宮廷の広さが、司馬昭は嫌いだった。 歩いていると思い出したくないことまで思い出せるほどの距離があるのだ。 特に、あの男が思い浮かぶと絶望的だ。 一度見たら忘れられない麗貌を、司馬昭は何よりも恨んだ。 「昭、噂になってるぞ」 兄弟二人きりになった時、司馬師は釘を刺した。 険しい顔で府第を行き来する官僚見習いの青年は、司馬家の子息という前評判もあって、ちょっとした話の種になっていた。 「権門はやっかみを浴びるものなんだから、少しは取り繕えよ」 な、と親しく肩を抱かれて、司馬昭は唇を噛んだ。 穏やかに諭してくれる、幼い頃から大好きな、その優しさすら歯がゆい。 「…すみません」 「それと――」 いたずらっぽい微笑を浮かべて、司馬師は弟の唇をつまんだ。 「ふぇっ…!?」 ちょん、とダメ押しでつつかれて、なにがなんだかわからない。 「な…兄…ぅ…!?」 目を白黒させている弟に、司馬師は微笑を禁じ得ない。やはり、かわいいものだ。 が、これだけは言っておかなければならない。 「言葉づかい」 「はい…?」 「俺には、それで十分だ。だが、公には公の礼法がある。下手をすれば首が飛ぶぞ、解るな?」 「……っ!」 兄の言いたいことの察しがついた。 心臓が跳ね上がる。 叱られることはとるに足りない。 だが、兄に嫌われることは何よりも恐ろしい。 (…違うんです、兄上…そんなつもりじゃ……) 弟の恐れに気づくはずもなく、司馬師は苦笑する。 「そんなに怖がることではないだろう」 優しく頭を撫でてくれた兄は、最後に司馬昭が最も聞きたくない言葉をかけて、行ってしまった。 「殿下には格別の礼儀を忘れるなよ」 大好きなのに遠い後ろ姿を見送りながら、司馬昭は歯を噛み締めた。 「…あいつが言ったんだ…!」 |