥向きからはそんなに離れておらず、つい昨日、当の攸を連れて入った。まだ書けないが、字を見ることが好きらしい。ひょっとしたら、と思ったのだ。
回廊を歩くと、静かな雨音が耳に届く。朝から降り続いている霖は、しとしとと弱く物悲しい音を立てながら、青白い帳を下ろしている。
兄は、雨の日が嫌いではない。今は亡き美貌の天子が、雨の日の回廊に佇んでいた姿を思い出すから、という。
もう20年近くも前になるか、皇叔の陳王が逝去して、遺愛していた東阿の山に葬られたときも、烟るような雨だった。
そこまで考えて、気の滅入る思考に首を振った。
何故、今日に限って、と思う。

ふと、歩みが止まった。
回廊の奥、目指す書院に灯りが点いている。
格子越しに、ぼんやりと人の影が映っている。背丈からすれば、大人であろうが。
兄は、ここしばらく来ていない。
士季や玄伯たちが、自分に断りなく入ることは有り得ない。
とすれば。
「炎?」
長子の名を呟いて、部屋へ向かおうとしたとき。

書院の灯が消えた。
同時に、手燭の火も。




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