書架

□背影夢幽
1ページ/2ページ



「子元」
暗闇に響く、掠れた声。
振り向けば、闇よりも沈んだ瞳で自分を見つめる人。
「どう、なさいました……?」
その暗い目に何もかも見透かされているのを感じながら、司馬師は寝台に横たわる曹叡に魅入られた。
惜しげもなくさらした白い肌、寝台を流れる黒い川。
白璧と黒漆を思わせる体が、あれほど悩ましい熱を持つ。
その妖しく疼く情欲が、司馬師の端正な口元を暗く歪ませた。
ほの暗い微笑を見た曹叡の瞳に、僅かだが、怯えた色が浮かぶ。
しかし、瞬く間に動揺のさざなみは収まり、もとの静かな面に戻る。
その須臾にして微かな表情が、この上もなく司馬師を悦ばせることを、曹叡は知らない。
目を伏せ、視線をそらしながら、曹叡は呟く。
「お前は……私を殺せるか?」
司馬師は寝台へ歩み寄った。
後ろからそっと、物憂げに身を横たえた主のしなやかな体躯を抱き寄せ、囁く。
「あなたが、そうお望みならば」
頬に触れる薫香を帯びた黒髪が、ふるりと震えた。
「私が、命乞いをすれば?」
「それはあなたの矜持が許しますまい」
「では、お前たちが私の死を望むなら?」
ぐっと、抱きしめる腕に力を込めた。
「私はそのようなこと、望みません」
その言葉に、手中の白珠が熱を帯びる。速い鼓動を肌で感じつつ、司馬師は囁き続ける。
「もし、誰かがあなたの死を望んだなら、私があなたの命乞いをします」
腕の中で曹叡が身じろぎ、司馬師のほうへ向き直った。
が、その顔は伏せられ、表情が見えない。見えないまま、細い声だけが聞こえる。
「それを、信じさせてくれるか?」
「元仲様……」
「信じてよいのだな?」
恐らくは涙ぐんでいるのだろう想い人を、包み込むように抱きしめて、頷く。
「ええ」
曹叡の縋るような問いの原因が、自分たち一族にあるだけに切ない。
その一族を信任したのは、他でもない曹叡自身なのだが、それを責めることなど誰にもできまい。
残酷な事情で後ろ盾を失った彼に触れることが許されたのは、司馬家ぐらいのものだったのだから。
この人が味わってきた空虚と孤独を、自分はどれくらい満たしてやれるのだろうか。
「時々、思うことがある」
かすれていながら熱い、奇妙に熱のこもった声で、愛するひとは囁く
「お前に抱かれて、その熱で鑠けることができたら、と」
 指が胸元を滑る。
「この血肉の全てが、お前と一つになったなら――」
深い色の瞳は、涙とはまた別の、不思議な潤いを帯びている。
濡れ輝く眼差しを受け止めながら、司馬師は朱色の唇を啄ばんだ。
視線を交わしながら、唇を通して伝わる熱をも共にする。
「私も、思うことがあります」
身に宿る熱を感じながら、司馬師は挑発的な笑みを浮かべる。
「あなたを抱いて、あなたの全てを私で満たせたなら、と……」




次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ