珍しく、雨の長い晩春である。 その日の洛陽も、機嫌を損ねた雲がひっきりなしに涙を降らせているところであった。 銀の箭が濃艶な花を瞬く間に射尽くし、だらしなく萎れさせてしまうほどに。 司馬師は雨の日が嫌いではない。 重い湿気は左目を疼かせるが、それ以上に、雨は彼の目に喜ばしいことを引き寄せるから。 翠の柱と白い石畳の回廊を歩んでいれば、その理由はすぐに見つかった。 ほっそりと背の高い影が、白くけぶる院を静かに見つめていた。 珠玉で結い上げて尚お丈なす黒髪。その豊かな黒から覗く、透き通るように白い肌と滑らかな顎の線。 表情は窺えないが、高い鼻梁が下に沈んだのを見ると、嘆息したのだろう。 「元仲様…」 そこではじめて、声をかけた。 静かに振り返った曹叡の表情は、白く冷たく澄んでいて、憂愁はおろか、感情の欠片すら見えない。 冴え渡る寒月のごとく威厳に満ちた美貌は、父帝のそれと似ていた。 表情の変化に乏しい、氷のような美しさとは裏腹に、火のような烈しさを深奥に秘める。 それを知る数少ない人間が己であるとの自覚に、司馬師は薄く笑った。 何も言わない司馬師を訝しんだのか、曹叡は小首を傾げる。 「どうかしたのか、子元」 「いいえ」 「違うな」 「何故」 「解る」 解るとも、と呟き、いたずらっぽい眼差しで優美に微笑む。 「何か、企んでいる」 そんな顔をしている、と言いたいのだと解って、司馬師はまた、薄く笑う。 寡黙な主は、よく人の意を見抜く。 「私が何を企んでいるか、おわかりになりますか?」 問えば、曹叡は目を細める。 珊瑚色の薄い唇が、声を発することなく動いた。 ―――玉座。 言って、うっすらと笑う。 その挑発が、司馬師の背筋にぞくりとした興奮をもたらす。 一気に距離を詰め、抱きすくめる。腕の中で、薄い絹を重ねた体が微かに強張る。伝わるその震えが、司馬師の口元を暗く歪ませた。 「私は、あなたのおられる玉座が欲しい」 耳元を侵す低い声に、曹叡は身を震わせる。 「あなたがおられぬ王朝など、要らない」 懇願するような、すがるような声。 抱きしめる腕に力が増す。 閉じ込めた花へ、返答を促すかのように。 抱き締められた佳人は、短く、しかしはっきりと、応えた。 「私も、お前が欲しい…」 見上げた視界には、鮮やかな翠と烟る灰色。 それはやがて、熱い滴に滲み、ぼやけていった。 |