「あなたは、どうして権力が欲しいのだ?」 あまりに直截な問いに、さすがの司馬昭も面食らった様子だ。 それでも、すぐに、いつものような冷たい表情に戻る。 「――どういう、意味でしょう」 「私は、おそらく、この世で最も権威のある地位にいる。だが実際は、私に権威はない」 「陛下」 困ったようにたしなめる司馬昭が、おかしい。 彼にしてみれば、思っていても口に出されては不都合なのだ。 「いいから、聞いていてくれ」 「いけない、それは困るのです、陛下」 「すべての権威は、力は、あなたの下にある。ただ、そうすると、あなたは皆から皇帝に祭り上げられるだろう。そうなれば、私と同じ――」 「陛下」 言葉へ噛み付くように、薄い唇が皇帝の唇を封じ込めてしまった。 「黙りなさい、陛下」 身を離すと、すぐ硬い声になる。 そういう冷たい、堅い殻の中に籠められた眼差しを、曹髦は無感動に、時に失望を以て受け止めてきた。 「…そう……それが、あなただ。――司馬子上」 感情というものを見せたことのない瞳に向かって、ありのまま言った。 硬い表情と硬い声には、思いがけないほど強い失望が滲んだ。 気まぐれに心を垣間見せるかと思えば、すぐに取り澄ます。 そして、少し動かされて近寄ってきた曹髦の心を、すげなく裾で振り払う。 取り繕っているのか、ほんとうに嘲弄しているだけなのかはわからないが、そういう人だと、曹髦は思っている。 司馬昭が静かに、唇を閉じた。 その唇が開いても、その目は決して閉じない。 「なぜ、籠を出ようとするのですか」 今度は、彼が尋ねる番のようだ。 「籠を出た鳥は、外で生きるには脆弱すぎる」 「籠の外の猛禽と、籠の中の蛇と、どちらが危険かお前に判るのか」 「どうせ解き放ったところで、すぐに他の人間が捕らえてしまうのに」 「まるで、お前が私を庇護しているような言い方だな」 「違いますか」 「お前の鉤爪で捕らえているのだろう。他の獲物が見つかれば、お前を狙う禽獣の前へと投げ落とすだけだ」 「…大したお言葉だ。誰に吹き込まれたのかは存じないが――」 「皆がそう思っている、――違うか?」 無感動で、僅かな失望や苛立ちが眼差しにひらめくだけの顔が、司馬昭を見ていた。 その視線を、彼は怒りで以て受け止めたようだ。 「…よくも、…そんな口がきけたものだ…」 音を立てて噛み締められた唇の間から、皓い犬歯が見えた。 いつか自分の喉を引き裂くであろう、その牙を見つめながら、曹髦は呟く。 「違うというのか」 何を考えているのか解らない少年に、司馬昭のほうが余裕を失っていた。 「勘違いもはなはだしい」 外に出たいと籠をつつく、美しくも非力にすぎる雛鳥を、いったい誰が庇護してやっているというのか。 「私のために、あなたは生き長らえているのですよ」 肩を掴んで言い聞かせてやりたい怒りを、辛うじて抑え込む。 些細な名分に傾いて、こちらの配慮や譲歩には見向きもしない子供が腹立たしい。 それが、司馬昭の論理であり、思考だった。 対して、曹髦は今度こそ嫌悪と失望を隠さなかった。 「一呑みに喰い殺したいのを、自分が安住したいがため生かしておくだけのくせに、勝手なことを言う」 「…私を怒らせたいのですか」 「そう、だな」 「ばかなことを…!」 吐き捨てるように言う、その姿が少しばかり可笑しかった。 「怒ったあなたが、私を籠の外へ放り出せばいい」 そうすれば、死ぬまでの僅かな間、自由になれるだろうか。 愚かで愉しい空想だった。 だが、司馬昭は言う。 「そんなことはさせない」 深く傷ついた表情で、曹髦を見るのだ。 「させるものか」 それが寝宮で狂ったように求めてくるときの表情とよく似ているのが、曹髦には不思議でならない。 ――子上は、私をほんとうに欲しているか 一瞬、そう信じたくなる。 それもまた、可笑しい。 司馬子上が曹髦を欲することなど、まして、愛することなど、決して、ない。 曹髦は、そのように信じている。 一方、司馬昭はいらだつ。 決して自由にしてはならない、最も高貴な者を持て余しながら。 この人が解き放たれるときというのは、この人が命を落とすときなのだ。 それでいて、決して掌にとどまろうとしない、この美しい少年を捕らえておくことができない。 「いいですか…陛下…」 ようやく司馬昭は口を開く気になった。 相変わらず高圧的に見下ろすが、その声は余程かすれている。 「私の翼を失えば、あなたは死ぬ」 「ああ――そのようだな」 「一瞬の解放と引き換えに、あなたは死ぬことになる…それが、あなたの望みですか…?」 「あるいは。――いつか、そうなるだろうか」 否、と曹髦の細い髪が揺れた。 「あなたは、それさえも許さないのかな」 そう言って、笑う――それは哀れみとも寂しさともつかぬ表情なのだが――皇帝を、司馬昭はじっと見つめた。 「そう、許さないとも――」 少年は今度こそ、ほんとうに咲った。 「そうであればよい」 そう、笑ったのだ。 |