書架・二

□生霊・刻命
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「玄伯、私はどうしたらいい…」
「何も。お前の望むとおりにやればいい。そうなったのだから」
「だから…!それは違うと言ったはずだ!」
それは何度も繰り返した。
こんな結末など望んではいない、望みたくもなかったと。
だが、曹髦すら思いもよらなかった恋着を、陳泰が知るはずもない。それ以前に、こんな歪んだ愛執を説くなど、できるはずがない。
どうあっても、誤解を解くすべがなかった。
「私は一度だって望んだことはないし、…ちがう、陛下には生きていてほしかった!」
「今更そんなことを誰が信じると思う!陛下を弑するとき、賈充は兵たちにこう言ったそうだ、“司馬公がお前たちを養ってこられたのは、ただこの日のためだ”と……それに異を唱える者は誰一人いなかった、そういうことだ」
「私が命じたのは、陛下を救ってほしいと、ただそれだけだ、本当に――!」
激昂する司馬昭とは対照的に、陳泰は次第に黙っていく。その沈黙は、冷たい軽蔑と拒絶だった。
「玄伯…」
何度目かの呼びかけに、ようやく陳泰は重い口を開いた。
「…わかった。それで、お前はどうするつもりだ」
「わからない、だから、お前に聞いているんだ、お前にしか…聞けないから…」
「……そうか」
思えば、彼は自分の命運を計っていたのだろう。そして、結論を出したのだ。
死んだほうがましだ、と。
「では、教えてやろう。賈充を腰斬に処せ、その程度でも言い訳にはなる」
「何…?」
「それより効果的な申し開きがあるとすれば――お前にも解るだろう」
吐き捨て、出て行こうとする後姿が、司馬昭にはあまりに無防備に見えた。
「待て、玄伯」
「何だ」
「本当に、それしかないのか?」
音もなく簪を引き抜く。
陳泰は振り返らなかった。
戦慣れしていた彼が、敵対を明言した司馬昭を背に、振り返らなかった。そのことは、ずっと後になって思い出した。
「それしか、ないのか?」
「ない」
毅然と伸ばされた首筋が、彼の意志そのものだった。
「言っただろう。それより上策はある、だが、下策はない」
その頚筋へ深々と簪を突き刺した。
力任せの一撃が頚の動脈を断ち切ったらしい。簪端に飾られた水晶が赤黒く汚れていく。
恐怖と共に簪を引き抜いた時、既に陳泰は瀕死だった。
反射的に押さえた指の間から血が湧き上がり、充分に止血する力さえ残っていないようだった。
ただ、その目は明らかに、意思を持って司馬昭を見ていた。
深い諦めと、途方もなく強い矜持を込めて、陳泰は司馬昭を見ていた。
すでに力を無くしていた手が、止めようのない出血の中へ落ちたとき、彼の目も閉じた。
短い間、沈黙のうちに、全てが終わった。
司馬昭は、一部始終、それを見ていた。両手で金の簪を握り締め、その両手を血に汚しながら。
自らの手で殺したのは、これが最初で、おそらく最後だと――そう、茫然と思いながら。





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